NHK Eテレの「さかのぼり日本史」で取り上げられた日韓基本条約についてPart1

の続編になります。


以下の青字で記した抜粋部分は、番組公式HPから部分引用した、

さかのぼり日本史『戦後“経済外交”の軌跡

第三回 経済援助 積み残された課題』の内容です。


公式HPの『戦後“経済外交”の軌跡』該当ページ
※番組内容の批評を目的として、NHKの番組公式HPから

  該当箇所を部分抜粋しております


>歴史の証言
外交交渉は“命がけの外科手術” ~柳谷謙介さん

日韓基本条約締結にいたる議事録は近年まで詳らかに
されていませんでした。動きがあったのは2005年のこと、
外交文書開示を求める国民の声を背景に、韓国政府が
関連文書の全面公開に踏み切りました。
日本でも全面公開を求める声が高まり、市民団体の
働きかけを通じて、現在、部分開示が進んでいます。
公開された文書から浮き彫りになってきたのは、
14年にわたる長い交渉の中で、
歴史問題が“棚上げ”されたままになっていることでした。
今回、日韓関係の再考に役立つのであれば、
と快く取材に応じて下さったのが、外務省北東アジア課で
終盤の交渉に携わった柳谷謙介さんです。
柳谷さんは、両国の主張が平行線を辿り膠着した状況の中で、
“経済協力”方式の提案をとりまとめました。
それは、両国の外交官が国内の批判を覚悟で見つけた、
唯一の落としどころだったと言います。
外交交渉は外科手術にも例えられます。
病の原因を取り除くため最善を尽くしますが、
手術が見かけ上成功しても、予後の観察や場合によっては
再手術が必要となるからです。
残された課題には今を生きる私達こそが
向き合わねばならないと思います。>
部分抜粋終了


外交担当者として、実際に交渉に携わっていた人の言葉は、
やはり重いです。歴史問題が棚上げされたままであったといいますが、
柳谷さんが仰るとおりそれを棚上げして経済協力方式で
議論を進めるしか、日韓基本条約締結への
道は開かれなかったと、
ことの経緯を調べてみた以上思うことが出来ません。
ですが、こうした日本側の誠実な姿勢を韓国側が
踏みにじり続け、迷惑な反日活動ばかりを延々と続けているから、
「韓国とは国交を断絶しよう」という意識も芽生えてくるというものです。

それでは番組で放映されていた箇所の音声を抜き出し、
それを基に日韓基本条約交渉について考えてみます。

>その後も続けられた日韓会談。交渉開始から9年が経過しても、
大きな進展は見られませんでした。
しかし1961年、韓国の政権交代を契機に、事態が動き始めます。
軍事クーデターで政権を掌握したパクチョンヒ大統領が、
日本との国交正常化に意欲を示したのです。
当時韓国は朝鮮戦争の荒廃から立ち直っていませんでした。
一人あたりの国民所得は、日本の五分の一に満たない82ドル。
世界の最貧国のひとつでした。
パクチョンヒ大統領は貧困からの脱出を目指して
経済五カ年計画を策定。外国資本の導入を大きな柱としました。
パク大統領が交渉の妥結に向けて日本に送り込んだのが、
当時韓国の中央情報部長だったキム・ジョンピルさんです。

キムジョンピル【韓国中央情報部長(元)】
「生きるためにはそうしなければならない。
そのためにはまず日本と手を結んで、
日本の協力を得ながら出るるしか方法がない。
韓国の近代化のためには、工業化のためには、
必ずうち開かなければならない道なんだから」

一方日本側にも事態打開に向けた動きが出ていました。
第五時会談前に作成された外務省の機密文書です。

(外務省機密文書の内容)
日韓会談を早急に妥結するためには、
韓国に対して何らかの経済援助をすることが不可避であり、
我が国にとっても過去の償いでなしに
韓国の将来の経済に寄与するという主旨であるならば、
経済援助を行う意義ありと認められる

