現在上野の東京国立博物館で開催中の細川家の至宝展。
http://hosokawaten.com/index.html
東京で土砂降りの雨が降った一昨日4月28日に行ってきました。
細川家は肥後(熊本県)54万石の大名として大いに栄えた武家で、それ以前は足利家から
分家した家として室町幕府においても政治の中枢にいた名門の家柄。
近年では現当主の護煕氏が総理大臣を勤めたことも記憶に新しいところです。
今回訪れた展示会はその細川家に代々伝わった物や、代々の当主がコレクションした
品物を保管、展示している永青文庫の所蔵品を中心に出品されているとのこと。
永青文庫については、HPに記載されていた解説の抜粋をご覧ください。
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永青文庫(東京都文京区目白台)は昭和25年(1950)、細川家16代当主・細川護立(もりたつ)に
よって、細川家に伝来する歴史資料や美術品などの文化財を後世に伝える目的で、
財団法人として設立されました。
昭和47年(1972)からは一般公開を始め、翌48年に博物館法による登録博物館となり、
現在に至っています。
永青文庫は目白台の一角、江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅
にあり、昭和初期に細川家の家政所(事務所)として建設されたものです。
毎年4つの会期に分けて、美術工芸品を中心に公開展示しています。
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今回の展示会に行くに際し、私は「細川家は武家の名門だから、きっと凄い武具
や甲冑がなどが伝わってるはず。それに歴代当主は茶道の心得も豊かだったから、
茶器なんかも名品が見られるかな?」程度の軽い気持ちでいたのですが、
会場ではその期待を遥かに上回る名品の数々を目にできて至福のひと時でした。
以下では特に印象に残った物を数点紹介いたします。
黒糸威二枚胴具足 細川忠興(三斎)所用
武門の名家である細川家には沢山の甲冑が伝わっていますが、これはそれらの中でも特別なもの。
なんせ細川忠興が関が原の戦いで大活躍した際に身につけていたと伝わっている甲冑なのですから。
この時の忠興は既に妻ガラシャが西軍の捕虜となるのを拒んで死を選んだことを知っているはず
ですから、三成に対する復讐心に燃え滾っていたことでしょう。
そんな忠興の身を包んだこの甲冑を前に、色々物思いにふけずにはいられない私でした。
富士三保清見寺図
雪舟の筆と伝わるこの水墨画。渋い!渋すぎる!!。華麗な色使いの絵もいいですが、
それと対極な水墨画には他のものにない精神性と画面に引き込まれるような吸引力が
あるように感じる今日この頃です。
国宝 金銀錯狩猟文鏡
解説のところに、世界的に“細川ミラー”の名で知られるなんてことが記載されていたような...。
画像スキャンのために購入したポストカードには“中国の戦国時代・紀元前4~3世紀頃の作で、
河南省洛陽から出土したものである”といったことが書かれていましたが、個人的には戦国時代に
造られたというのは眉唾ものかと思います。何故なら中国では古来
馬は直接跨って乗るものでなく、車や馬車を引かせる労力として用いられていたから。
戦国時代の趙の君主である武霊王が307年頃に直接馬に乗って戦う“胡服騎射”を自軍に
取り入れたのが中国の騎兵の始まりと言われていますから、年代的にはもっと後のものでは?
というのが私の意見。
作品に目を向けると、非常に細かい細工で絵柄が構成されており、騎乗の戦士と虎の戦いが
非常に生き生きと描かれています。あらためて古代中国の技術力の高さに感心し、
驚くことしきりでしたl。
人形売り
上記の文字の部分は「人形の安売りだよ。買った買った!」的なことが書いてあります。
人形を入れた籠を担ぎ、大声を張り上げながら人形を売り歩く男。
その情景が目に浮かぶようです。
髪 小林古径
上半身裸の女性が、おかっぱ頭の少女に髪をすいてもらっている図。
長く美しい黒髪の質感が何ともいえず、思わず見とれてしまいました。
とても印象に残る一枚です。
最後は 菱田春草作の 黒き猫。これは部分拡大図で、
こちらが全体図。猫の毛のフワフワ感がなんともいえず、思わず触れたくなります。
肝心の猫の方は警戒した面持ちなので、決して可愛らしくはないのですがね。
この絵に出合えたのが一番の収穫だったと思えるほど強く印象に残った一枚。
そういえば最近彦根でひこにゃんにもやられて、今回はこの黒猫。自分の中で
密かに猫ブームなのかし?
以上のような名品を楽しんだ挙句、国立博物館の常設展示品も時間をかけて楽しんで
とても知的&芸術三昧であった4月28日でした。