昨日は東洋医学系の医院でバイト。
終わってからのご褒美ランチ。
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今日、すごい事に気づいた。
友達とLINEで、お金にまつわる話をしていたとき。
お互い、昔から最低限しかお金がない状態なのだけど、特に最近、友達はお金が入ってこない状況に不安を覚えているそうで、そんな話になった。
私は、お金がない修行を長年してきたお陰で?
お金が無いことに恐怖は感じなくなってて、むしろ、お金という「概念」で出来たものよりも、生の体験、例えば、
手紙を書くとか、人との出会いとか、歩くこととか、そういう体験の価値に深さを感じるようになってきてる。
特に、畑を少しするようになってからは、
こんな小さな種から、半年近くも沢山の実をつけ続ける野菜の魔法みたいな成果を知って、
本来はみんなこんな力を秘めているのが世界なんだ
と知ると、紙でできたお金そのものや、
お金を追い求める事には興味が薄れた。
っていう話をした時に、ふと見えた。
お金が無かったから手に入った物たち。その膨大さ。
圧倒される程の量と深み。
私が経験してきたり、もらったりした物は
お金が無かったから手に入ったものばかりだった。
お金が無かったから、親友と出会えた。
お金が無かったから、憧れの人にご飯をごちそうしてもらった。
お金があったら、当時、初めて出会った、後の親友の家に泊めてもらう事はなかった。
お金があったら、あの憧れの人が私にご飯をごちそうしようと思わなかっただろう。
タダ飯が嬉しかった訳ではないし、お金があっても一緒にご飯は食べたかもしれないけど、その人の情というか、優しさのようなものに触れる事はなかったかもしれない。
そんな出来事以外でも、
これまでの人生の、大人になってから経験した事の全てが、私にお金がなかったから起きた事だ。
「ある」から手に入るとは限らない。
「ない」から手に入るものだってある。いや、その方が膨大なんじゃないだろうか。
価値観が一変した。
昨日、一目惚れして買った300円のイヤリング
これも、お金があったら出会えてなかったかもしれないよね。