当時外務省北東アジア科で、経済協力方式のとりまとめに
奔走したのが、柳谷謙介さんです

柳谷健介【外務省北東アジア課課長代理(当時)】
「それによって韓国との関係が良好になることは、
日本にとっても長期的な国益だという意識がありましたからね。
そうなると請求権については、
何か落としどころを具体的に見定めなければならない。
今でも私はそう思ってますけど、あのような解決の他にですね、
別の選択肢があったのかというと、
無かったのではないかという気がしますね」>

パク・チョンヒ(朴正煕)という日韓関係の正常化を目指す
大統領の出現によって、日韓交渉は新たな展開をみせる
ことになったのですが、それはパク大統領が当時の韓国の
貧しさを直視し、「外国資本の投入によって経済成長を遂げよう」
という現実路線を採ったからであると、私は理解しています。

そういった韓国側の姿勢は、韓国側の交渉の責任者であった

キムジョンピル元韓国中央情報部長の発言からも明らかです。

ですが、日本側の柳谷氏の発言を見ても分かるとおり、

請求権をはじめとする韓国側の困った主張はなおも続いたわけです。
そのあたりを、番組で紹介された部分の音声を拾ってみてみます。

>第六次日韓会談【昭和36(1961)年】では、
どのような形で資金を支払うべきか交渉が始まりました。
しかし、金額を巡って議論は膠着。
決着は両国の政治折衝に委ねられます。
韓国のキム・ジョンピル中央情報部長と、大平正芳外務大臣の会談です。

キム・ジョンピル(以下キム)
日本はどのくらい支払うことができるのか?最終的な数字を言ってくれ

大平正芳(以下大平)
大体三億ドルを考えている

キム
韓国側としては到底受け入れられない数字だ。
どのようなことがあっても、六億は超えなければならない

大平
もう一つの問題は名目だ。我々としては国民と国会向けに
独立祝賀金や経済援助と表現できれば良いが

キム
日本の事情はそうだろうが、我々は請求権という名目を使用しても
逆賊扱いされる状況なのだ

大平
しかし、請求権だと7000万ドルさえ難しい。

キム
お互いに難しい問題だ。ちょっと棚上げにしよう。

会談での最終合意内容を記したキム大平メモ。
日本側から提案した無償援助三億ドルに有償援助二億ドル
などを加えて、韓国側の要求額に近づけたことが伺えます。
しかし支払いの名目をどうするかについては、
依然として大きな課題となって残りました。>

この当時の為替レートは1ドル=360円ですから、
日本の提案した三億ドルの支払い額は1,080億円になります。
1961年(昭和36年)当時の日本の国家予算(一般会計)が
2兆635億円ですから、国家予算の約5%程を韓国に
支払うと提案したわけですが、
韓国は日本の提案の倍額を要求してきたわけです。
当時の韓国の国家予算は3.5億ドルと言われていますので、 
「韓国の国家予算にほぼ匹敵するような額を無償で支払います」
という日本の提案は充分過ぎるほど紳士的であると、私は思うのですが...。
ちなみに今年平成24年度の日本の一般会計総額は90兆3339億円
ですので、現在の金額で国家予算の約5%とすると約4.6兆円くらい
になります。これで満足せず、その倍額を要求してきたわけ
ですから、厚顔無恥なのはどちらなんでしょうか?

