平清盛第12話「宿命の再会」Vamos的解説1 「清盛は未だに荒れている!」編

の続編記事になります。



再開した大河清盛の記事ですが、今までの手法だと手間が

かかりすぎることもあり、手法を多少変えて気になったシーンに

焦点を当てて、そうでもないシーンには触れないでいく方針にします。

では頼盛元服の後から始めます。


※使用した画像は、ドラマの内容の批評を目的として、

  NHKの公式HPの動画及び録画したデータから取得し、使用しています。



あらすじ

清盛の館には明子の友人・時子が清盛の息子たちの世話をしに

たびたび訪れていた。それを知った時子の弟・時忠は清盛を訪ね、

いきなり時子を後妻にするよう願いでる。

あわてて時忠をいさめる時子に向かい、清盛はもう館に来るなと怒鳴る。

明子を忘れられないので、その記憶をかき乱されたくないという

のが清盛の言い分である。


徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

前話では「母上の音色と違う~しょぼんビックリマーク」と言われていた

深キョン時子さんの琵琶ですが、いつの間にか

清盛の二人の息子達は時子さんに籠絡されていましたビックリマーク
その様子を見た
清盛が、時子に対して

「下手くそな音色を聴きたくないプンプンビックリマーク

と怒鳴り散らし、時子が

「明子(清盛の前妻)直伝の音色だし、子供達も

喜んでいるビックリマーク(実際子供達は、微笑んでました)」

と反論すると、

「我慢しておると言うておるのが、

ワカランのか~プンプンビックリマーク

と再度大声で怒鳴り散らす清盛。

相変わらず、成長しない(中二病とも言われてますねぇ...)主人公清盛。

一応後で「下手くそだから聴きたくないと言ったわけではない」

と時子に語り、一応フォローはしてましたが...。

主役のマツケン清盛には、何かあるとすぐ大声で怒鳴り散らす

シーンが多すぎて、正直感情移入というものが全く出来ませんビックリマーク


ツイッターやブログ、2chのスレなどを見る限り、

このドラマの視聴者の反応で多いのが、

「主役の清盛は駄目だけど、それ以外の人物のシーンは良い」

というものです。私も、大筋でその意見に同感です。

マツケン清盛が出張るシーンで、いいシーンだと素直に

思えたシーンはないですねぇ...。


場面が変わり、清盛の義弟となる時忠の初登場シーンになります。
このシーンでは、時忠のリアリストぶりが表現されてて、

「こんなにストレートな物言いではあるまい」と思いつつも、

後の平大納言時忠らしいキャラ造形であること自体には

好感が持てました。そのシーンでの台詞を部分抜粋します。



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姉の時子が、清盛の悲しみに付け込んでいると言い放つ時忠。

さすがに「ズケズケと本音を言い過ぎだろう」とは思いましたが、

リアリスト平時忠のキャラ造形としては、許容範囲かな?


時忠

「(清盛に対して)我が姉を後添(後妻)に迎えてはいただけませぬか?」


時子

「(清盛に向かって)弟がとんだご無礼を。時忠、無体なことを

言うものではありません。清盛様は明子様を亡くされた悲しみから

立ち直れずにおるのですよ」


時忠

「姉上もそこに付け入っておるではありませぬか。

若君方を世話してて、明子様にとって変わろうとしてるのでしょ?」


時子

「清盛様は、明子様だけの光る君です!」

中略)


