訪問日時2012年5月4日(金)14:30頃
本日は天気が良かったので、千葉県いすみ市にある
万木(まんぎ)城址公園に行ってきました。
といっても、小さな山城の後に物見櫓程度の展望台を配した
程度の小さな公園であります。
いすみ市万木834
まずは途中の民家にて、猫を撮ってみました。
猫は被写体として面白いので、カメラを所持している時に
見かけると大体撮ってしまいます。
看板の文字を読みたい方は、クリックして拡大してください
この万木城について記載されている看板ですが、
さて、お城に着きました。現在はつつじが満開であります。
こうしてみると、それなりにイケてるように見えます。

この万木城について記載されている看板ですが、
あまり詳しい記録は残ってないようです。
確かに言えることは美濃(岐阜県)の土岐氏の一族が
この上総の地に流れてきて、このあたりの領主として
戦国時代にはここを拠点としていたこと。
そして小田原北条氏の傘下にあったために、
豊臣秀吉の小田原征伐によって北条氏が没落した際に、
この万木城の土岐氏も同じ運命を辿ったことくらいです。
しかしこの建物は...。恐らく土岐氏が拠点とした往時の万木城には
天守閣など無かったと思われます。
天守閣は畿内(近畿地方)で作られ始め、豊臣秀吉による
天下統一後になってから全国各地の城にて作られるようになりました。
万木城の土岐氏が仕えていた小田原北条氏の居城で
天下の名城だった小田原城でさえ、北条氏の時代には
天守閣はありませんでした。
そんな史実を無視して、天守閣など無かった山城址に
コンクリートの天守閣を建てるのは、本来筋違いな行為なんですよね。
この万木城では予算が足りなかったのか、非常にビミョーな
天守閣風物見櫓モドキという感じの物がこうして建っております。
可能ならコンクリ造りでも良いので、戦国期の物見櫓風の建物に
建て替えてほしいと、戦国マニアは勝手なことを呟く次第であります...。
でもこの物見櫓モドキからの眺めはとても良いんですね。
今は田植えのシーズンでもありますので、各地の田んぼでは
田植えを行う光景が見られました。
「やはり日本人なら米を食わねば
」と言いつつ、
「やはり日本人なら米を食わねば

実際は米の消費量が減りつつあるワタシ...。
物見櫓からみる鯉のぼり。我が家では鯉のぼりはありませんし、
鯉のぼりを上げる家庭も減った現在では、結構貴重な眺めであります。
つつじもこれだけ沢山咲いてると、圧巻であります。
小野忠明(御子神典膳)について書かれています。
しかしこの看板では小野忠明は土岐氏の家臣と
書かれていますが、小野忠明Wiki
には、
「里見家の家来として万喜城攻撃に参加」と書かれており、
一騎討ちの相手である正木時堯のWiki(正木時堯Wiki
)には
正木時堯も里見氏の家臣と書かれているので、
どれを信じて良いのか判断に戸惑います。
そのあたりの事実関係は、いつの日か詳細が判明したら
また記事にしたいですねぇ...。
取るに足らない小城の万木城ですが、それなりに面白かったと
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