倉敷での短時間の散策でしたが,大きなお屋敷が目にとまり撮影してみました。
その前に、ちょっとお勉強。
倉敷は、江戸初期以来の幕府直轄地で、
倉敷川の水運を利用して経済力が高まり,
江戸後期には「新禄」と呼ばれる新興勢力が台頭し,
それまでの「古禄」と呼ばれる世襲の勢力に代って次第に富を蓄え,
社会的地位を確立してきました。
こうした新禄層の屋敷のうち,往時の面影を最もよく留める現存の町屋の1つとして,
旧大原家住宅は,国の重要文化財に指定されています。
主屋等の建造物は、18世紀末における倉敷町屋の代表的な形式を示しています。
旧大原家住宅は寛政7年(1795)に主屋の建築が着工され,
その後座敷部分が増築され, その先には広い庭が続いています。
また,主屋の後ろには蔵が建ち並び, 防火の役目も果たしています。
主屋は本瓦葺,厨子二階建てで,屋根は一見入母屋造に見えますが,
実際には切妻造りで妻側に付庇を設けた庇付き切妻屋根となっています。
また倉敷窓,倉敷格子といった倉敷独特の意匠も備えています。
蔵は土蔵造りで,外壁は腰に瓦を張りつけ,
目地を白漆喰で盛りあげる『なまこ壁』で仕上げられ,
そのコントラストはとても美しく,倉敷の町並みの景観を特徴づけています。
もう1つ、当時のこの地域ではかなり異彩を放っていたであろう
旧大原別邸「有隣荘」
設計は大原美術館本館を手がけた薬師寺主計、
内外装は美術館の礎となるコレクションを収集した児島虎次郎が担当。
アールデコ風の洋間に、京都の有名なお屋敷の庭をたくさん手がけていた
庭師・小川治兵衛が手がけた二つの庭に挟まれた畳敷きの大広間が続く和洋折衷で、
1928(昭和3)年に建設された。
施主の大原孫三郎氏が、病気がちの奥様のために新築し
「徳は孤ならず必ず隣あり」という論語の一節から「有隣荘」と命名。
後には主に迎賓用に使用されました。
屋根瓦に使われた特殊な釉薬(うわぐすり)が角度によって美しい翠色に輝く事から、
「緑御殿」という愛称で親しまれています。
いや~、建物を建てる時のスケール違いますね。
私も、「健康な」妻のためにでも、お屋敷建てたいものです。
この「有隣荘」は、文中にあるように、
とても目をひく瓦群にべんがらのような塀の色が、とても特徴的でした。
また、塀の基礎部分の石と板塀との接合部分をよく見てみると、
手彫りですべてうまく合しているのを見ると、さすがこういうのを職人技と
いうんだろうなぁと感心して細かくみてしまいました
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