訪問日時2011年12月4日(日)12:00頃
先日4日の日曜日に、父と一緒に千葉県佐倉市へ行ってきました。
佐倉と言っても県外の方にはあまり馴染みの無い地名だと思います。
この町はミスターこと長嶋茂雄氏の出身地で、徳川幕府時代には
佐倉藩の城下町として栄えたところ。
徳川幕府成立以後この地を支配する大名家は目まぐるしく替わりました。
しかし1642~1660年及び1746~1871年の合計140年程は老中も排出した
譜代大名の堀田家(11万石)が藩主を務めましたので、堀田氏の
城下町と言っても過言ではないと思います。
その佐倉市の中でも名所である旧堀田邸と佐倉城址公園を訪れる
のが今回の目的でした。旧堀田邸は佐倉藩最後の藩主であった
堀田正倫(まさとも)が自らの住居として、1890年(明治23年)に
佐倉市内に建築した邸宅で、国の重要文化財にもしていされている
建築物です。詳細は例によってWikiにてご確認ください。
旧堀田邸Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%A0%80%E7%94%B0%E9%82%B8
堀田正倫Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%94%B0%E6%AD%A3%E5%80%AB
※クリックすると拡大します ※クリックすると拡大します
上段の画像は、このお屋敷への入場者に渡されるパンフレットを
スキャンしたもの。詳細を確認したい方は、画像をクリックすると
拡大しますので、ご覧ください。
左上の画像が本来の堀田邸の見取り図で、その敷地面積はなんと
約3万坪とのこと!。堀田正倫はこの屋敷に住んで周辺住民への農業指導
等に努めたそうで、敷地の大部分は農事試験場や果樹園、畑地だった
ようです。
現在の旧堀田邸とその庭園であるさくら庭園の敷地は約1万坪と往時の
約3分の1程度であり、右上の画像は左上からの画像から現在の敷地部分
だけをトリミングしたものです。その他の約2万坪は、現在老人介護施設や
有料老人ホームとなっています。
門を潜って左手にある立派な蔵。中には貴重な古文書がたくさん
保管されているそうです。
門を潜ってから振り返ってみると、青々とした空と真っ赤に染まった
楓の組み合わせが綺麗なこと!
屋敷の前にある旧堀田邸と刻まれた石。
屋敷の内部の模様。このお屋敷の建材はとてもお金がかかっている
立派なものばかりだとか。
例えば↑の画像の右上、真ん中上段、左上にそれぞれ丸太が
配されていますが、これはそれぞれ長さが約6~7mはありました。
その木がいずれも継ぎ目のない一本の木なんです。
こうしたさり気ないところにお金がかかっているお屋敷なんだそうです。
さて、こちらは湯殿。ここは増築された空間だそうですが、その理由が
また凄いんです。
説明板の拡大図ですが、下の文字は読めるでしょうか?
屋敷の主である堀田正倫は明治になってから天皇家の
侍従をしていた時期があったそうで、明治44年に東宮殿下
(現在でいう皇太子。時の皇太子は後の大正天皇)が
当地を訪れたそうです。その際に東宮殿下の休息所と
してこの湯殿が増築されたのだとか。
ガイドの人の話だと、高貴なやんごとないお方は直接お湯に
浸からないそうで、かけ湯によって入浴したのだそうです。
湯殿の中を出来るだけ写してみました。周囲が低くなっているので、
お湯は高低差によって排出される仕組みだそうです。
廊下の図。やっぱり一般家庭とは造りが違いますね。
こんな天気のいい日に縁側に座ってお茶なんて出来たら
最高でしょうね。
廊下からの眺め。紅葉もいい具合に紅く色づいていました。
この縁側の造りと庭の飛び石の組み合わせがタマラン!
なんともアジのある石。上に乗っている蓋がステキです。
まだまだ見所の多い旧堀田邸。しかし写真の点数があまりに
多いため、続きは後編にて。