パノラマカーを振り返る 「7年前の私とパノラマカー」 | Railway Focus

パノラマカーを振り返る 「7年前の私とパノラマカー」

私がパノラマカーに一番最初に乗ったのは、今から7年ほど前。その当時はあまり鉄道とは縁が無く、鉄道車両に関してもさほど興味の湧いてない人間だった。


ある日、名鉄名古屋駅(当時は新名古屋駅)で帰りの電車を待っていました。帰りの電車の案内放送が流れると同時に、遠くからミュージックホーンの音が。4つの光を放つパノラマカーがやって来た。


当時は毎日当たり前かのように名古屋駅にはパノラマカーが数多くやってきていました。今とはかなりかけ離れてた光景だった。


そんなこんなで、帰りの電車(=パノラマカー)に乗車。太田川方面からやって来たのか座席はかなり混雑しており、私は座ることはできなかった。


せっかくのパノラマカーに立って乗るというあいにくの出来事から始まったパノラマカーの旅。本当なら単なる帰りの足だったわけです。それがここまで印象深いものとなったのもパノラマカーのお陰だと思う。


電車は枇杷島分岐点を通り、犬山線へ入る。上小田井、西春、岩倉という順番にこまめに停車していった。降りる客はいるものの、席が空く気配は一向に無い。


その後、布袋、江南、柏森の順に停車。江南を過ぎたあたりからは空席も出てきた。一応、空いてた席に座った。


そして、犬山に到着。半数以上の客が犬山で下車した。その途端、展望席も空いた。私はすかさずその展望席に移動した。


犬山からは進行方向が逆となるため、運が良く私の乗ってた車両が先頭車となる。犬山からは普通電車となり、のどかな田園風景広がる広見線を駆けていく。


一面に広がる田園風景になんかホッとした気分になった。


愛岐トンネルを抜け、電車は岐阜県に突入。西可児では結構な客が下車。可児川でも下車する客がおり、乗車する客は見られなかった。日本ライン今渡でも西可児並の降車客がいた。


そして、電車はいよいよ終点の新可児へ向かう。


多くの乗客は降車の準備を始め、早くもドアに向かう人もいた。次第に電車はゆっくりと進み、窓越しにはJR太多線の線路が。いよいよ終着だな。ということを感じさせた瞬間だった。


そして、車内放送が流れ、終点の新可児駅に到着した。新可児駅は3番線に到着した。唯一6両編成が停車できる3番線に停車した。


到着し、ドアが開くと多くの乗客が続々と降りていった。しばらくすると運転士さんが2階運転室から降りて来た。


私はその光景を目に焼き付けた上で改札口を出た。


私の中で、何の面白みもない帰りの電車が、楽しめる帰りの電車に変わった瞬間だった。


そんな日から7年。パノラマカーは帰らぬ旅に出てしまった。


ファンの心の中ではいつまでも根強く生き続ける。それこそが本当の名鉄パノラマカーだと私は思います。


展示車両であれば週末ならいつでも会いにいけます。中京競馬場のパノラマカーは今でも元気です。


本当にありがとう!パノラマカー。48年間、お疲れ様!


つまらない文章でしたが、最後までお読みいただき有難うございました。