4月からの番組改編でリニューアルした「さかのぼり日本史」。

現代から過去へと歴史をさかのぼって紹介していくスタイルの

番組で、昨年の11月くらいから私はチェックしていました。

さかのぼり日本史公式HP



私は歴史好きではありますが、関心が高かった分野が

古代支那大陸史及び日本史では戦国時代であるために、

近現代史がウィークポイントであることを自分でも自覚しております。

そもそも学校の歴史の授業では、近現代史に入る頃には

もう学年末であったので、ほとんど駆け足でまともに教わった

覚えがありません...ドクロ

特に自分でも追求して調べたりすることがなくこの歳まで

過ごしてきてしまいました。


徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

高校時代の修学旅行で初日に広島に行きましたが、

原爆ドーム見物はともかく、

「夜に被爆体験者のお婆さんをホテルに呼んで、お話を聞く」

という趣向には正直辟易しました。

私は一応黙って静かにお話を伺おうとしていましたが、

周りの連中がうるさくてあまり話が聞こえていませんでした。

「これではワザワザ来てもらった被爆体験者のお婆さんに

申し訳ない。まぁ修学旅行の夜にこんな企画をすること

自体が無謀だよなぁ...」と冷めた目で状況を見つめていた

覚えがあります。

案の定私達の代で失敗といって良い結果に終わった広島行きは、

翌年からは無くなったようでした。

「私達の代では、体よく実験台に使われてしまったなぁ」

という気持ちになったのを思い出します。


まぁ今にして思えば

「良くも悪くも、私の同級生達の殆どが自虐史観とは無縁であった」

という証拠であるなぁと思えます。

そんな記憶を振り返りつつ、最近になって日本の歴史教育の

おかしさ(特に近現代史)や中韓の歴史教育の歪みから生じる

歴史認識の違いに関心が高まってきたため、

特に近現代史を扱う番組はなるべくチェックするようにしています。

それに今年放送する「さかのぼり日本史」のテーマは

日本外交史ですので、まさに現在の私が欲する情報が

色々出てきそうな予感があり、放送開始から欠かさず

チェックしています。


今までブログ記事にはしてませんでしたが、

ツイッターではさかんに呟いていたのです。
色々とこの番組には思うところが生じてきたのですが、


特に4月17日(火)に放送された

『戦後“経済外交”の軌跡

第三回 経済援助 積み残された課題』

の回では「番組作成の姿勢がおかしいのでは?」

と思わずにいられない点が多々ありましたので、

今回ブログ記事にすることにした次第です。

以下の青字で記した抜粋部分は、番組公式HPから部分引用した、

さかのぼり日本史『戦後“経済外交”の軌跡

第三回 経済援助 積み残された課題』

の内容です。


公式HPの『戦後“経済外交”の軌跡』該当ページ
※番組内容の批評を目的として、NHKの番組公式HPから

  該当箇所を部分抜粋しております


抜粋始め

1960年代、アジアの国々に先駆けて、高度経済成長を

果たした日本。「OECD(経済協力開発機構)」加盟によって

先進国入りを果たした結果、他のアジア諸国に対して

後進国との認識を持ち始めていく。

このアジアと日本の関係を最も象徴しているのが、

“援助国”と“被援助国”というその後の外交路線を規定した

「日韓基本条約(1965)」だ。

両国の歴史認識の隔たりから、交渉は14年の長きに渡り、

最終的に到った合意では、歴史問題や領土紛争は棚上げにされ、

戦後賠償は約5億ドルの“経済援助”へと置き換えられた。

それは、後の両国の華々しい経済成長を形作ることと引き換えに、

歴史問題の禍根を先送りする行為でもあった。

日本が“アジア”において経済優先の外交路線に傾いていった

転換点を、「日韓基本条約」の交渉経緯から象徴的に浮き上がらせる。

抜粋終了


以下で、抜粋部分を具体的に見ていくことにします。

>1960年代、アジアの国々に先駆けて、高度経済成長を

果たした日本。「OECD(経済協力開発機構)」加盟によって

先進国入りを果たした結果、他のアジア諸国に対して

後進国との認識を持ち始めていく。>



この点は、偽らざる事実であると私も思います。

物心ついた時の私は、「日本=先進国、他のアジア諸国は

発展途上国(後進国と同義語ですよねぇ...)という

認識を普通に受け入れていました。私は1975年生まれです

ので、物心ついた時=1980年代前半頃です。

この頃は今のように情報があふれている時代ではとても

なくて、また幼子だった自分は特に新聞も読んでおりませんでした。

だから情報の入手先はTV、学校の教科書や授業、図書館で借りる本

が中心でした。特に図書館で学研の学習漫画などを盛んに借りて

読んでいましたが、そういった中で自然と

「日本は先進国だが、他のアジア諸国は遅れている」

という認識が植え付けられていったのでしょう。

時代は1980年代前半ですから、あながち間違った認識とも

言えない頃の話であります。そういった私の子供時代の風潮は、

既に1960年代には芽生えていたということでしょうね。



>このアジアと日本の関係を最も象徴しているのが、

“援助国”と“被援助国”というその後の外交路線を規定した

「日韓基本条約(1965)」だ。>

『「日本=先進国=援助国であり、

他のアジア諸国=発展途上国=被援助国である」

という認識が生じる端緒となったのが、

1965年に結ばれた日韓基本条約である」

これが、この回で番組側が主張している点です。

更に詳しくみてみましょう。

>両国の歴史認識の隔たりから、交渉は14年の長きに渡り、

最終的に到った合意では、歴史問題や領土紛争は棚上げにされ、

戦後賠償は約5億ドルの“経済援助”へと置き換えられた。

それは、後の両国の華々しい経済成長を形作ることと引き換えに、

歴史問題の禍根を先送りする行為でもあった。

日本が“アジア”において経済優先の外交路線に傾いていった

転換点を、「日韓基本条約」の交渉経緯から象徴的に浮き上がらせる。>



番組では、「日韓両国の歴史認識の隔たりから交渉がまとまらず、

長い年月を要したわりには歴史問題や領土紛争が棚上げされた」

と主張していました。そのこと自体は全くそのとおりであります。

しかし、なぜ日韓両国で歴史認識がそこまで隔たりがあったのか?


