Vlogの2本目をアップしました。

 

 

もし良かったら見にきてください❤️

 

Vlog作りって、すごく自分自身へのセラピーになります。


もともと、私は「撮影」されることにすごい恐怖があって。それは昔から自覚していたんですが。


特に、顔。

 

顔の輪郭が歪んでるので、

それが酷くコンプレックスなんですよね。

 

だから、なるべく見られたくない。

特に正面からじっくり見られたくない。

 

それが大元にあるのですが、

そこから広がって、

私自身、全体が汚物であるかのような、

更には、私の服や部屋や、私を取り巻く世界も、ダサくて笑い物になるようなものだ

 

なんていう意識があるんです。

 

普段それが病的に外に現れている訳じゃないけど、よく見つめると、確かにある。

 

それが、日々の行動に影響して、人生の展開にも関わっていると思うし、

(だから結局独り身なんじゃないかな?)

これがもしかすると、抱えてる病気の大元なんじゃないかな・・?

 

数年前、失恋でズタボロになっていた時、

壇珠さんの「秘行」というメソッドを通して、

自分への温かい愛に気づくっていう大きなブレイクスルーを体験したことがあって、

(その瞬間、号泣した)

壇珠さんについてはこちらドキドキ



こんなに色々歪んだ生き物だけど、

大事な命で健気でとっても可愛い。


と自分で感じられるようにはなっていたんだけど、

 

その自分が、外界でも愛される

他人にも堂々と見せる価値のあるもの。

 

という部分にはブロックがあったんですよね。

 

私という生き物を見て、喜ぶ人達がいるとは

信じることができていない。

 

そういう状態だったので、

最初のVlogを撮影した時は、

 

自分の部屋も、

私にとっては好きなもので作られているけれど、本当は写す価値のない汚物の一部である

 

という疑いがあったんです。

 

笑。

 

こうやって書いてみると、可笑しいですね。

本当に自意識過剰なんだけど、

そういう想定が頭の中にこびりついているんです。

 

でも、実際、撮影して、その画像を見てみたら、フツーだった。


 

フツー。

 


フツーに可愛い。

 

自分の姿を含む、私の空間を撮った映像を見た最初の印象は、

 

あれっ?なんか別に、普通に可愛いじゃん。

 

そこには、

汚物に対する嫌悪感みたいなものは無かった。


普通の女の子の部屋だった。

 

心の奥底が、

 

ホッ

 

と緩んだのがわかった。

 

それと同じように、

私の手の仕草も、歩く姿も、息遣いも、

1本目を撮影した時は特に、

 

何しろ自分が人様にとっては汚物なんじゃないかという疑いがあるので、

 

1つ1つの行動がビクビクしているのです。

 

それが、2本目では、安心しているので、

少しスムーズになってる。

 

そういう変化がとても嬉しい。

 

そしてね、

自分の撮った映像を見ながら、

 

もっと髪の毛を綺麗にしてあげなきゃなぁ、

とか、

もっと素敵な部屋着を着せてあげなきゃなぁ、

とか、

もっとちゃんと栄養のあるもの食べさせてあげなきゃなぁ、

とか

 

思うんです。

今は、手持ちのものでやってて、

Vlogのために、新しい服を買ったり、調理器具を買ったりしていないのですが、

 

お金の余裕がなくて、疲れているから、

何年も何年も同じ服を着続けていたり、

髪の毛の手入れができていなかったり、

体が満ち満ちていなかったり、

 

自分にお金をかけなくちゃって

頭では分かっていても、日々の暮らしの中で、少しずつ無視してしまってる自分への投資の欠落を、


映像で見ると、

まざまざと思い知ることになる。

 

何も知らなくて見たら、現実ではそこまで写ってないかもしれないけど、

私は、当たり前だけど、裏事情を全て知っているから、つぶさに分かるし、


そういうのって、

エネルギーで伝わるものですよね。

 

私が好きなVlogの発信者の女の子達は、

自分をちゃんと大切にしていて、それが画面で伝わってくるから

見ていて幸せになるんだよね。

そして、だから人気がある。

 

それは必ずしも、新しい服を持っていればとか、

豪華な暮らしをしていればっていうことではないんだけど、

 

例えば、自分の子供が、

全校生徒の前に立って発表するようなことがあれば、

その子の髪をとかして、一張羅(古い?笑)を着せてあげる


そういう親心みたいなこと。

 

そういう時に、

着古した穴の空いた服のままで、

髪の毛もボサボサのまま、出ろ

って、手をかけてあげないなんて、

 

酷いよね。

これも暴力の一種だね。

 

お金がないなりにでも、その時にできる範囲で、整えてあげようとすること。

 

そういう親心があれば、

例え、新品の服を着ていなくても、

その子は幸せな気持ちで、堂々とみんなの前に立てると思うんだ。

 

あ、なんかめちゃ泣けてきた。

 

 

というわけで、

私はまずは、これを着てVlogに写りたい❤️と思えるようなパジャマを探そうと思います!泣。