ヤツがわたしの片割れであると知ってからというもの、

自分の中の真実がガラッと塗り変わり、
私は全ての今までの出会いが必然だったと知り感謝する毎日が続いた。


この自分の中で大きな軸がストンと落ちてから私の現実が動き始める。

それと同時に、彼の現実も動き始める。



人生の先輩からは、
“キキちゃんのお母さんが(離婚を)許さないかもね。”

と言われていたが、母とは昔から恋愛話を普通に話せる仲だったので、大丈夫だと思っていた。


だけどやはり、先輩の言うとおり、唯一反対してきたのがまさかの、

母だった。

“母も父に対して我慢してきた、結婚は我慢や妥協が必然で、それでも一緒にやっていくぞ!と決心して結婚したんじゃないの?!そんなワガママに育てた覚えはない!離婚するなら勘当する!”

と言う強烈な叱りだった。


私は驚いてしまった。

私はこれは何?!と思ってしまった。
いつもの温厚な母とは全く違う勢いだった。

そこで、母の心の矛盾を垣間見てしまった私は、母の反対を押し切り、今までの母の”思い込み”も全て論破した。

自己犠牲は正義でも愛でもなんでもない!!

母は、自己犠牲こそ愛と信じていたのだ。

そうじゃない!

全てが真実じゃなかった。

少なくとも、私にとっては、全くの偽りでしかなかった。


母はその後納得してくれた。
父は、”キキがそうしたいんだろ?じゃぁ責任持ってそうしなさい。”と言ってくれた。  


(子は親を超えていくもの。
これは通過儀礼の様に思えた。
これについてはまた今度改めて書きまする。)



私は離婚手続きを進めたが、その前に旦那が外国人という事もあり、彼のサポートはすると決めていたので、直ぐに離婚は出来なかったが、旦那も私の思いに納得してくれた。旦那には幸せになってもらうしかない!と感謝しかなかった。


そんな中、
彼の現実は着実に動いていた。

私は自分の現実が動いてから彼に連絡をする気になれなかった。
次々に色々な展開が起こっていったからだ。
そう、転職と離婚が立て続けに起こっていった。


年を越して早々、


彼からビデオメールが届いた。


楽しそうに家族と映る彼を久々に見た。


彼から連絡なんて珍しいと思いつつ、
私は彼に対してその時は、
愛おしい人、としか思わず、
それ以上何も求めていなかった。


時がすぎて、
私の転職する月になった。

私は次の会社に入社する前に、
彼の国に個人旅行しに行く事にした。

きっかけはキーパーソンの友人が行くというからだった。



私は辞める前に彼に最後の挨拶メールをした時、彼の国に遊びに行く事を伝えた。



そして、

私達はまた会う事にした。

なんだか年明けから積極的な彼は、
私に会いに来ると言うのだ。
私のいく街(彼の田舎街から飛行機で三時間くらい)まで来ると言ってきた。


“君はベストフレンドだから、君が来るならどこにいても会いにいく”

だって。

ふーん珍しい。と思いつつ、
私達はまた再会する事にした。


たったの四日間、
また2人で向き合って話す事になった。


そーんな感じで、
ヤツが結婚するまでも、
まだまだ色々あるんだよね笑