※使用した画像はNHKの公式HPや、録画したドラマのデータから
抽出して利用しております。
全て批評目的の引用であり、他意はありません。
この回は、「義清散る」というタイトルですが、別に死にはしません。
ただ
にクラスチェンジするというだけのことです。
最初にネタばらしといてなんですが、佐藤義清=西行法師なのですから、
これくらいは許されるでしょう。
この「義清散る」についての記事は、長くなると思われるので
複数回に分けてお送りします。
まずは前編となる「義清リア充編」いきま~す!

第9話の時点で誕生した、躰仁(なりひと)親王。
躰仁親王が東宮(皇太子)になられれば、生母たる得子の
地位も益々盤石のものとなるのですが...

肝心の父宮たる鳥羽院には、その気が無い模様。
「躰仁を東宮にするについては、
異を唱える公卿が少なからずおる」
「何故でございますか?」
「申しにくいが、そなた(得子)の
出自を問うておる」

「鳥羽院にその気が無いなら」と搦手を攻めにでた得子。
当時の帝であった崇徳天皇の中宮・聖子の父である
関白・藤原忠通に接近し、躰仁親王を聖子の養子とすることを認めさせ、
躰仁親王は得子の思惑どおり東宮(皇太子)になりました。

朝廷人間関係を示す図を、NHKの公式HPから引っ張ってきました。
ひと目でわかる今週の朝廷!第11回→
ネタ元であるNHKのHP内解説コーナーに飛びます
鳥羽院の一の皇子であり、当時の帝であった崇徳天皇には
実子がいませんでした。
得子は己の身分が低いことから躰仁親王の東宮擁立を渋られている
現実を直視し、躰仁親王を関白忠通の娘である聖子の養子とすることで、
崇徳天皇の養子にすることに成功したわけです。
つまり、崇徳天皇は(少なくとも系図上では)父宮たる鳥羽院の皇子である
異母弟を、自らの養子としたわけです。このあたりの経緯が、後年に起こる
保元の乱に繋がる原因の一つとなります。
場面変わって、北面の武士達が弓の練習をしている練兵場です。
このシーンでは、躰仁親王の東宮即位について清盛と佐藤義清(西行)
が話をしています。毎度お馴染みの視聴者への説明台詞ですが、
この場面で清盛は言います。

雅仁(後白河天皇)様が帝になられる見込みは?

該当シーンで挿入された、高笑いする雅仁親王

あのようなお方が治天の君(帝)と
なられれば、世は終わりじゃ!

いや、今も既に救いようが無い!
私達がお仕えする鳥羽の院が
あの体たらくとは、
心底呆れ果てた!

私たち武士が守らねばならぬ!

義清の放った矢は、見事的の中心に命中!
当時の武士にとって、武芸=弓矢の腕前と言っても差支え
ありません。武芸OK、歌(教養)OK、家柄OK、更にイケメン
常に「美しく生きたい 矢は的の中心に...云々」
と口癖のように繰り返す、義清のリア充ぶりが炸裂です!
清盛が「たまには一緒に夕餉を」と言って義清を自邸に
連れてきましたが、清盛邸に仕える女房達は美男と評判の
義清をチヤホヤします。清盛は笑ってやり過ごしますが、
面白くない兎丸が義清に喧嘩を吹っかけました。

そして兎丸VS義清の相撲と相成ったのですが...

突進する兎丸をヒラリと回避し、兎丸は勢い余って自爆!
兎丸を見る義清は、余裕そのもの!

勝負は熱くなった方が負けじゃ!
とクールに言い放つ義清。この家の主たる清盛も、義清に軍配を上げます!

正にマタドールを彷彿させる義清!

夕餉の時間も終わり、清盛邸から去る義清。
部下【盛国(鱸丸)?】が
「是非またおいでくださりませ。侍女達も喜びまするゆえ」
と義清に言い、清盛も
「ただし、あまり喜ばせ過ぎぬようにな!」
と笑顔で義清に語ります。

「では、御免!」
と義清も笑顔で応え、家路につきます。

帰宅する義清を見送る、清盛と部下【盛国(鱸丸)?】の主従。
「まったく大した男じゃ!義清がおる限り、
義朝が申したことがいつか真になる」
「義朝様の申されたこと?」
「武士は王家の犬ではない!
武士がおらねば、
王家は何もできぬことを
いつか思い知らせてやる!」

「きっと義清は、
その要となる男じゃ!」
この時までの義清は、
リア充真っ盛り!
パーフェクト超人
ぶりを
発揮しておりました!
しかし、いくら義清が武術の達人であっても、
当時の都の治安はヒジョーに悪かったから、
夜一人で出歩くのはとっても危険極まりない
行為だったのでは?
この時点までの義清はパーフェクト超人
だったから、OKってことなのかなぁ...
中編(義清リア充崩壊編)に続きます。

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この回は、「義清散る」というタイトルですが、別に死にはしません。
ただ

最初にネタばらしといてなんですが、佐藤義清=西行法師なのですから、
これくらいは許されるでしょう。
この「義清散る」についての記事は、長くなると思われるので
複数回に分けてお送りします。
まずは前編となる「義清リア充編」いきま~す!

