訪問日時2009年11月20日(金)11:30頃
祇王寺を出て右手にある滝口寺。ここも祇王寺と共に
廃寺になっていたのを、明治になってから復興されたお寺。
平家物語に出てくる滝口入道と横笛の悲恋が伝わるお寺です。
明治期の文芸評論家である高山樗牛(ちょぎゅう)が
その唯一の小説にして最高傑作とされる「滝口入道」を発表して
話題となり、往生院が再興された際に「滝口寺」という
名称が付いたそうです。
滝口入道と横笛の悲恋については以下にWikiから
抜粋した滝口入道のあらすじを貼り付けておきましたので、
こちらをご覧下さい。
小説滝口入道あらすじ
時は平家全盛の時代。時の権力者平清盛は、
わが世の春を謳歌していた。
ある日清盛は、西八条殿で花見の宴を開催。
ここに平重盛の部下で滝口の武士の斉藤時頼もこれに参加していた。
このとき宴の余興として、建礼門院徳子(重盛の妹)に仕えていた
横笛が舞を披露した。それを見た時頼は横笛の美しさ、
舞の見事さに一目惚れしてしまった。
その夜から横笛のことが忘れられない時頼は、
恋しい自分の気持ちを横笛に伝えるべく、文を送ることにした。
数多の男たちから求愛される横笛であったが、無骨ながら
愛情溢れる時頼の文に心奪われ、愛を受け入れることに。
しかし、時頼の父はこの身分違いの恋愛を許さなかった。
傷ついた時頼は、横笛には伝えずに出家することを決意。
嵯峨の往生院に入り滝口入道と名乗り、横笛への未練を
断ち切るために仏道修行に入った。
これを知った横笛は、時頼を探しにあちこちの寺を尋ね歩く。
ある日の夕暮れ、嵯峨の地で、時頼の念誦の声を耳にする。
時頼に会いたい一心の横笛だが、
時頼は「会うは修行の妨げなり」と涙しながら帰した。
滝口入道は、横笛にこれからも尋ねてこられては
修行の妨げとなると、女人禁制の高野山静浄院へ居を移す。
それを知った横笛は、悲しみのあまり病に伏せ亡くなった。
横笛の死を聞いた滝口入道は、ますます仏道修行に励み、
その後高野聖となった。
そんな悲恋の伝わる滝口寺にいざ入らん!
祇王寺と同時期に再興されたためか、
ここも入り口の門の材料が竹であります。
屋根の上に生えた苔とその上に降り積もった紅葉がナイス![]()
![]()
例によって看板です。PCでご覧の方は、
実はこのお寺に伝わる悲恋は滝口入道と横笛だけではありません。
新田義貞の首塚があり、彼の菩提を弔った
匂当の内侍(こうとうのないし)と共に祀られています。
こちらが新田義貞の首塚。受付のおばちゃん曰く
「明治になってからこんなに立派になった」とのこと。
そういえば後醍醐天皇の皇子である護良親王を
祀っている鎌倉宮も、明治になってから作られた神社。
恐らく皇室の権威を高めたい明治政府の
政策の一環であったのでは?と思えてきます。
戦前の価値観で言えば足利=逆賊、新田義貞&楠木正成等の
南朝に味方した武将達=忠臣という構図ですからね。
次に来るときまでは『新田次郎著の「新田義貞」を読んでおきたい』
と思いましたが、今まで結構探したんですが見つからないんですよね。
匂当の内侍の供養塔。彼女は後醍醐天皇の
寵愛を受けた一人でしたが、後に新田義貞が賜ったとされる女性。
古代の高貴な方達では、忠誠に報いるために
部下に寵愛する女性を下賜するということがしばしばあったそうな。
あの平清盛の生母である祇園の女御も、そうして白河法皇から
平忠盛に下賜され、その際に祇園の女御は、既に法皇の子供を
身籠っていたので、清盛=白河法皇の子ともいわれているほどです。
さて、新田義貞と匂当の内侍ですが、この両者は本当に
心が通じあっていたようです。私が読んだ太平記を扱った作品
(吉川英治の私本太平記だったかしらん?)では、足利尊氏が
叛旗を翻した後、義貞はすぐにも出陣しなくてはならないのに、
内侍との別れを惜しんで無駄に時を潰してしまったといった描写が
されていたくらいです。
一方の内侍のほうも、心底義貞を慕っていたからこそ、
晒されていた義貞の首をもってこの地に隠棲し、
義貞の菩提を弔ったと伝わっているのでしょう。
見えてくる光景までまた違って見えるような気がします。
小松殿(平重盛)を祀るお堂。小松殿は、滝口入道が
出家する前に仕えていた主君。
出家前の滝口入道は、小松殿のかなり側近くで仕える
上級武士であったようで、身分高き身ゆえに恋した女性と
添い遂げることが適わず、思い余って出家してしまった彼は、
随分と一途な人だと思います。
より一層の憂いを帯びて見える気がします。
左に見えるのは平家供養塔。平家一門ほど短期間に
色んな意味で翻弄された一族もないかもしれませんね。
このお寺は小西真奈美が主演した映画「天使の卵」の
ロケ地ともなっているそうです。
この映画は未見ですが、ストーリーを見た限りでは悲恋の物語。
このお寺の由来を考えると納得のチョイスですね。
滝口入道と横笛、新田義貞と匂当内侍などの悲恋の話を
思い浮かべながら散策すると、十二分にその魅力を堪能できます。
多くの観光客は祇王子を見ると引き返してしまうのですが、
非常に勿体無い話です。まあ、だからこそ貸しきり状態で
心置きなく散策することが可能なのですが...。
ここだけ一際赤い色。受付のおばちゃん曰く、
以前はこんな色に紅葉したので、人力車のお兄さんが
お客さんをよく連れて来てくれたとのこと。
しかしここ数年この色で全体が染まるまでにはならないそうです。
京都も地球温暖化の影響から逃れることは出来ていないようです。
受付のおばちゃんが色々教えてくれて、濃厚な時間を
過ごせました。源平時代と南北朝時代について
ある程度の知識があれば、おばちゃんの言うことも
すんなり理解できて、濃密な時間を過ごせること間違いなし。
京都に再訪した際には、祇王寺と一緒にまた訪れようと
思いながら、滝口寺を後にした私でした。
Please Click Here![]()
人気ブログランキングに、歴史・写真・ニュースの分野で
参戦しています。厳しいランキング争いに
勝ち抜くためにも、是非お力添え願いまする
![]()
Please Click Here![]()
にほんブログ村にも、歴史・写真・ニュースの分野で
参戦しています。厳しいランキング争いに
勝ち抜くためにも、是非お力添え願いまする





















