知念大屋(ちにんうふや)の神屋(かみや) | 沖縄の裏探検

知念大屋(ちにんうふや)の神屋(かみや)



南城(なんじょう)市の知念(ちねん)集落に知念グスクの知念按司(ちにんあじ)を祀った大屋と呼ばれる拝所があります。
大屋のある場所は久美山(くびやま)と呼ばれた場所で集落の中心地となった所です。クバの木が多かった為に『クバ山』と呼ばれていたのが久美山になったのだそうです。
知念グスクは久美山を上に登った場所にあります。


位牌が置かれてる家屋風の建物を神屋と呼びます。神屋は敷地の右側にあるのが多いですが、知念大屋の神屋は敷地の左側にあります。
これは東向けに建てている事に理由がありそうです。


正面には神棚があって二つの位牌があります。
右が知念按司の位牌で左は知念ノロの位牌です。


右側の壁には神人(かみんちゅ)の拝所があります。


正面の神棚の右側にあるのは床(とこ)と呼ばれる場所です。床には掛け軸等が飾られたりしますが、ここでは木製で『福禄寿』と書かれた額がありました。


神棚の左側には火神(ひぬかん)があります。火神も大抵は一番左側に置かれます。


知念按司の位牌のすぐ横に木製の箱が置かれています。これは知念按司が使用していたとされる錆び付いた刀が入っています。

ここに祀られる知念按司は、ここから少し離れた知名(ちな)村の地頭職で内間大親(うちまうふや)と称した人物でした。
内間大親は知名グスクに住んでいましたが、後に知念グスクに居を移して知念城御殿(ちにんぐすくうどぅん)となりました。
しかし邸宅は1729年に暴風で倒壊して撤去されてしまいました。
知念按司の位牌は代々、知念グスクの祭祀を行う家が管理しており現在はこの場所に置かれています。


所変わって、南城市から北に30キロ以上遠く離れた沖縄市の与儀(よぎ)集落の高台にイーヌモーと呼ばれる広場があります。

イーヌモーの一角に遥拝所がありますが、与儀集落ではこの拝所を知念大屋と呼んでいます。ここは玉城(たまぐすく)のミントンや御穂田(みふーだ)の遥拝所でもありますが、本来は二つあるべき拝所が一つしかありません。

公民館でも聞いてみましたが、遥拝所が一つしかない事や何故こんな遠くの場所が知念に向かって遥拝するのかは誰も分からないとの事でした。
しかし南部方面を順拝するアガリウマーイ(東廻り)は今も行っているそうです。