第9話の時点で誕生した、躰仁(なりひと)親王。
躰仁親王が東宮(皇太子)になられれば、生母たる得子の
地位も益々盤石のものとなるのですが...

肝心の父宮たる鳥羽院には、その気が無い模様。
「躰仁を東宮にするについては、
異を唱える公卿が少なからずおる」
「何故でございますか?」
「申しにくいが、そなた(得子)の
出自を問うておる」

「鳥羽院にその気が無いなら」と搦手を攻めにでた得子。
当時の帝であった崇徳天皇の中宮・聖子の父である
関白・藤原忠通に接近し、躰仁親王を聖子の養子とすることを認めさせ、
躰仁親王は得子の思惑どおり東宮(皇太子)になりました。

朝廷人間関係を示す図を、NHKの公式HPから引っ張ってきました。
ひと目でわかる今週の朝廷!第11回→

鳥羽院の一の皇子であり、当時の帝であった崇徳天皇には
実子がいませんでした。
得子は己の身分が低いことから躰仁親王の東宮擁立を渋られている
現実を直視し、躰仁親王を関白忠通の娘である聖子の養子とすることで、
崇徳天皇の養子にすることに成功したわけです。
つまり、崇徳天皇は(少なくとも系図上では)父宮たる鳥羽院の皇子である
異母弟を、自らの養子としたわけです。このあたりの経緯が、後年に起こる
保元の乱に繋がる原因の一つとなります。
場面変わって、北面の武士達が弓の練習をしている練兵場です。
このシーンでは、躰仁親王の東宮即位について清盛と佐藤義清(西行)
が話をしています。毎度お馴染みの視聴者への説明台詞ですが、
この場面で清盛は言います。

雅仁(後白河天皇)様が帝になられる見込みは?

該当シーンで挿入された、高笑いする雅仁親王

あのようなお方が治天の君(帝)と
なられれば、世は終わりじゃ!

いや、今も既に救いようが無い!
私達がお仕えする鳥羽の院が
あの体たらくとは、
心底呆れ果てた!

私たち武士が守らねばならぬ!

義清の放った矢は、見事的の中心に命中!
当時の武士にとって、武芸=弓矢の腕前と言っても差支え
ありません。武芸OK、歌(教養)OK、家柄OK、更にイケメン

常に「美しく生きたい 矢は的の中心に...云々」
と口癖のように繰り返す、義清のリア充ぶりが炸裂です!
清盛が「たまには一緒に夕餉を」と言って義清を自邸に
連れてきましたが、清盛邸に仕える女房達は美男と評判の
義清をチヤホヤします。清盛は笑ってやり過ごしますが、
面白くない兎丸が義清に喧嘩を吹っかけました。

そして兎丸VS義清の相撲と相成ったのですが...

突進する兎丸をヒラリと回避し、兎丸は勢い余って自爆!
兎丸を見る義清は、余裕そのもの!

勝負は熱くなった方が負けじゃ!
とクールに言い放つ義清。この家の主たる清盛も、義清に軍配を上げます!

正にマタドールを彷彿させる義清!

夕餉の時間も終わり、清盛邸から去る義清。
部下【盛国(鱸丸)?】が
「是非またおいでくださりませ。侍女達も喜びまするゆえ」
と義清に言い、清盛も
「ただし、あまり喜ばせ過ぎぬようにな!」
と笑顔で義清に語ります。

「では、御免!」
と義清も笑顔で応え、家路につきます。

帰宅する義清を見送る、清盛と部下【盛国(鱸丸)?】の主従。
「まったく大した男じゃ!義清がおる限り、
義朝が申したことがいつか真になる」
「義朝様の申されたこと?」
「武士は王家の犬ではない!
武士がおらねば、
王家は何もできぬことを
いつか思い知らせてやる!」

「きっと義清は、
その要となる男じゃ!」
この時までの義清は、
リア充真っ盛り!
パーフェクト超人

発揮しておりました!
しかし、いくら義清が武術の達人であっても、
当時の都の治安はヒジョーに悪かったから、
夜一人で出歩くのはとっても危険極まりない
行為だったのでは?
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