※2009年10月10日にUPした記事ですが、画像や文字の
大きさを調整したため、再度本日の日付でUPしました
この時行った佐原の地図上の位置。以前は佐原町だったのですが、
平成の大合併により、現在は香取市の一部となっています。
2011年の3月11日の東日本大震災によって、液状化被害がでた
町でもあります。
江戸時代の頃は、海運や醤油の製造で栄えた湊町銚子への
水路の要として、この佐原も栄えておりました。
その名残が、今は小江戸として残る古い町並みであります。
水郷の町佐原のセールスポイントの古い町並みです
佐原。千葉県出身である私にとって、郷土の偉人である
伊能忠敬の出身地として一度は行ってみようと思っていた町でした。
しかし茨城との県境という位置にあり、実家時代も現在においても
片道約3時間を要すことから、今まで訪れることの無かった町でありました。
しかし(2009年)10月9日(金)~11日(日)にかけて
国の重要無形民俗文化財となっている大祭が開催中のため、
休日だった昨日9日に現地に行ってみました。
千葉県出身の偉人筆頭が、日本地図を作った伊能忠敬。
彼自身は九十九里から婿養子で佐原に来たようですが、
佐原には伊能さんというお宅がたくさんあるようです。
佐原はJR成田線という本数の少ない路線に位置する町ため、
鉄道でのアクセスはヒジョーに悪いのですが、観光スポットと
なっている古い町並みなどは確かにいい感じでした。
これは絵になります。実際映画やドラマなどの撮影でも
メインイベントの佐原の大祭ですが、9日は金曜日ということもあり、
10日と11日の予行練習的な状態であってあまり派手に町内を
歩いているわけではありませんでした。
それでもいくつかの山車には出会いましたが、主に古代の
人物や源氏の武将が目立ちました。
源頼義(明治8年制作)
それにしても人選が渋いというか微妙というか。
源氏なら頼朝や八幡太郎義家がいそうなものですが、
それらの姿が無くて為朝や頼義の山車がありました。
あと地域的には平将門が暴れまわった地帯であるのに、
平家の人物は全く姿が見えず。
スサノオの命は写真では分かりにくいものの、八岐大蛇や
櫛稲田姫(大蛇にささげられるはずだったが、スサノオに救われ
その妻となった女性)がしっかりと一緒の山車に乗っていて、その芸の
細かさには驚かされました。
とは言え正直消化不良気味でして、明日夜勤明けで
そのままもう一度現地に向かおうと画策中。
今度は大楠公(楠木正成)もカメラに収めるぞ!
佐原の大祭 神話時代の人物編
に続きます
歴史上の人物の山車を見て、少しでも「へぇ~
」
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