日経ビジネスオンラインのこの記事。

部下も、上司も、み~んな“思考停止症候群”?!
便利な“正しい言葉”が逃げ道を用意する


を読んで、ここ最近の自分の中の疑問の泡が一つはじけた。


対話の場においても、誰かと何かのプロジェクトをするときでも、
便利な言葉がでると、そこから先に話が潜っていかなくなる。
もしくは拓けていかなくなる。

発している本人は、多重構造のコンテクストを持って、
もしくは、それが重要な結論だと思って、その言葉を発しているかもしれない。
(自分も往々にしてそうだけども)

でも、そのコンテクストはその本人のもの。

だから、実はそこでその話し合いは終わってしまっている。

もしくは、その一言にたくさんの意味が含意されているものとして
暗黙に了解がされてそのままいっちゃう。

思考が停止している。

それがこの半年、一年、抱えていた違和感だったのだな。

どんな話し合いでも、そもそもどういうコンテクストで一つひとつの
言葉を使っているかを、それこそ様々なコンテクストをすり合わせながら
行っているんだけども、進もうとすればするほど、鼻先を押さえられている感じになる。

実感としては、もともとの感性と、何かにとりくむときの姿勢、人間のとらえ方、
現在の世の中を見る視座が近い人とは、そんなに苦もなく共有できるけれども、
そこが大きく異なる人とは、いくら言葉を重ねても平行線のような気がする。
(当たり前か)


だから、しんどいかもしれないけどたくさん考えよう、と思った。
自分がそのしんどさから逃げてきたから今、他者に対してそう思うんだ。

感じることを大切にしていることが、思考停止をさらにあおっていたかもしれない。

たくさん考えよう。