抽出して利用しております。
全て批評目的の引用であり、他意はありません。
平清盛第10話「義清散る」Vamos的解説 前編(義清リア充編)
の続編になります。
※幾度も修正を試みましたが、不自然な行間の挿入状態が
直りません。読みづらいと思いますが、このままご覧くださいませ!
自邸に戻り、愛猫を撫でる義清。さすがのパーフェクト超人も、
やはり人の子です。
そんな義清に、文が届きます。
このあたりから、義清のリア充生活
待賢門院(璋子)からの呼び出しだと思い、
指定された場所に出向いた義清でしたが...
義清を出迎えたのは、このドラマでは
北条政子と並んで恐怖の眉無しツートップを
形成している堀川局でした!
ちなみに北条政子はコチラになります。
(中略)
「よくもまぁ、ヌケヌケと
お出でになりましたこと!」
「堀川殿!随分とお人が悪い...」
「待賢門院(璋子)様はあの日
(義清との昼ドラ全開日)から
ご様子がおかしくて...」
「お分かりになったのではないか?
他人を愛しく思う気持ちが
如何なるものか」
※このシーンの義清に対し、
「したり顔で嬉しそうに話すな!」
と思ったのは私だけでしょうか?
「義清殿、二度と璋子様を
お訪ねにならないでください(キリッ!)」
「では、誰が待賢門院様を
お救いするのだ?」
「救おうなどというのが
おこがましいのです! 」
「待賢門院(璋子)を救う」と言いながらも、
やってることはただの人妻(しかも相手は
院の后にして国母!)との火遊び!である
義清に対し、堀川局からキツイお灸!
ですが、この手の色男は痛い目に
遭わないと分からないんでしょうね...
場面変わって、忠盛パパの屋敷。忠盛は、
「春日大社の僧兵達が強訴をして、都に押し寄せて来ている」
という報告を聞き、
「決して京の都に入れるな!
院をお守りするのじゃ!」と厳命!
カッコイイぜ!忠盛パパ!と思ったが、
「院をお守りせよ」とは言ってたけど
ドラマでの崇徳上皇 崇徳上皇像(『天子摂関御影』より)
(第10話の時点では帝)
第10話まで放映済みの現時点では、
崇徳帝の影が薄すぎる!
タフマン白河法皇やドM&お花畑鳥羽院、
キレキレの雅仁親王(後白河法皇)等の濃ゆすぎる方々
に比べて、出番も少ないうえに見せ場も無くて印象に残ってない..。
参考資料 崇徳天皇Wiki
吉川英治の「新平家物語」を原作とする人形劇では、
事実上の主役であるオリジナルキャラ麻鳥(あさとり)
との交流等心温まるシーンもあって印象に残る演出であったし、
後世の文学作品などにも、悲劇の帝・院として
よく題材となっているお方なのに!
参考資料 雨月物語(白峯)Wiki
崇徳院は保元の乱のキーパーソンとなられる方ですので、
そのあたりがドラマではどう描かれるかに注目したい
ところですが、今までの経緯を見ていると、どうなることやら...。
話を強訴に戻します
強訴とは、現代で言えば
「ストライキと暴動をミックスしたようなもの」
ですが、
「強訴を起こすのは、神や仏の
権威を借りた僧兵である」
という特徴がありました。
要するに権威ある神輿などを持ち出し、その宗教的権威を
もって自分達の要求を通そうと暴れまくる行為です。
あの白河法皇でさえ、
「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」
という言葉を残していると言われます。
白河法皇が嘆いたのは延暦寺の僧兵であるそうですが、
ドラマの劇中では春日大社となっていました。
劇中で、強訴撃退のために矢を射る清盛
ここでナレーション(源頼朝)が入ります
「平氏はその頃頻繁に起きた
強訴を退けるために、
しばしば勅命を受けて戦っていた」
これ自体は事実だと思いますが、
孫である頼朝(役の役者)に
「我が祖父為義も、京において、
「それなりに働いていたと思う」
と、孫の頼朝に言われてしまった為義さん
現実もそんなものだったかもしれないけど、
これには笑ってしまいました
ナレーションはまだ続きます。
所領争いに参戦中の義朝
「また東国では、土地の境界を巡る争いが
あちこちで起きていた。
我が父義朝は、その一方に加勢することで
次第にその武名を高め、家臣を増やしていった」
確かに当時の義朝は東国で勢力を拡大しましたが、
別に義朝を頼った武士達は義朝の武力をアテにした
わけではないと私は考えます。
義朝は(東国武士に慕われたとされる)八幡太郎義家の
嫡流ですから、東国武士としては「貴種」として担ぎ上げる
に適した相手だったのです。
現在の日本の選挙では、当選するためには
「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」
の三つが必要とされます。
その三つを用いて義朝の東国での勢力拡大を考えてみると、
義朝が有しているのはカンバン
(知名度)のみです!
そこでジバン(後援組織)を強化するために各地の有力者の
娘を妻として迎え、それらの在地武士との繋がりを強化しました。
在地武士は、ある程度のカバン
(選挙資金=軍資金)を有しています。
それらの在地武士を、
カンバンを有している義朝が束ね、
大きなジバンを形成した。
この当時の貴種が田舎に下り、そこで勢力拡大するという行動は、
このように理解すると分かりやすくなると思います。
随分とふてぶてしくなった義朝
当時の都人にとって、東国は正に無法地帯!
伊勢物語(これは平安初期の話ですが)で在原業平が
東下りをした時、心細さのあまり皆が泣いてしまうという
話があったのも納得です。
平清盛第10話「義清散る」Vamos的解説 中編VOL.2(義清リア充崩壊編)
に続きます
この記事に出てきた眉無し堀川局は怖いが、小賢しい
佐藤義清(西行)に釘を指したのに拍手したいと思う方、
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