まずは番組内で取り上げられた日韓会談の模様を、

音声を拾って以下に抜き出して、青字で表記しました

(一字一句同じとはいきませんが、概ねそのまま音声を拾っています)。


>サンフランシスコ平和条約締結後、独立を回復した日本は、

アジア各国との戦後補償が大きな問題となりました。

その中で韓国との国交正常化を韓国との日韓会談もはじまりましたが、

交渉は当初から難航。

両国は植民地時代の地代保証を求める請求権について対立。

賠償を主張する韓国に対し、日本は

「植民地支配は合法であり、賠償金を支払う必要はない」と拒絶。

反対に戦時中に朝鮮に残してきた財産の返還を求めました。
議論は平行線を辿り、会談は二箇月で物別れとなります。>


植民地支配は合法であるとする日本。実際当時の国際法に

則って日韓併合はなされたのであり、日本は日本の持ち出し資金で

朝鮮半島に多額のインフラ投資をしたのは事実です。

それに後でも触れますが、「日本が財産の返還を求めた」という箇所は

「朝鮮に残してきた財産の返還と、韓国の言う請求権を相殺しよう」

というのが事実であり、国際常識から言えば随分寛大な申し出で

あります。それでも会談が物別れに終わったのは、

日本側の提案を韓国側が完全に拒否したことが原因です。

それなのにこうした書き方をされると、

これは悪質な日本悪玉論への誘導だなぁ...」と思わざるをえません。

NHKの番組は、こうしてさり気なく日本悪玉方面へ誘導している

から、注意が必要であると最近になって気付いたワタシです。

番組で放送された音声からの引用を続けます。


>その後も公式非公式で会談は続きましたが、しかし第三次会談での

日本の久保田代表の発言が、対立を決定的なものにします。


日本側主席代表 久保田貫一郎

「日本としても、朝鮮の港や鉄道を作ったり農地造成をしたりしたし、

大蔵省は当時多い年で年に二千万円も持ち出していた。

これらを返せと主張して、韓国側の政治的請求と相殺しようと

いうことになる」

この発言に韓国側は猛反発。全面的に撤回しない限り、

会談は続行できないと、事実上の決裂状態となりました。

韓国の国会では発言を取り消しを求める決議案を採択。

久保田発言は会談の基礎を完全に壊すものであるという

政府声明を出します。


一方日本の国会では、決裂の原因は韓国側にあると表明。

政府は会談は韓国側の理不尽な態度によって、継続不能に

陥ったと発表しました。

両国の関係改善を目指したはずの日韓会談は、

植民地支配に対する歴史認識の違いを浮き彫りにしました。>


この部分では、何故久保田発言といわれるものが出てきたのか

について全く触れられていません。まぁこの番組が1回あたり

25分しかない割に壮大なテーマを扱うから、仕方のない

一面もあるにはあるのですが...。ですから、ググッて見つけた

資料をもって補足することにします。


データベース世界と日本(東京大学東洋文化研究所田中明彦研究室)の

日本と朝鮮半島関係資料集  に

日韓会談「久保田発言」に関する参議院水産委員会質疑

という箇所があります。改行などが全然されてなくて読みにくい

文章ですが、参院で久保田貫一郎氏が久保田発言と言われる

発言を行なった経緯を述べているやりとりの一部始終が

掲載されています。その中から、久保田氏の国会答弁の

一部を部分抜粋してみます。


>十月六日から開かれましたいわゆる夏休み後の会議は、
非常に劈頭から空気が変つておりまして、

韓国側では漁船を捕えたり、船長以下船員を抑留したり

実力行使をやつておつたものですから
そういう既成事実の圧迫の前にあらゆる問題を

一気に解決しようと図つたように思われます。

従いまして請求権の分科会でも劈頭早々先方では

今までのようないわゆるフアクト・フアインデイングと言いますか、

事務的なことをやめて、単刀直入に問題の本質に

入つて行こうということで、

向うのほうからは請求権の問題につきましては、
日本側の要求というものは認められないので、
日本側の請求権というものはないのである。
請求権の問題として考えられるのは