※1961年(昭和36年)当時の日本の国家予算については、財務省HPの 

第5節 予算 1.国の予算と財務局予算の推移

を参照しました。

韓国の1961年当時の国家予算については、

日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約Wiki

の記載を参照しました。

Wikiの記述に従えば、結局日本から韓国に支払われた金額は
約11億ドルにもなりました。その内訳を抜粋します。

Wikiからの抜粋
>3億ドル相当の生産物及び役務 無償(1965年)(当時1ドル=約360円)
2億ドル 円有償金(1965年)
3億ドル以上 民間借款(1965年)
計約11億ドルにものぼるものであった。
なお、当時の韓国の国家予算は3.5億ドル、
日本の外貨準備額は18億ドル程度であった。>

これに加え、約53億円億ドルといわれる朝鮮半島における
日本の資産の請求権を放棄したのですから、
無償で56億ドル、有償や民間での借款が8億ドルにものぼる
巨額の資産や資金を韓国に援助したことになります。
しかも個人補償の問題は、韓国の要求通りそれを含めた
一括払いで韓国政府に支払ったのですから、
日本から支払われた資金を個人補償にはほとんど使わずに、
インフラ整備に使ってしまった韓国政府の姿勢が間違っていたと
いわざるをえません。
「日本は充分に補償したから、日韓基本条約で韓国に対する
補償問題は全て解決済みである」
とする日本側の真っ当な主張は、こうした事実が根拠となっているわけです。

※日本が請求権を放棄したという
  「朝鮮半島における日本資産が約53億ドル」という点、
 及び韓国の要求通りに個人補償を含めた金額を一括払い
 したという点については、
 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約Wiki
 における記載を参照しました。

そんな事実を無視して、1980年代になって生まれた
従軍慰安婦なるワケ分からん言葉を基に、
現在に至るまで韓国では日本に対して
「個人補償がまだなされていないビックリマーク」と火病しているのですから、
話にならないのは私が今更言うまでもないことでしょう。
要するに韓国を満足させるには、彼等の無茶苦茶な言い分を
100%認めるしかないわけであり、そんなことは独立国家である
日本としては到底受け入れられないことであります。
※一般の韓国人が一方的に日本を悪いと考えている理由の一端は、
日韓基本条約における交渉経緯や合意内容を、
韓国政府が自国民にほとんど告知してこなかったという
ことも大きな原因です。この件については近年になってようやく
情報公開されてきているそうですから、少しでも韓国国民が
事実関係を知り、冷静な判断が下せるようになることを願ってやみません。

ちょっと番組の内容からそれてしまいましたので、
番組内容の検証に戻ります。
以下は、困難な交渉がひとまず経済という落としどころをみた
という点についての番組キャスターの質問と、それに回答する
井上教授のやりとりを、ほぼ言ってるままに抜き出したものです。

>キャスター(石澤典夫氏。以下キャスターで統一)
困難な交渉が、ひとまず経済という落としどころをみたのは、
韓国が経済重視の政権に交代したことが
大きな要因と考えていいのでしょうか?

学習院大学教授井上寿一氏(以下井上教授で統一)
この頃のアジアの主な国の政治体制は、開発独裁体制と
呼ばれるものでした。民主化を後回しにして、まずは強力な権力をもった
政府が、経済発展を最優先していこうという政治体制でした。
インドネシアのスハルト大統領や、中国の共産党、こうした
アジアの国々と同じように、韓国もパクチョンヒ大統領の下で
経済優先の政治体制でした。

他方で日本は戦後再び、経済力でアジアに出ていこうとしました。
ここで開発独裁体制のアジアの国々と日本とが経済的な利害関係の
一致を見出します。これでアジアの権威主義的な開発独裁体制の
国々と日本とが協力する余地が生まれたということです。

キャスター
経済という落としどころで合意は見たものの、
韓国側は請求権にあくまでこだわりますよね。それはどうお考えですか?

井上教授
韓国側はそもそも併合条約事態が無効だという立場です。
36年間という日本の植民地統治は無効なんだ、不法なんだということですね。
不法な状態が続いたのだから、その間に生じた様々な損害を
補償する、それを請求するのは当然の権利なんだということなんですね。

キャスター
一方の日本は、経済協力という点にこだわり続けますよね?

