私がお世話になっている「歴史」さんのブログである人がコメントで
紹介していたこの動画。大阪の橋下改革に反対の南河内の教職員達が
寸劇という手段で批判しているのですが、本当に非道いものです。
2:15~なんて橋下大阪市長を名指しで批判しているのですが、やり方が
陰険過ぎます。いくら大阪がお笑いを重視する土地柄とはいえ、
やっていいことと悪いことの区別もついてないことが明白です。

あとグローバル化云々の話も、結局は「アメリカンスタンダードに合わせろ」
という不当な議論でありながら、それが現実化しているという事実から
目を反らして「適応出来る人だけがエリートになれる。そうでない人は下流に
甘んじろ」などと現実を不当なものとして非難するという
馬鹿げたことをしています。

実際問題として学校の成績がいい人が所謂社会の上層部に所属するのは
ある意味当然です。国会では連日色んな法案が提出されて議論をしています。
そんな類の事柄にキチンと勉強して理解できる習慣を身に付けた人達が
取り組むのは当然のこと。勉強嫌い、物事を論理的に考える訓練が出来てない
といった人達に法案を議論させても何ら効果が無いのは当然のことです。
まあ今の議員のセンセイ方にはその資質が疑われる人々が多過ぎるのも
事実ですが...。


話がちょっと反れました。ともかく
「法案の議論などに参加できるような社会的地位に就くためには
確かな学力と知識、良識などが必要でそれらを育むには高いレベルの
教育を受ける必要がある」


という現実を子供達に理解してもらうのが一番大事です。
そういったことに向かない、または興味ないという子供達には
それにあった教育をすればいいのです。
なんでも一緒くたにしようとするから歪みや矛盾が生じるのであり、
ある程度子供達の希望や資質に合わせて区別して扱っていくのが
これからの時代は重要になっていくと私は考えます。


テストの点数云々の話も、客観的な評価基準としてある程度は仕方のない
ことです。ただ橋下式に完全にお任せ状態だと暴走して気付いたときには
修正が困難な状態になる可能性はありますので、一般市民がその進捗状態を
監視する必要性は認めます。

ここからは私個人の極端な考えと認識しつつ言いますが、

公立の小学校は3.4年生のくらいまでの頃はともかく、ある程度
学業成績の良し悪しが分かってくる5年生あたりからは成績別に
クラス分けした方が先生、生徒いずれにとっても良いのでは?


と考えています。そうすれば授業をキチンと理解できる子供達は
レベルの高い授業を受けられ、残念ながらそうでない子供達は
理解できるまでキチンと教えて脱落者を出さないという方向を目指す。
そうした方が現実的です。現在の公立学校教育ではそのあたりで
ふるいにかけられるのは実質高校受験の時です。しかしそれでは遅い!

勉強が出来る子供はその資質を更に伸ばしてやり、そうでない
子供も勉強以外で良い面を見つけ、そういった面を伸ばしてあげる。人は
身体及び知能的能力や家庭環境など不平等な状態でこの世に生を受けるの
ですから、ゆとり教育のような馬鹿げた平等主義は百害あって一利なしです。
学校の中だけで通じる平等論は社会にでたら通じない。

勉強が出来る子供はその資質を更に伸ばしてやり、そうでない子供も
勉強以外で良い面を見つけ、そういった面を伸ばしてあげる。
小学生の低学年くらいまではあまり競争を煽る必要はないはないと
思いますが、ある程度分別の出てくる小学生の高学年くらいからは
現実を見つめて、本当の意味で社会に適合できる教育をしていくように
現状を改革していくことが求められると考えます。


未来の日本を造るのは子供達。その教育を疎かに
したら本当にこの日本という国は滅びます!