のアクセスが結構伸びているので、既に放映済みでまだ
感想記事を書いていない話も簡単に取り上げます。
まずは第5話「海賊討伐」からいきます。
この話では平氏に海賊討伐の命がくだり、平氏一門が
軍勢を編成して都から出発。というのが話の大筋です。
それぞれの人生観を語るのですが、三人の価値観が
まるで異なるのが興味深いところです。
義朝
飢饉が生じて飢えたものが増えたら盗賊が増える。
それを討伐するのが武士のつとめだ!。
ますます強さを磨き、王家に武士の力を思い知らせたい!
義清
私はただ美しさを求めているだけだ!
矢は的の中央に当たるが美しく、歌はそこにふさわしき言葉が
選ばれ、見事に組み合わせらたときこそ最も美しい。
いかなる世であっても、美しく生きることが私の志だ!
清盛
俺は面白う生きたい!
清盛の言葉を聞いた義朝、「ふざけているのか!」
と言いながら清盛と取っ組み合い。
それを見ている義清は面白そうに微笑む。
義朝の思想はイっちゃってますが、案外当時の
武士の本音だったかもしれません。
世を治める政治というものを考える武士など、ほとんど
いなかったということでしょう。政治を行なっている
貴族だって、自分達の利益が最優先で民のことなど
二の次三の次でしたし...。
しかし、清盛の高杉晋作化現象は
留まるところを知りませんなぁ!
ですが、この回の一番の目玉は
朝廷パートでのドロドロ昼ドラ劇場です。
本当にこの回は絶好調!でした。
鳥羽上皇が暴走して、よせばいいのに自ら地雷を
踏むような行動にでてしまいます。
待賢門院(璋子)に向かって
「そなたは何故朕の元に入内したのじゃ?」
と尋ねてしまい、その回答は...
(白河)法皇様の仰せ故にございます
あの時は悲しゅうて辛くて、入内してまもなく
わたくしは悲しみのあまり寝付いてしまいました。
それであなた様は仰せになられたのです。
法皇様に会うがよいと。
その夜わたくしは久方ぶりに法皇様にお会いし、
そしてご寵愛を賜りました。
あれはあなた様のおはからいにござりましょう。
なんとお優しいお方かと思い、
おなた様の子を生む覚悟も決まったのでございます!
あまりのことに馬鹿笑いです!
鳥羽上皇、ついにキレました!
お前のような女をまともに相手にした
私が愚かであった!
真心が通じぬのも道理!
お前は人ではない、物の怪だ!
物の怪!と言われてキョトンとする待賢門院(璋子)
先の院(白河法皇)と同じ
さすがに鳥羽上皇の地雷を踏んでしまったことに
気付いた様子の待賢門院(璋子)様。
しかし、時既に遅し!
そこに居合わせたのが待賢門院(璋子)の口添えもあり、
帝に入内すべく御所に滞在していた得子。
その得子をみた鳥羽上皇がご乱心!
私も物の怪の如き物になろう!
なにをなさります!おやめくださいませ!
あの女の思うようにはさせぬ!
その言葉を聞いた得子さんは抵抗するのを止めて...
昼ドラモード最高潮に突入!
ことの終わったあと、鳥羽上皇は得子に対して
「入内は諦めよ」と言いますが...
これで終わりにございますか?
上皇様、あなた様は大層傷ついておいでです。
もっと穢してくださいませ!
こうして朝廷の昼ドラモードは、第二の女性の登場で
新たな展開に突入とあいなったわけでございます。
場面が切り替わり、海賊討伐命がくだった平氏陣営。
「面白そうだ!」とやる気満々の清盛と
他の平氏の皆さんの面々です。
衣装の豪華さは、さすがにNHKの大河ドラマです。
それでも人海戦術では中国に適うわけもなく、
衣装も韓流時代劇の不自然すぎるキラキラさはありません。
まぁ実際の平安末期ってこんなものであったと私は考える
ので、こういった美術面は基本的に支持しています。
しかしこの忠盛パパですが、ツイッター上では「ミキプルーン」
という隠語が結構使われています。
他の武士と比べて、清盛が日本刀でなく宋の剣を持っている
のが非常に不自然でしかありません。
何かにつけて剣を手にしているシーンが目立ちますが、
他の武士は刀を腰に差しているだけ。武器を携行する
という一点においても、非常に不合理です。
合理主義者である清盛という人物のイメージに
まるで合っていない演出でしかないと私は思います。
源氏のダメ親父源為義は隠れて平氏の軍勢の出立を見物。
そこへ為義の嫡男である義朝が登場。都にいることに
見切りを付けて東国へ下向すると父に告げて、旅立ちます。
場面かわり、海賊討伐の現地である安芸の国に
赴いてから、悩む清盛。
「何でもよい!何でも良いゆえ、食わせてくれ」と言って
荷車から高階通憲(藤原信西)登場!
初登場の時は「誰でもよ~い!誰でもよい故助けてくれ!」
と言って登場。本当にギャグ担当と化している道憲です。
しかし、現実問題として当時京の都から安芸の国(広島県)
まで数日はかかります。その間ずっと荷車の中に隠れている
なんて、体力的に無理では?と思います。トイレだって我慢
出来ませんよね。それに通憲は自分を大学者と言ってますが、
下級貴族とは言え貴族は貴族です。京の都を出て遠隔地に
行くなど、役目を帯びて以外にはまず考えられません。
よって、通憲というお公家さんがこんな形で地方に出向くなど、
現実には到底有り得ないシーンです。
「誰も皆、知らず知らず重き荷を背負うて生きておる!」
通憲サン、アナタは家康ですか?
家康の人生訓とされる
「人の一生は重荷を負(おひ)て遠き道をゆくが如し
いそぐべからず不自由を常とおもへば不足なし」
に非常に似通ったお言葉です。もっともこの言葉は家康の
ものでなく、後世の作り話と言われています。
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」
という武田信玄の言葉とされているものも後世の作。
その証拠に武田家の造った城には石垣はありません。
東国において初めて石垣が作られたのは、豊臣秀吉の
小田原攻めにおける一夜城です!。
海賊船と遭遇して「次はどうなる?」ってところで
第5話は終了でした。軽く流すつもりだったのに、
やりだすと結構濃い話でした。
結論
第5話は鳥羽上皇が大暴走で、
朝廷昼ドラが更に複雑化!
というお話でございました。






