韓国側から日本に対する請求権の問題だけである。
その範囲できめればいいのだ、

そういうふうに出ておりましたものですから、
勢い我が方としても主義の問題に入らざるを得なかつた
わけでありまして、
私どもとしましては日本側の従来の請求権の、
つまり私有財産の尊重という原則に基いた対韓請求権は
放棄しておらないのだという議論に

入らざるを得なかつたわけでございます。>


久保田代表の言に従えば、

①韓国側は漁船を捕えたり、船長以下船員を抑留するといった

実力行使をやっており、そういう既成事実の圧迫の前に

あらゆる問題を一気に解決しようと図つたように思われる


② ①の結果として請求権の問題に関しては、

「日本側の要求というものは認められないので、
日本側の請求権というものはないのである。
請求権の問題として考えられるのは

韓国側から日本に対する請求権の問題だけである。
その範囲できめればいいのだ」

という姿勢で韓国側は望んできた


③ ②の韓国側の出方に対し、日本側も主義の問題について

触れざるをえなかった。結果として、日本側は

「私有財産の尊重という原則に基いた対韓請求権は
放棄しておらないのだ」という議論に
入らざるを得なかった


ということになります。要するに韓国は竹島(独島)の実効支配や

漁民の不当拿捕といった実力行使を背景に、

「請求権の問題は韓国側が日本に対して行使する。

その範囲だけで決めればよい」

という韓国の一方的な都合のみを突きつけてきたわけです。

勢い久保田氏も日本の言い分を言わざるをえなくなり、

「日本は自国から資金を持ち出して朝鮮半島を統治し、

それによってインフラ整備もされたのだから、韓国国民だって

利益を得たのだ」

と事実に基づいた発言をせざるをえなかった。

その結果韓国側はお得意の火病を発し、韓国側は久保田発言の

撤回を主張。日本側としては韓国側の一方的な都合を受け入れる

わけにはいかず、日韓会談は物別れに終わったというのが

歴史的事実です。

この展開に対し、語り手である井上寿一学習院大学教授は

このような感じで解説していました。


>「日本側からすると、戦時中に強制労働を強いたりしたかもしれない。

だけど植民地時代に学校を建てたり、橋を作ったり、良いことも

したじゃないかということなんですね。ですから国民の世論では

久保田発言を非難するのはごく一部で、多くの国民は

久保田発言を支持していました。」

他方で韓国側からすると、自分達のためには何にもなっていない。

良いことをしたといっても、それは日本のためではないか

ということなんですね。そういう韓国側の怒りの感情に対して、

日本は鈍感でよく理解できなかったということなんです。

こうしますと、日韓両国の間で韓国併合に対する意識が大きく食い違って

いましたから、その溝を埋めるのはなかなか大変なことだったんですね。>


「久保田発言は日本からしてみれば真っ当な言い分であり、

当時の日本の世論はそれを概ね指示していた。

しかし韓国側は怒りの感情から猛反発し、

日本側はそういった韓国人の感情に対して鈍感だったから、
それをよく理解できなかった」
というのが井上教授の解説の根幹でありますが、

「韓国側の怒りの感情というのがいかに不当なものであるか」
という点が全く抜け落ちているように私には思えます。


日本は事実を基に論理的に議論を展開しようとしたのに対し、

韓国側は感情論、それも不当なまでに日本を悪者にして

自分達を被害者とした感情論で一方的に日本に自分達の

言い分を認めさせようとごねて、日本が理論的に応じて突っぱねたら

お得意の火病を発病したので、会談は物別れに。

こんなんでは、日韓交渉が成立するには多くの矛盾に

目をつぶって問題を先送りする姿勢で骨抜きな一時的合意を

するしかありません。そのあたりは番組後半で触れられていました

のですが、長くなりましたので続編といたします。


NHK Eテレの「さかのぼり日本史」で取り上げられた日韓基本条約について Part2 に続く



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