井上教授
大きく分けて二つの理由があります。
日本側には植民地統治に対する罪の意識が乏しかった。
「なんで請求権に応じなければいけないんだ?」ということになります。
もう一点は、日本が韓国を後進国だとみていたからなんです。
交渉終盤の1960年代ですから、日本は高度経済成長のピークに
達しております。欧米の国と同じように、
日本も今度は途上国側を援助する立場だ、
いわば上の立場に立ったんだということなんですね。
ですからそこには罪の意識でそれを償わなければならない
ということではなくって、先進国が途上国に経済援助するという
無意識での優越感というものも表れてきました。>


「ひとまず経済とう落としどころによって交渉が進んだと考えてよいのか?」
という番組キャスターの質問に対し、語り手の井上教授は
「開発独裁という当時のアジア諸国の政治体制と、日本との間で
協力の余地が生まれた」という内容の回答をしています。
「このやりとりについては、一々もっともである」と私も考えます。

続いて「韓国側がこだわる請求権について、それはどうお考えですか?」
という番組キャスターの質問に対し、井上教授の回答は、
韓国側の考え方をそのまま説明したものです。
「日韓併合条約自体が無効であり、不法状態であった。
だから、その間に生じた様々な損害を補償する、
それを請求するのは当然の権利である」
そのあたりの基本認識が、日韓併合は合法的行為であったとする
日本の言い分と全く食い違っているから、日韓会談が上手くいかなかった
ということは事実ですから、この点も問題はありません。

問題は、最後の日本が経済協力という点にこだわったというところです。
この質問に対する井上教授の回答を要訳すると、

①日本側には植民地統治に対する罪の意識が乏しかったため、
「なんで請求権に応じなければいけないんだ?」という意識であった

②日本は韓国を後進国だとみていた。事実交渉終盤の
1960年代の日本は高度経済成長のピークに達していたので、
日本も今度は途上国側を援助する立場であるという
自覚を持つに至った。
元々日韓併合が罪とは思っていないのであるから、
罪の意識でそれを償わなければならないということではなく、
先進国が途上国に経済援助するという無意識での優越感
というものが生じたのである


という2点に絞られます。①については既に色々と

説明してきたことですから、ここでは取り上げません。

問題は②の「日本は韓国を後進国だとみていた」という箇所。
これもそのとおりだと思います。実際番組でも、
「当時の韓国の国民平均所得は日本の五分の一の82ドル」
と説明してましたし、朝鮮戦争の傷痕も癒えてなくて
世界の最貧国のひとつであったことは事実そのものです。

それに対して、60年代の日本は高度成長期の終盤に差し掛かって
いましたから、井上教授の仰るように「途上国を援助する立場」
だと考えるようになったのも当然でしょう。
それに日本側は日韓併合は合法的な行為であったから、
韓国に対して罪の意識で償わなければならない」
という意識はありません。
それどころか、この当時では韓国による竹島の不法占拠及び
李承晩ラインの設置の結果として、多くの日本漁船が
韓国側に拿捕されており、漁師を始めとする多くの日本人が、
韓国側に不当拘束されてました。竹島が今でも韓国に不法占拠
され続けていることは、今更言うまでもありません。
むしろ罪は韓国側にありました。
そんな韓国側の不法行為に一切触れずに、
「日本が韓国に対して上から目線で接した」
ということばかり強調するのは、アンフェアな態度であると私は考えます。
まぁこの番組の放送時間である25分間という時間で、
そこまでの内容は詰め込み不可であるのも分かります。
ですからもっと長い時間枠を設定して、もっと日本の置かれた
立場の説明を丁寧に説明する、もしくは25分枠でもいいから
複数回にかけてじっくりと取り組んでもらいたいものです。
番組後半で放送された請求権についての交渉については、
長くなりましたので続編記事とします。



歴史 ブログランキングへ

アップ日韓基本条約の理解について、少しでも参考になったと思われた方、

  応援の一クリックをお願い致します。


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

アップ日韓基本条約の理解について、少しでも参考になったと思われた方、

  応援の一クリックをお願い致します。