亀甲墓(カミヌクーバカ) | 沖縄の裏探検

亀甲墓(カミヌクーバカ)

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最近、墓ネタ多いですが(;^_^A。

これは亀甲墓と言う墓です。『きっこうばか』とか『かめこうばか』と呼んだりします。
1600年後半ぐらいに中国から伝わったとされています。
中国の亀甲墓は文字通り多角形で亀の甲を型どった墓です。
沖縄の亀甲墓は丸く作られています。
沖縄本島の中南部に多く、特に南部でよく見かけます。

画像の亀甲墓は、那覇市教育委員会が公開している墓で、首里金城(きんじょう)町にある物です。
ペリー提督一行が浦賀へ行く前に琉球へ立ち寄った際、現在の那覇市 泊(とまり)の海岸沿いにあった亀甲墓を見て『琉球の民は石で作った家に住んでいる』と思ったそうです(笑)。

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墓の庭に入ります。
ここは広場になっていて、清明祭(シーミー)の時に親戚一同が集まる場所です。ここで、ご馳走を食べたりします。

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上から見た形です。緩やかなドーム形です。

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横からの画像です。
亀甲墓は子宮の形をモデルにされています。今でも納骨の時には、お尻から後ろ向きに入る家もあります。死んだらお腹に帰って、また生まれ変わるのです。墓はお母さんです(笑)。
現在、クオックス家は頭から入ります。後ろ向きだと、必ず頭を打つ人がいて危ないからと言う理由からです(爆)。

中には亡くなった人を納める小さな広場があります。その奥は少し高くなっていて、骨壷を置く場所になっています。
小さな広場に遺体を安置した後、数年を経て洗骨を行い骨壷へ入れて、墓の奥の壷を置く場所へ並べます。
現在は火葬なので骨壷を奥の方へ直接置きます。

太平洋戦争時、墓は防空壕やトーチカとして使用された場所も少なくありません。
以前、公園用地にあった30基ぐらいの明治中期から後期の墓を発掘する仕事をした事があります。
一帯の墓からライフルの柄や飯ごう、注射器や薬瓶を発掘しました。
付近の聞き取りでは、墓の殆どが壕として使用されたとの事で、攻撃で破壊したと思われる墓は僅か2基でした。
戦時中、母の胎内で難を逃れ様とした訳です。
女性は強いですな(≧∇≦)。