※使用した画像はNHKの公式HPや、録画したドラマのデータから
抽出して利用しております。全て批評目的の引用であり、他意はありません。
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の続編です
あらすじ
頼長の命令によって家成邸が襲われたことで、鳥羽院は
烈火のごとく怒った。得子を通じて、忠盛に仕返しとして
頼長邸を襲えという密命がくだった。これら全て、得子の策略だった。
命に従うべきか迷う忠盛に、清盛は摂関家と院の小競り合いに
巻き込まれるべきではないと語る。
すると、忠盛は武士の世を作るために我らは戦ってきたのだと宣言した。
忠盛の館には平氏一門が集まった。忠盛は自分の身に万一のことが
あったときのためとして、平氏一門に遺言を伝える。
そして、清盛以下4人の息子たちに形見分けを行ったうえ、
その席で、次期棟りょうは清盛だと正式に発表する。
頼長の命により、藤原家成の館を襲う源為義。忠通邸を襲って
朱器台盤を強奪したことといい、今回の家成邸襲撃といい、
藤原忠実&頼長親子の手先となって、汚れ仕事を率先してこなす為義。
これが彼なりの忠義の尽くし方なので、滑稽ですらあります。
家成邸を襲撃中の為義配下の源氏兵達。もはや盗賊と変わりありません。
滅茶苦茶になった館内で、ボー然としながらサイコロをいじる家成卿。
ナレーション(頼朝)
我が祖父為義は、左大臣頼長様の命じられるまま、
家成様のお館を襲った。
近臣の家成様を襲われた鳥羽院は烈火のごとくお怒りになった。
全ては頼長様を陥れるための美福門院の謀であった。
平氏に頼長様を襲わせる、大義名分を得たのであった。
そもそも頼長の命による家成邸襲撃の原因は何なのでしょうか![]()
藤原家成Wiki にはこんな記載があります。
>藤原忠実は家成と協調的な態度を取っていたが、子の頼長は
家成を「天下無双の幸人なり」と評して、その勢威に警戒感を示した。
天養2年(1145年)2月、家成は義弟・源雅通と娘婿・藤原公親を
前駆として比叡山に登ったが、頼長は清華家(英雄家)出身の
雅通・公親が諸大夫出身の家成の前駆を勤めたことを、
「永く英雄の名を失う」と非難している。
こうしたことを背景に、仁平元年(1151年)、従者同士の諍いを
口実にした頼長に邸宅を襲撃され、散々に破壊されるという
災難を蒙っている。この頼長の性急かつ短絡的行動は
鳥羽法皇の激怒を買い、頼長の失脚とそれにつながる
保元の乱勃発の伏線となった。>
どうも頼長の父である忠実は家成と仲良くやっていましたが、
頼長は家成を警戒していた模様です。
そして秩序にこだわる頼長らしい、家成の身分秩序を乱すような
所業に対するクレームが先にあり、仁平元年の家成邸襲撃に繋がる
みたいですねぇ。
頼長にしてみれば、家成邸の襲撃は己の価値観に基づいた
秩序を守るための行動だったのかもしれませんが、
襲撃された家成にしてみればたまったものではありません。
ドラマでは、美福門院が頼長の行動を抑えずに、かえって煽りを
いれた結果の出来事であるとし、更には「家成卿が襲われたことで
鳥羽院がお怒りなので、報復として左大臣(頼長)を襲え」
という命令を平氏に下すという展開にでありました。
忠盛以下平氏の首脳部面々は頼長邸襲撃の是非について
話し合うのですが、
「公卿への昇進もチラつかされてるので、やらざるを得ない」
雰囲気が大勢を占める中、清盛が発言します。
「家貞、そのお沙汰、お断り申し上げよ
」
「俺は八つの時にこの剣を授かった。
大きくて、重くて、初めは持ち上げることすら
出来なかったこの剣を

「俺は鍛錬して自在に操れるようになった。」
ってオイオイ、松ケン清盛ちょっと待て。
ちょっと前のシーンでまだ5歳の清三郎(宗盛)に
この剣を持ち上げさせようとして、
「まだ5歳の自分には無理」とギブアップを
必死に訴えた我が子の思いを無視して、
「理屈を言うな
」とかアホな幼児虐待行為
かましてくれてたろ![]()
「自分が八つの時に無理だった」と言ってる
事を5歳の息子にやらせようとしてるなんて、
正気の沙汰では無い
。