清盛

「時子殿、琵琶を止めよと申したのは下手くそ故ではない。

耳に残る 明子の音色を かき消されとうないのだ」


妻を亡くして悲しんでいる清盛に対して、面と向かって

「自分の姉を後妻に迎えてくれ」と言い放つ時忠。

現実には到底ありえないシーンであると思いますが、

壇ノ浦合戦の後に自分の娘を義経の妻に差し出した

時忠というリアリストの発言として、キャラ造形そのものは

受け入れられる話の展開です。


ですが、清盛の部下である盛国に頼まれたからとはいえ、

押しかけ女房同然の振舞いを続ける時子に対して

「姉上もそこに付け入り、明子にとって変わろうとしている」

とズケズケと言い放つところは...。大物なのか、

何も考えてないだけなのか、判断に迷うところであります。





続いて、この記事の本題である「水仙を持ってまいれ」事件に移ります。


あらすじ

1145年、出家した待賢門院は重い病で床についた。

鳥羽院は取り乱し、待賢門院を慰めるために、

季節外れの水仙を探すことを配下の武士に命じる。

清盛は反発するが、家盛に説得されて一門のために水仙を探すことに。

水仙を探し回る清盛の前に、東国から帰った義朝が現れた。

義朝は部下が奥州で見つけた水仙を持参しており、

鳥羽院に届けると告げて去った。



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出家した待賢門院(璋子)が、国母となった得子のもとを訪れるシーン。


二人の女の戦い(一方的に得子が仕掛けていただけですが...)は、

権力奪取という点では得子に軍牌が上がりました。

ですが、待賢門院(璋子)はそれと引き換えに心の安寧を得たと

いうドラマでの描写。得子も、誇らしげに勝利宣言といった

感じでもなく、想像してたよりずっとあっさりとしていた、

璋子vs得子という宮中昼ドラの終幕でした。


その後待賢門院(璋子)は重い病にかかり、報せを聞いた

鳥羽院は、非常に取り乱します。
藤原璋子Wiki  によると、璋子が亡くなったのは久安元年8月22日

(1145年9月10日)となっています。鳥羽院が取り乱したのが

璋子が死去したひと月くらい前だと仮定しても、西暦だと8月です。

そのことを念頭におくと、これから展開されたシーンの

ハチャメチャさが分かるというものです。


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近臣の制止も耳に入らず、花畑に押し入る美坊主鳥羽院ビックリマーク



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「水仙、水仙の花はどこじゃビックリマーク

今時水仙の花など咲いておりませんという近臣の言葉に、

やっと我にかえった鳥羽法皇でしたが...

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「すぐに水仙の花をもてと、

者共に申し付けよビックリマーク

という、滅茶苦茶な無茶ぶり叫びをかましてくれましたドクロビックリマーク


季節の花300というHPの 水仙 の記載を一部抜粋します


>開花時期は、12/15頃~翌4/20頃。早咲きものは正月前には

すでに咲き出している(「日本水仙」「房咲き水仙」などの 早咲き系は

12月から2月頃に開花)。
3月中旬頃から咲き出すものは花がひとまわり大きいものが多い。
(「ラッパ水仙」や「口紅水仙」などの遅咲き系は、3月から4月頃に開花)
・地中海沿岸原産。平安末期に中国から渡来>


平安末期に中国(宋)から渡来とありますので、ドラマが展開されている

時代には既に水仙の花は日本にあったことは問題ありません。

問題なのは咲く時期。恐らく当時日本にあった品種は日本水仙でしょう

から、開花の時期は12月~2月頃。つまり完全な冬の花です。

なのに、ドラマでは8~9月という夏場の時期に鳥羽法皇が

「水仙を探して持って来いビックリマーク」と無茶ぶりしてるわけです。

この件も、番組放映後のツイッターや2chなどではその無茶ぶりさが

話題になっておりました。


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「季節外れの水仙を探せ」という鳥羽院の命に清盛が反発するのですが、

