Vlogを始めてみました。

 

 

 

いいなぁと思ったら、やってみたくなるこの性格。ww

 

完全なる素人でも、アプリで簡単に編集できるのですが、なんぜ初めてだったので、けっこう大変でした。


それでも、生活の合間合間に編集して、1週間くらいかな。


アプリってすごいね。

楽しい時代ですね。

 

もしよかったら、覗いてみてください。

でも要領が悪くてだらだらと長くなっちゃったし、全部観なくても良いです〜。

 

今日アップして、再生回数4回とかなので(←たぶん全部私)回数が少しでも伸びると幸せです。

 

ここにも書いたことがあるのですが、

去年、皮膚炎で長い間苦しんでいた時期、

韓国の女の子のVlogを見るのがささやかな楽しみだったんですよね。

 

皮膚がボロボロになって、気が狂いそうなほどに痒くて、痛くて、情けなさと不安の中にあった時、


別の国で、日々の生活を送って、時々友達と出かけたり、頑張ってお仕事をされてたり、ときには風邪をひいたりしながら、


そういう地に足の着いた温かさのある暮らしを送っている女の子がいるっていうのを見るのは、なぜだか心が安らいで、希望を感じたんです。

 

それはきっと命の可愛い輝きを見ていたからなんでしょうね。

 

なので、私の単調な日々も、

世界のどこかで癒される人がいるかもしれないし

 

と思って、

始めて見ることにしました。

 

 

Youtubeの広告収入のシステムもいいなと思うんです。

 

お金って、確かに、

価値相応のものにきちんと支払ったり、徴収することが大事ってことはわかるのですが、

 

そして、

お金を払えない人を甘やかすことは、

私自身にもお金が回ってこない悪循環になる

という仕組みにも気付いてはいるのですが、

 

自分が本当にお金がなくなった経験があるから、

(数年前に、全財産残り800円という記録を達成した)

 

今「本当にお金がない人」を、

商品を売ったり、支払わせる対象にすることに

違和感を感じる。

 

まあ、そういう人は買わないだろうけど、

なんていうんだろう、頭の中の想定が、

商品を売るってなると、やっぱり顔のある個人にお金を出してもらうことをイメージすることになって、そこには今お金が無い人だって当然含まれてくるんですよね。

 

 

お金への緊張感を突破することが、

お金に対する枠組みを壊して、豊かになる方法だみたいなことを聞くこともあるんだけど、

 

もっと軽やかな方法があるはず。

 

 

お金のことに限らず、

何に対しても、そう思うんです。

 

イバラの道じゃなくて、

フワッと常識を外したところに本来の答えが隠れているはずだって。


答えって軽いものなんです。

 

 

お金は、その時払える人が払えばいい。

 

何なら、商品と引き換えじゃなくても、

お金が余ってるなら、私のとこにください。

 

なんて、思ってる。

ということに最近気づいた。

 

 

そう。

 

何かとお金が交換である必要って、別にない。

 

労働に対する見返りじゃなく、

 

ただ私が生きてる姿を世界に見せることで、

それがお金となって帰ってくるとしたら、

むしろ、自然なことに思える。

 

広告をつけることの是非や好みもあるけど、

月額払えば広告外せるんだから、

 

今お金がない人は、広告を見ながら閲覧すればいいし、

お金の余裕がある人は、月額払って、自分で広告を外して見ればいい。

 

そして、別に物を買わなくても、ただ、

高評価のボタンを押したり、再生することで、

誰もが平等に、発信者の収入を応援することができる。

 

素晴らしいシステムだなぁ。

 

お金を稼ぐにも、お金を払うにも、

心を痛める時代はもう終わった。

 

そう思います。

 

 

とはいえ、

Youtubeの広告収入って、ハードルが高いみたいなので、再生回数4回で語る話じゃないですね。笑。

 

でも、

Happyちゃんだって、

最初は閲覧回数3回、とかからブログを始めたんだからね。

 

とりあえず、

見てて気持ち良くなるような映像作れるようになりたいから、

動画作成に熱中してみようと思います。