昨年の1月に購入したまま、ほとんど放置していた
「真田幸村六文銭チョーカー」。これは
『真田家の「不惜身命の六文銭」を所有して、
自らの心の支えとしたい』
という私の長年の思いを満たすアイテムであります。
誰が言い出したのか不明ですが、
「地獄の三途の川を渡る船の渡し賃が6文」
と言われており、その6文を常に身につけることで
「いつお迎えが来ても大丈夫!」という心構えで
戦場に臨んだという真田家の人達。
正直今お迎えがきたら困りますが、そういった心意気自体は
現在に生きる我々も見倣うべきと思っております。
それを収納する巾着袋も付属しています。
これでお値段は1,500円ナリ!
正直高いとは思いますが、こういうレアなアイテムは
そんなに多数を販売出来るわけではありませんので、
仕方がないと自分を納得させつつ、購入してしまいました。
六文銭の要である永楽銭の部分を拡大!
かなり精巧に出来ています。
もちろん本物ではなくレプリカだと思いますが、
とりあえず気分を味わうには十分です。しかし本心を言えば、
本物の永楽銭を最低でも6枚は入手して、
MYリアル六文銭を作成したい![]()
そして、そのMYリアル六文銭をお守り替わりとして
肌身離さず持ち歩くようにしたいものです。
しかし、価格comの古銭で永楽通宝を調べたら、
美品との断りがあるものの一枚2万円~3万円くらいは
平気でしていました
...。
江戸時代の寛永通宝だったら一枚千円程度で入手できる
みたいですが、それでは戦国時代の真田六文銭ではないよなぁ...。
というお店のサイトでは、本物の永楽通宝を使用したという
ストラップが1,780円という価格で販売されていました。
流通ルートさえ分かれば、そんなに高額にならないみたいですが、
ちょっとググッたくらいでは、永楽通宝自体の取り扱いが
あまり見つからない
...。
いつになるか分かりませんが、お金に余裕が出来た時に本気で
永楽通宝の入手について検討してみようかなぁ...。
この私Vamosのマストアイテムとなりそうな六文銭チョーカーですが、
唯一気に入らない点があります。それは商品名に「真田幸村」
と銘打っているところです!
昨今の歴女ブームの牽引役の一翼を担っている真田幸村とは、
戦国BASARAでの真田幸村
こんなファンタジー世界の住人ですから、私は支持出来ません。
こういうのを愛好している人に言いたいのは、
まずは史実の真田信繁を知ってから、その二次創作である
真田幸村を愛好してくださいということです。
史実の真田信繁(幸村)
史実の真田信繁についてある程度理解した上で二次創作である
真田幸村を楽しむ分には、全く文句はございません。
実際私はそんな気持ちで現在の大河ドラマ「平清盛」を
視聴しています。このドラマに対しては色々と言いたいことが
ありますので、その辺りは順次記事にしております。
基本的にドラマを制作しているNHKの姿勢に対して
批判的な私ではありますが、中には「おっ、いいなこのシーン
」
と思うようなところもありますし、不謹慎ながら后の一人である
「待賢門院に言葉の暴力をふるわれて続けて、ズタボロになった
鳥羽院のお姿」に萌えてしまったりしております。
しかし、それは「あくまでネタ
」と分かった上で、
役者の演技の巧みさもあって萌えているのです![]()
「基本ファンタジー時代劇で、たまに史実に忠実なところもアリ」
である「平清盛」という大河ドラマに対し、史実に忠実な点(一般庶民
や盗賊などの身なりの汚さや、かなりな誇張が見られるものの、
鳥羽院や崇徳院が置かれた立ち位置の微妙さ加減の描写、
東国に下った源義朝のガラの悪さ等々
)は素直に称賛します。
演出とは言え、明らかに度を越していると思われる点
(「清盛が宋渡りの剣を愛用しており、それがやたら目立つ画面構成」、
「滅茶苦茶すぎる海賊の身なり」、「王家連発」、
「白河法皇を始めとする皇族に対して、もののけ呼ばわりしている」、
「西行出家の経緯のあまりに酷すぎる展開である」)
等の事柄は批判しています。
そして宮中昼ドラ劇に関しては、
「白河法皇のエロは、深夜放送の番組ならともかく、
子供も観る時間帯のドラマとしては不謹慎」
と批判してみたり、
「鳥羽院を巡る愛憎劇は、事実に基づいているため、
誇張はされてると考えるものの、素直に傷付いた鳥羽院に萌えている」
といった正直な感想を、記事中で書いてみたりしています。
私は歴史好きではありますが、本格的に研究をしたわけでは
ありません。ましてや原典を読んだわけでもありません。
そんな分際で「あれこれ偉そうに発言するのは間違っている」
ということは承知しております。
ですが、「明らかに史実とは異なる」と思われることに対して
異議を唱えることは必要である
」と考える故に、
自分の尺度で「これは許しがたい
」と思われることに対しては
異議を唱える。その態度は今後も貫き通したいと考えております。
話を真田信繁に戻します。
「そもそも幸村なる名前は、生前の真田信繁自身は名乗っていない」
これが歴史的事実です![]()
真田信繁Wiki
から一部抜粋
現在では「真田幸村」の名で広く知られているが、
信繁直筆の書状を始め、信繁が生きていた同時代の史料で
「幸村」の名が使われているものは見つかっていない。
従って実在の人物の名としては「信繁」が正しい。
「幸村」の名が見られるようになったのは江戸時代で、
寛文12年(1672年)成立の軍記物語『難波戦記』が
その初出であると考えられる。
その『難波戦記』が人気を博し、広く読まれたため
「信繁」ではなく「幸村」とすることのほうが一般的となった
と言えるであろう。
時代が下るにつれ「幸村」の名があまりにも
普遍化してしまったため、幕府編纂の系図資料集である
『寛政重修諸家譜』や兄・信之の子孫が代々藩主を務めた
松代藩の正史にまで「幸村」が採用されている。
抜粋終了
つまり後世の人の創作である幸村という名前があまりに普遍化して
しまったために、江戸幕府が編纂した資料や松代藩の正史まで
「幸村」という偽名を採用するというお墨付きを与えてしまった
ことが、話をややこしくしたわけです。
それまで当たり前と思っていたことも、元を辿ってみると全然
違っていた!ということは多々あります。
可能な限り物事の由来を確認し、間違った認識は修正してから
ブログ記事のUPや、ツイッターでの呟き等を続けていこうと思っております。
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