家盛に説得され、一門のためといって水仙探しに出かけます。

しかし花の時期の問題を抜きにしても、この話の展開は無茶苦茶だビックリマーク

別に鳥羽院は清盛を指名したわけではありません。

だから家盛が見つけようが、その家人がみつけようが、手元に

水仙さえ届けばいいはずです。

なのに家盛は自分で探しに行かず、兄の清盛に探しに行くように

説得する。説得された清盛も清盛で、自分一人で探しに行く。

変すぎますよ、この展開ビックリマーク

別に家盛や清盛が探しに行かなくても、平氏の家人達に命じて探させ、

見つかったらそれを忠盛なり、清盛なり、家盛なりが

鳥羽院に届ければ話が済むのです。


まぁ清盛自身が探しにいかないと、ドラマとして面白くないと

いうこともあるでしょう。しかし、それだとしても、散々

「平氏の御曹司」と一応持ち上げられてる清盛が、

何故腹心の部下である盛国さえも連れていかないで、

一人で野山を駆け巡っているのでしょうか?理解に苦しみますビックリマーク



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そう思いながら見ていたら、案の定このシーンで再会した義朝が

水仙の花を持っていて、「部下に探させて、奥州から届けさせた」

と自慢げに清盛に語ります。

水仙がこの時期にあるのか?ということは一旦保留して

話を続けますが、それが人の上に立つ名門武家の次期頭領という

ものでしょう。別に自らが野山を駆けずり回らなくても、

部下に探させればいいのです。

本当に主人公の清盛も変ですが、主を一人で水仙探しに行かせる

部下も部下です。まぁこのあたりは完全に脚本の問題ですね。


あらすじ

床に伏した待賢門院に鳥羽院は水仙を握らせる。

待賢門院は最後に人をいとしく思う気持ちがわかったと言うと、

泣き叫ぶ鳥羽院を残して息を引き取る。


義朝が持参した水仙が手元に届いた鳥羽院は、勇んで待賢門院を

見舞いに行きます。

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璋子、璋子と枕元で何度も呼びかける鳥羽院。

「しっかりせいビックリマーク

と鳥羽院が大喝した刹那、目を覚ました璋子に対して...


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鳥羽院はすかさず水仙の花を手渡します。



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そして鳥羽院は待賢門院に頬を寄せ、抱擁するのですが...


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「なりませぬビックリマーク」と連呼する院の近臣達によって、

鳥羽法皇は待賢門院から引き離されてしまいました。

この近臣達の行為は、病が法皇にうつってはイケナイという

彼等なりの忠誠心から出た行為ですし、当時よくあった光景

ではないかと思います。ですが、慌てて引き離すくらいだったら、

始めから病人に近寄らせるなとも思ってみたりして...。

画像では分かりませんが、このシーンではセミが鳴いてる

声が聞こえてきます叫びビックリマーク「水仙の花が咲く時期ではない」と

重ね重ね思わざるを得ないシーンであります。


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待賢門院のいる部屋の扉にすがりつき、泣き崩れる鳥羽院。

鳥羽院を演じている三上博史の演技は素直に絶賛ものです。

ツイッターでも鳥羽院の人気ぶりは凄いものです。

私も水仙がトレードマークの鳥羽院には、素直に萌えています。

ただ、セミの鳴く時期に「水仙を持ってまいれ」という

無茶ぶりは、さすがにギャグとしか思えませんでしたが..。


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「ああ~、我が君!璋子は今、

愛しさに包まれておりますビックリマーク

この言葉を最後に、待賢門院(璋子)は永眠しました。


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「璋子~ビックリマークと叫びながら、扉を叩き続ける鳥羽院。

演じている三上博史は、本当にいい仕事してます。


ナレーション(頼朝)

久安元年8月22日待賢門院がこの世を去られた



ブログ記事を書くために録画分を見直して初めて気づきましたが、

ちゃんとナレーションで8月(西暦では9月10日)に待賢門院が

亡くなったということを言ってたんですね。しかし、それで尚更

「この時期に水仙があるわけないだろ~」というツッコミを

煽る原因にもなったように思われます。



徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

「地獄を味あわせたかったのに、今では

極楽に行かれることを願って止まぬ」

最大のライバルの死に際し、「鬼の目にも涙」といったところでしょうか?

死者の成仏を願って手を合わせる、美福門院得子様でありました。



平清盛第12話「宿命の再会」源平の御曹司のロクでもないプロポーズ編

に続く予定です




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