※2009年10月にUPした記事ですが、画像や文字の
大きさを調整したため、再度本日の日付でUPしました
関連記事 佐原に行ってみた の続編記事になります。
(2009年)10月11日(日)の夜勤明けで再び佐原に向かい、
大祭を大いに楽しんできました。
久々に愛機のデジ一君も大活躍!だったのですが、
データの整理が中々出来ず、ようやくのUPとなりました。
今回は写真の点数も多いこと及び日々のネタ不足
(あ~言っちまった!)ことから数回に分けての公開といたします。
まずはおさらい。佐原とは千葉県北部の茨城との
県境近くにある町で、以前は佐原市だったのですが、
市町村合併によって現在は香取市の一部となっています。
初めて日本全体の地図を作成した“伊能忠敬”の出身地として
有名ですが、江戸時代には徳川家の譜代大名の
領国として栄えました。利根川があることから水運や酒造、
醤油作りなどが盛んで、現在でも数件の酒蔵があります。
ここでは夏と秋に大祭が催され、今回私が行ったのは秋の大祭。
江戸時代から昭和初期にかけて造られた山車を
佐原囃子のリズムに合わせて引き回すのがメインイベントですが、
今では「山車の人形を作れる職人がいなくなってしまった」
ともいわれています。
まさに山車の一つ一つが後世に残すべき文化遺産といえ、
このお祭り自体が重要無形民俗文化財に指定されています。
さて、本題にはいります。神話時代の人物の山車をご覧ください。
諏訪大神(昭和11年制作)
諏訪大神ですが、人の姿をしてませんね。
実際の諏訪大神は武御名方(たけみなかた)の尊が
国譲りを強要した天照大神配下の武甕槌(タケミカヅチ)神に破れて
信州の諏訪まで落ち延び、この地から外に出ないことを条件に
許されたということが由来。
後世では軍神として多くの武将に信仰されました。
特に武田信玄が厚く信仰したことは有名ですね。
瓊瓊杵尊(昭和10年制作)
瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)。私がこの方に初めて出会ったのは、
手塚治虫の火の鳥黎明編でした。あの話で手塚先生は
騎馬民族征服説をとっていたらしく、ニニギは大陸から
日本へ入ってきた侵略者といった描き方をされていました。
古事記や日本書紀では天孫降臨で日向の地に舞い降りた
とされており、天照大神の孫ということになっています。
古代史でも一際著名なヤマトタケルの尊。
この方とも初めて出会ったのは火の鳥でした。
英雄として描かれていますが、この方やってることは
結構エグイんですよね。それに
・この時代って槍は使われてなかったんじゃ
・武器として手にするのは草薙の剣じゃないの
といった疑問はあるものの、首に下げた
匂玉の首飾りや衣装等非常に美しいですね。
日本武尊(ヤマトタケルのミコト)と、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
がすれ違った図。こうしてみてやっとわかりましたが、
日本武尊が背に付けている剣は、三種の神器のひとつである
草薙の剣だと思われます。さすがは明治時代の職人仕事
このあたりに手抜かりはありませんね。
浦島太郎&義経のツーショット!
浦島太郎(制作時期=江戸後期)
浦島太郎は風土記に記載があることから、神話時代の人物としました。
前についている亀が結構リアル!
私の仕事は毎日の引継ぎがかなりの肝なのですが、
休み明けなどでは色々事態に変化があって状況の把握に
時間を要すことがあります。
そういった休み明けの状態を“ウラシマ状態”
と呼んでおり、結構日常的な存在だったりします。
仁徳天皇(明治8年制作)
神話時代編最後は世界最大規模の陵墓で有名な仁徳天皇。
「民家から上がる炊事の煙の少なさから民衆の貧しさを知り、
税を幾年か徴収しないという英断をした」
ことで有名ですが、どこまでホントですかね...。
歴史と神話のちょうど端境期におられる方ですから、
分からない事だらけです。
こんなところで神話時代編は終了。
佐原の大祭 平安時代の人物編 に続きます
歴史上の人物の山車を見て、少しでも「へぇ~
」
と思われた歴史ずきの方、是非ご協力を
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