しかもどちらも同じ第16回で展開されてる
シーンなんだから、脚本家もどういう神経で
台詞を書いてるのでしょうか![]()
本当にこのあたりの展開は無茶苦茶です
清盛の演説(?)シーンに戻ります。
「タフマン白河院の御前に突き立てたこともあった」
※第2回「無頼の高平太」での舞を奉納するシーンでは、
そもそも清盛が剣舞をしたのがオカシイと思うし、
ワザワザ手にしていた日本刀を投げ捨て、何故か警備兵に
捕まらずに会場に忍び込んでいた鱸丸にこの剣を投げ入れさせる
という離れ業をもって得物を持ちかえてこの剣を振り回し、
挙句の果てにタフマン白河法皇に突き立てるという
「完全なるファンタジー」な展開でした。
「俺がこの剣を振り回すのは、
上手く言えぬが、院と摂関家の
小競り合いに巻き込まれるためではない。
こいつは、こんなことをするために
生まれてきたのではない![]()
そんな気がするのじゃ
」
この回で海賊討伐の時にチョイと出演した春夜という宋人キャラを
ワザワザ再登場させて、「最も強き者が持つ剣」なんて根拠の不明な
台詞を言わせ、散々にこの宋剣を強調してるんですよね。
でもこの剣って、元々は第一話「ふたりの父」において
宋からの荷を積んだ船を襲った海賊と出くわして、
その海賊達の無法を止めようと泳いでその船に辿りついた
忠盛が、たまたま入手した物ですよ![]()
海賊との戦いに勝利し、勝鬨をあげる若き日の忠盛
いわば三国志演義において、趙雲子龍がたまたま闘った相手である
夏候恩から青紅剣(せいこうのけん)を入手したみたいなもんだ![]()
趙雲は天下の名剣である青紅剣のことを知っていたけど、
ミキプルーンパパ盛は、「いい剣だ」とは思ったかもしれないが、
春夜が言ったような伝説の剣だと思って入手したわけではない![]()
少なくともオンエアされたドラマの内容から、そういったことを
読み解くのは不可能だ![]()
そして己の出征の秘密を知って思い悩み、家出をした平太清盛を
見つけたパパ盛は何故かこの宋剣を持ってきており、
「平氏に飼われているお前は犬だ
死にたくなければ強くなれ
」
と一喝してこの剣を地に突き立て、それを引き抜いた清盛が
無頼の高平太時代を通じて後生大事に持ち歩き、時には振り回す。
それがこの剣のドラマにおける位置であるが、腰に差して携行する
日本刀と違ってどうもこの宋剣は携帯性に劣るようだ。
だから日本の太刀なら腰に帯剣出来るのに、この宋剣を持つ清盛は
手でこの剣を持っていることが多いし、関連記事
平清盛第12話「宿命の再会」 御曹司のロクでもないプロポーズ平氏の清盛編
大事にしてるハズの宋剣を、思いっきり地面に落としたりしてます。
この当時でも常時腰に帯刀している刀は武士にとって大事なもので
あった筈だが、いくらこのドラマの清盛が破天荒な人物として描かれて
いるとはいえ、こういった剣に対する扱いが雑すぎはしないか![]()
それにこの時代にどれだけ洗練された剣術があったかは分からないが、
刀と剣では武器としての構造が違うので、どうしても闘い方や
身につける剣術の型も異なってくる。というわけで清盛に剣での闘い方
を指南出来る人などいないから、清盛の闘い方も自然と力任せな
ものにならざるを得なくなる。なんだかねぇ...。
平清盛関連の番組も色々やってますが、そこでは決まって清盛の
合理主義者な一面を取り上げます。
私は清盛=合理主義者という言い分には全面的に賛成の
立場なので、このドラマにおける清盛が「いろんな面で非合理的」
と思われる宋剣を愛用しているところに違和感を感じざるを得なません。
まぁこの剣はドラマの内容の根幹に深く関わってるため、
今更この剣を止めて日本刀に持ち変えることは100%無いでしょうけどね。
そんな清盛の独白のあとで、
「武士の世をつくるためじゃ![]()
院にお仕いするのではなく、武士が頂に立つ世を。
それがため、我等は太刀を振るってきた![]()
それがため、武士は今の世に生きておるのだ
」
とミキプルーン忠盛がカッコよく締めます。史実の忠盛がどこまで
「武士の世を造る」なんてことを本気で考えていたかは分かりませんが、
