さて、魂の解放が進む中で、
色々な個性溢れる人達が増えてきているなぁと感じまする^ ^


私はそんな世の中を待ってました!笑


そんなこんなで、最近はこれからの未来はどんなかなぁと一人で妄想ばかりしております♡

そこでふと、

自由とはなんぞや!

という問いが思い浮かんできました。


そこで、今日この頃私が思う事、気づいた事と以下綴ります♡



自由があれば、不自由がある。


そうそう、我々言葉遊びが好きだから、
言葉にしちゃうとどうしても対義語にもフォーカスしちゃうんだけどさ!


自由ってどうやって説明したらいいかなぁと思った時に、

不自由な事からの解放って考えると自由をより捉えられる。


じゃぁ自由を謳歌するってどうやったらいいのかというと、

実は、

魂を解放する!

って事なんですね!



魂を解放するってどんなだ??



色んな概念やら観念を無意識にも背中に背負って歩いてる我々は、背負ってる事も気づかずに日々過ごしているんだけども。

その知らずに背負ってきた荷物にまず気づいて、
それを尚且つ、
自分で要らないっていっておろしていくの。

一生懸命背負っていた旅のお供の荷物が最終何もなくて、最初はなぜか心寂しかったり、退屈になったりするかもだけども、そんな気持ちも荷物の一つだからね笑

それさえも気づいて、脱ぎ捨てていった挙げ句の果てに、


自由が待っている笑




人は意外にも平和が苦手というか、刺激が好きで、砂糖のように中毒性のあるような現象が大好物笑



比較対象やら何か物差しさえあれば、自分を捉えられる事ができる。
だけど、いつしかその物差しや比較対象を見ている事を忘れて、感情移入して、そこから出られなくなるのね。


いつしか、刺激が無いと、背中の荷物がないと不安!とか、自分の防御策が無いような気がして、殻に閉じこもる笑



もともとその背負ってきた考えも貴重な経験も、本当の自分自身ではないわけね。



本当の自分は、本当になんもない真っ裸なようなもんですな^ ^



ようやく身軽になった!

みたいな感じが魂の解放

いわゆる

“自由”

でありますな。



自由ってむしろ”無であり有であり”


なんだろなぁ、



色々な概念や考えなどからも解放された先にあるなりよ。



概念とか考えってやっぱり言語化されて捉えられてるんだけど。

それはたった一つの概念という道しるべでしかないのよ。

人の数だけある概念をね、自分の魂から脱ぎ捨てていく、その果てに自由がある。


宗教のように、本質に繋がるための道しるべ。

なんだけども、

実はその中でその概念についてあーでもないこーでもないと議論しているうちは、その概念の内側にいるだけでしかないのね。

その無数にある概念を色んな角度から捉えていく内に、それが概念だったかも忘れて自分の中で普通になっていくと、

その枠内にいる事も分からなくなるわけです。

そんでどこかの宗教のような儀式化されてしまう。儀式化は魂にとってはなんもないなりよ。外見だけでやっていてもに。



嘘も100回言ったら本当になるみたいな感じで、自分に暗示をかけているのと近しいわけですな。


だからこそ、


自由って何と聞くと、対義語を使うと捉えやすくなります。

が、

真に自由になるには、対義語も必要なしの無の境地になる勢いです笑



今どうにかしてイメージを綴っておりますが、なかなか難しくてもどかしい笑


自由って言葉に出来ない、言葉という人類の文明最大の発明からも縛られてもない、何もない、無に近いのかなと最近思うんだなぁ^ ^


概念の中の自分でいる限り自由ではないというかね。


自分が思ったより、自分の魂はまだ不自由というかね、それを私は感じたわけです笑


究極は本当、
無だなぁと思うんよね。


無って有でもある事なんだけどさ。


言葉にするとなかなか捉えられないなぁとつくづく思います笑



意外にもね、必死にツインソウルとかを捉えようとして、7つのステージとかにフォーカスしすぎたり、絶対何がなんでも彼と統合する!って思うと、なんだか自分らしさと程遠い何かになろうとしている気がしますよ^ - ^



魂を解放、野放しにすると、


本当に生きやすいっす!

ってなるよー!なるよー!笑


あんまり肩肘はらずにさ、
ゆる〜くいこーよ
みたいな笑



なんか、本当に、このツインソウルってなんやったんだっけ?ってくらい

解放感に満たされてしまっているワチシ笑


でもね、

なんだかこれをお伝えしていく事は、
もしかしたらいいのかもなぁと思って書いてますよ〜♡


では、またユルユル気づいた事を書いていきます笑



自由を求める人の心は
支えもなくつまずく

だが、すでに自由となった人の心は
自らの足で立ち

熱情に溺れることがない


Ashtavakra Gita