大河ドラマ「平清盛」関連記事を最近UPしてませんでしたので、

いきなり第9話に飛んでしまいましたが久しぶりにUPします。


※画像はNHKの公式HPにUPされているダイジェスト版の

  動画や公式HP内の画像から引用と、録画した映像

  からの抽出を行いました。

  あくまで批評目的の引用としての利用であることを

  明言しておきます。


徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

後の平重盛誕生に思わず「涙」の清盛。

あの悪たれ平太が成長したものです。

しかし平家物語の影響で「いい人」と思われがちの

重盛ですが、その実像は...結構血の気の多い人物

であったらしいです!

参考資料 平重盛Wiki  松殿基房Wiki


徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

清盛の子が生まれたということで、清盛邸は大宴会!



徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

清盛の弟である家盛が祝いに駆けつけ、兄弟二人で

仲良く飲んでいるところ。

ここでこんなナレーションが入ります。
「平氏一門は、概して兄弟仲が良かったと言われる」


それ自体は事実ですので、全く問題ありません。


徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

実子の不在に悩む崇徳帝

ナレーション続き

「それに比して捻れているのは皇子たちご兄弟である」

ときて、『鳥羽院から「叔父子」と呼ばれて疎まれている
崇徳帝の「お子が生まれない」という苦悩』について

ナレーションで触れるシーンがあります。実際事実でありますが、


「それに比して捻れているのは皇子たちご兄弟である」

なんてナレーションを、源頼朝役の俳優に言われたくない!

まさに


徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

であります!



徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

これは私がExcel上で作成した、源為義を起点とした源氏の系図です。

まず、父為義と長男である義朝の仲は決定的に悪い!

これは間違いない事実です。


関連記事

大変遅くなりましたが、大河ドラマ「平清盛」第4話の感想


徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

第4話で義朝が実の父である為義に対して

弓矢を向けるシーンがありましたが、実際にあったとしても

不思議ではないシーンであるといえます。


「義朝が父の為義を殺そうとするシーン」は現実に

あったとしても不思議では無いと書いておいて何ですが、

史実を確認すると、

「保元の乱の戦場

以外ではありえない!」

という結論に達します!


史実の義朝はまだ少年の頃に東国へ下向した

と言われていますので、こんな二十歳前後の青年期に

義朝が都にいること自体、そもそもオカシイのです!


参考資料源義朝Wiki


史実の義朝は保元の乱の時に後白河天皇に味方し、

崇徳上皇側についた父為義&弟為朝とは敵対しました。

結果として、父為義を自ら断罪する立場に追い込まれます。

義朝の助命嘆願を聞き入れず強硬に為義の死刑を

主張したのが、藤原信西(高階通憲)です。

更に言えば、信西が為義の処刑を強く主張したため、

9世紀初頭の薬子の変を最後に公式には行われてなかった

死刑が復活したのです。


徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

第6話「西海の海賊王」にて「誰でもよいから助けてくれ」と叫ぶ通憲(信西)


信西は権力を握った後強権発動を連発する豪腕ぶりで

政治改革をしていきますが、その姿勢に反発を抱く者が多かった

ことが平治の乱の原因となっていきます。
そういった事実を知っていると、「誰でもよ~い」とか「何でもよ~い」

というすっとぼけた台詞で登場するギャグ担当な高階通憲(信西)

というドラマでの人物像は、非常に疑問を感じざるを得ないのです。


話が信西に飛んでしまいましたので、源氏に戻します。

為義と義朝の仲が悪いと先に述べましたが、

為義と義朝以外の兄弟達は特に問題はないというか、

義朝だけがはみ出していたとも言えます。

ですから為義の八男である鎮西八郎為朝は、保元の乱

では為義に味方しました。


為朝は日本史上でも「最強の武士」ではないか?

と思われるほどの剛の者であり、弓の名手として有名。

義経が義朝の八男でありながら、叔父の鎮西八郎為朝に

遠慮して九郎を名乗ったなんて逸話が(どこまで本当かは

私も知りません)あるくらいです。
そして為義の次男にあたる義賢。この人は父為義の命で

東国に下り、義朝とは別行動で勢力を拡大していました。

その義賢を殺したのは、義朝の長男である義平!。

義平は父である義朝の命で、叔父の義賢を討ったとされています。

その義平に討たれた義賢の子が、源義仲。通称木曽義仲です!

これだけでもう、後年頼朝陣営と義仲陣営が敵対する

のは十分すぎる必然であります!


更に言えば、義朝の子である頼朝が己の兄弟である

範頼(のりより)や義経を粛清したことや、頼朝の次男である

鎌倉幕府3代将軍の実朝をその甥である公暁が暗殺した

(異説もありますケドね)等々、源氏一族の内訌は

お家芸といっても過言ではないくらいです!

確かに皇室(番組中では王家と言い張ってますが...)

の後継者争いなども熾烈だったとは思いますが、

武家と違って面と向かって殺し合いはやってません!


以上のような事実から、

頼朝役の役者がナレーションで

「それに比して捻れているのは

皇子たちご兄弟である」などと

皇室の乱れをしたり顔で語るのは、

非常にナンセンスである!

としか私には思えないわけです。


クドイですが、兄弟を粛清した

頼朝には言われたくない



徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

ということであります!


場面が飛んで、東国の義朝です。

徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

何が彼の身に起こったのか?

義朝、野生化です!
「正清が昔木登りを教えてくれた」と言って昔を懐かしがり、

「これからもよろしく頼む」と今後も一心同体であると誓い合う主従!

美しいシーンと言って良いものか...。

義朝でなくて源(木曽)義仲だったら、

いかにもありそうで

違和感ないシーンなんですけどね...。


それに、どうしてここまで汚くなったのだろうか?

この時はまだ落ち武者でなかったし...。



徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~
第5話で尾張にいた頃は、

まだ綺麗な服装だったのに!
この間の義朝主従の身に何があったのか?
全く不明です。

そんな木登り中の義朝主従の前に現れた不審者が三人!


徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

と思ったら、三浦義明と名乗りました。
後の源平合戦時に、孫にあたる畠山義忠に
討たれた武将です。

徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~
相模の三浦半島を拠点にする三浦氏。

その頭領である三浦義明は「所領争いで

困っている」と語り、義朝に助力を乞います。

徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~
それを聞いた義朝が問いかけます

「その連中を片付けた

暁には?」



徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

「三浦の一族を挙げて 

あなた様に従いまする!」


徒然草現代版by Vamos~時事問題からサブカルまで、ワタシVamosが徒然なるままに語ります~

「参ろう!」
寄る辺のない東国叫びで現れた心強い味方に、心踊るサタデーナイトフィーバー義朝。


しかし、こんなシーンは

絶対にありえませんドクロ

「史実の義朝はまだ少年の頃に東国へ下向した」

これが現実です!


それに義朝は、腐っても鯛唐津くんちである清和源氏の頭領源為義の長男

ですから、何らかの伝手はあったとみるのが妥当です。

百歩譲ってこんな出会いだったとしても、どこか場所を移動

(近くの屋敷か寺社が妥当)してから込み入った話はするでしょう。

義朝が木の上から、わざわざ名乗り出てくれた支援者である

三浦義明を見下ろしたまま話が進む?

絶対にありえません!


長くなったので、宮中昼ドラが中心な後編に続きます!

読者登録してね    アメンバー募集中