ドラマにおける忠盛は確かにカッコいいですね。
その分どうしても松ケン清盛が劣って見えてしまうので、
「もう大河ドラマ平忠盛で良いよ
」
なんてことも言われてしまうのですが...。
場面が切り替わり、忠盛が一門の者達を集めて今後の指示を
している場面。息子達に愛用の品を譲っているところは完全に
「わしの亡き後の棟梁は 清盛と定める
」
忠盛からの後継ぎ指名宣言を受けた清盛は、
宗子ママとのアイコンタクトを経てから
「謹んでお受けいたしまして ございまする
」
と次期棟梁となる宣言をします。ようやく清盛も大人になれたのか![]()
場面は清盛の安芸への出立に切り替わります
あらすじ
1153年正月、清盛は安芸へ旅立った。見送りながらよろける忠盛を
宗子(和久井映見)が支えると、忠盛はあらためて宗子に
今までの感謝の気持ちを伝えた。安芸の浜辺で休むところに突然、
あらわれた忠盛と剣をかわす清盛。清盛の成長ぶりに感心した忠盛は、
「強くなったな」と告げると、姿を消した。1月15日、忠盛は世を去った。
忠盛が清盛や武士に残した功績ははかりしれないものがあった。
と言い残し、出立していった清盛。
清盛達を見送った後、倒れそうになった忠盛を宗子ママが支えるシーン。
ここでの忠盛と宗子の会話。
忠盛「かたじけない」
宗子「かたじけない 妻となって初めて
言われた気がしまする」
「そうか」
「はい」
「さようなことはない。有難いと思っておる。
忠盛を見つめる宗子ママ。このシーンは普通に良かったと思います。
小舟の中で昼寝している松ケン清盛の前に
いい大人二人が棒きれでチャンバラをし、清盛が忠盛を負かします。
第一話での「強くなれ
」という台詞で張られた伏線の回収で
あるようです。こういった点に気付いて「ニンマリ」出来る層は
このドラマを高く評価し、気付かないで観ている層には
「何が面白いの
」と評価が分かれるようです。
こうしたあちこちに伏線を張りまくって、唐突に回収する手法は
どうもこのドラマの脚本家である藤本有紀の作品の特徴である模様。
同氏が脚本を担当した朝ドラ「ちりとてちん」も同様に
視聴率は低かったが、高く評価する熱心なファンも多いらしいですし...。
父忠盛に「強くなった」と褒められて、笑顔の清盛
気がつくと忠盛の姿は無く、忠盛から授かった宋剣が突き刺さってます
ボー然とする清盛。ここにきて夢オチか![]()
だから「少年ジャンプ展開」とか言われるんだよ![]()
ナレーション(頼朝)
仁平三年一月十五日、清盛を育て上げた父忠盛がこの世を去った。
忠盛が清盛に、そして武士(もののふ)達に残した功績は
計り知れない
唐突ながら、これをもって「平清盛」の第一部が終了、
次回の第十七回からは第二部という発表が4月末くらいに
唐突にあったらしいですね。どうやら視聴率低迷のテコ入れで、
「第二部からは○○」という感じで視聴者にアピールしている
みたいです。
しかし、私はこの視聴率云々はあまり意味のないことであると
考えています。この朝ドラもおなじですが、現在の大河ドラマは
BSでの先行放送、NHK総合での本放送、土曜昼からの再放送と
一週間の間で同じ話を計3回も放送しています。ですから以前の
日曜の本放送だけであった頃や他の民放の番組と同じ目線で
視聴率の数字を比較すること自体が成り立っていません。
“条件が違うものを同じ目線で比較しても意味がない”
ただそれだけのことです。
恐らく発表されている視聴率は日曜日のNHK総合での本放送の数字
と思われますが、そうなるとBSでの先行放送で視聴している私などは
視聴率にカウントされていないわけです。
それに視聴率には録画した内容をもってドラマをチェックしている人達も
カウントされません。色んな意味で視聴率とはあくまで参考数字にしか
ならないことが明白ですので、視聴率を上げて番組スポンサーの
顔色を窺わなければならない民放と、視聴者から徴収した受信料で
番組造りをしているNHKではそもそも土台が違います。
個人的には視聴率云々よりも、あくまで内容がどうであるのか
ということに注目している私です。
次回予告

























