去る1月3日、一日だけの帰省をした私が、「初詣をしよう」という父に連れられて行ったのが
この行元寺。千葉県のいすみ市という田舎町にあるお寺なのですが、これが凄い由緒を
誇るお寺さんでして中々興味深いものを見ることが出来ました。
行元寺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%85%83%E5%AF%BA
一応Wikiの該当記事のリンクを貼っておきますが、あまり大したことは
書いてません。興味を持たれた方はググッてみることをお勧めします。
まず目に入ったのは、このカラフルな山門。まだ復元工事は終わってない
ようですが、色が塗りなおされていてとても綺麗になってます。
ここの目玉はこれ。江戸時代後期に波の伊八と呼ばれる彫刻家が残した
波の彫刻です。お寺でもらったパンフレットには、当時南総里見八犬伝を
執筆中だった滝沢馬琴と仕事上で交流があり、食客同然だった葛飾北斎が
この寺を訪れたことがあると書かれています。
波の伊八
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E3%81%AE%E4%BC%8A%E5%85%AB
当時南総里見八犬伝の挿絵を担当していたことから南総地方の状況を
視察に来た北斎。彼は堀ノ内(現在の東京都杉並区)の妙法寺で
伊八の彫刻をみて感動したことがあったらしく、その伊八が行元寺で
作品を作っている最中と聞いていてもたってもいられなかったなんて
ことも書かれていました。
この伊八の彫刻が後の北斎の傑作富嶽36景の波の絵に影響を与えたのは
確かに間違いなさそうです。北斎の絵についての番組がNHK総合で1月2日に放映されたそうですが、明日1月10日の午前11時に再放送されますので、
興味のある方はご覧になってください。この行元寺も出てくるそうです。
私は2日には観ていないので録画予約しました。
他にもこのお寺には「土岐の鷹」なんて絵もあります。このお寺の近くに
万喜(まんぎ)城という城が戦国時代にあったのですが、その城主は
美濃の大名土岐氏の一族でした。
斉藤道三によって国を追われた土岐頼芸(よりよし)がこの城に放浪の身を
寄せ、仏道修行に励んだなんてことも寺内の看板に書かれていました。
鷹は土岐家の象徴であり、伊八の像と時を同じくして画僧等随によって
書かれたものだそうです。田舎田舎と思っていたこの地帯ですが、
他にも住職さんの説明を聞いた本堂も立派に修復されており、このように
カラフルな状態をみることができます。真ん中の葵の紋が光っていますが、
徳川家から厚い保護を受けていたらしいです。このお寺の僧(名前は忘れ
ました...)が天海僧正と論争したことがあって天海僧正に気に入られ、
その引き合いで徳川将軍家から厚い加護を受けるようになったそうです。
それに、上のほうを見ると小さいですが武田氏の四つ菱もみえます。
戦国時代の上総には甲斐武田氏の支流の一族がおりまして、その縁で
武田菱をつけることを許されたそうです。
田舎と思っていた上総の地も、調べると色々でてきそうです。
いつか機会があったら色々調べてみたいものです。


