雷鳴が轟き、雨が矢のように打ち続ける。
ここ数日都心の空は心が休まることをしらないようだ。帰宅時間には、ビルの隙間から雷光があちらこちらで生まれ、それは高校の化学の授業の中で実験しているようだ。
僕は生憎傘を持っていなかった。鞄の中は出来るだけ軽くしようということで、一番利用目的が少ないと考えた折りたたみ傘は、玄関の収納入れに常駐させていた。
夕方赤坂見附の地下鉄の出口から足を踏み出した途端、バリバリと雷鳴が轟き、ピカッとが雷光が夕暮れの真っ黒な空から降りてきた。高層ビルの灯りと雷光が同期するように僕の脳裏に激しい困惑をおこさせた。
数分前まで地下鉄の中で、心地よい時間を過ごしていたのだ。
石牟礼道子の自然小説を読んでいた。ここ数週間彼女の本を就寝前と起床後にベッドで読むのがルーティンになっていた。
地下鉄の中の喧騒とした雰囲気を少しでも和らげてくれる。
僕は、彼女の名前は知っていたが、著書を読もうという気がおきなかった。なんだろう? 彼女が生涯にわたり、水俣病の被害者と行動を共に生きてきて、それを文字に置き換えて多くの人に共鳴させた。その事実は知っていたが、そこに足を踏み入れる勇気はなかった。
ある時神田の本やで彼女の自然小説を手に取った。
書き出しが、想像していた革命家いや戦う女性のイメージと真逆な自然に優しい綴りそして文体。また熊本弁を散りばめた会話が僕の読書心を引き付けさせた。
魅了したのだ。彼女の幼少の時の体験が僕の体験に似姿のように締め付けられた。
まだ読み終えていない。
だが、今地下鉄を降りて、激しい雨音と雷鳴に触れると一瞬に現実に戻された。
今週は冬の気配を感じさせるかもしれない。
だが、まだ彼女の体験した自然豊かな水俣の山々そして海を総てを見ていない。
今日も彼女の気持ちのページを捲りたい。