久しぶりに、珈琲が飲みたい、と思えるようになりました。



デカフェですが。


もともと、珈琲大好きで、

毎日欠かせなかったのですが、

4月頃、突如、美味しいと感じられなくなって、

飲むと、卵巣の辺りにズシっと何かが来て、

怖くて、飲めなくなってたんです。

 

その後まもなく、

卵巣や子宮の疾患が見つかったので、

体からのメッセージだったんだろうな。

 

ちなみに、

10代後半から、これまで、珈琲を全く飲まない時期って人生初でしたが、

生理痛は軽くなったし、顔色も良くなったと思う。

 

珈琲を常に飲んでることで、かなり体に負担があったのかもしれない。


 

コーヒー

先週のある夜、

晩ご飯を食べてゴロゴロしてたら、

急に頭に降ってきました。


 

これからは依存型で生きていこう。

 

 

え??

と驚きつつ、

でもこういうのって、体や魂からの声なので、

どういうことだろう?と反芻してみました。

 

10代の頃から、

どうやったら、女で、自由に生きていけるんだろう?

と試行錯誤してきた私。

 

とくべつ自律心が旺盛だった訳じゃないんだけど。


むしろ、善良な両親&家族に守られて育ったので、

 

この甘えっ子の私がどうやったら自立できるんだ??

 

という試行錯誤だったかもしれない。

 

 

でも、実際、

社会に出てみると、

 

女の体で組織の中で働くのって、

とても大変で、

あっという間に体は壊れていったし、

恋愛や結婚の裏側には、

庇護と引き換えに、

「彼女」や「嫁」は自由を差し出さなければいけないという隠されたシステムが見えて、

参加し切れなかった。

 

(そんなのばっかりじゃないと思うけどね)

 

 

そんなに大したことを望んでるとは思ってない。

 

ただ、自分自身を生きたいだけ。

 

のびのびと、誰かに気兼ねなくすることなく、

能力を発揮して、全力で生きていきたいだけ。

 

それだけの、とてもシンプルな、

根元的な願い。

 

でも、このささやかな願いを曲げないためには、自立が不可欠なんだなぁ。。

 

と思い知ったので、

自立するっていうことを最優先にしてきた。

 

 

そんなだったので、

 

これからは依存型で生きていこう。

 

という魂の呼びかけ?には驚いた。

え??

今まで大事にしてきたことと、正反対じゃん。

 

 

でも、確かに、最近、

自分と周囲に対する感覚が変わってきてた。

 

とくに、

前回の大変だった生理を体験してから。

 

たくさんの血を失って、

数日に渡って痛みが続いて、

まさに、出産とか、内蔵損傷。

 

そんな体験をしていることが、

そして、そんな自分がその後すぐに仕事に行かなければならない事とか、

仕事に行けば、何もなかったみたいに、

男性や、他の人たちと同じように振る舞うこととか、可哀想でたまらなかった。

 

 

生理が大変だったのは、

前回が初めてじゃないけど、

ごまかしていた感情がようやく、

正常に機能するようになったんだと思う。

 

毎月、こんなことが起こってるのに、

これ以上、何も辛いことをさせたくない。

 

女性は、快楽だけを求めていればいい。

 

むしろ、

快楽だけを求めていないと、

自分への虐待になってしまう。

 

それくらいのレベルで、

「快楽だけでいい。」

 

そういうことを感じて、

その後、男性への感覚も変わってきた。

 

女性も自立していて欲しい、

 

と言う男性の意見に、

殺意を抱くようになった。

 

前は、それが正解だと思ってたんだけどね。

 

なんでも自分でできると思ってたし、

助けてもらったら、その分動きが重くなる気がして、嫌だった。

 

でも、例えば、細かい話で言うと、

卵巣を患ってから、重い物を持つのも、怖くなったんだよね。

 

グッと、卵巣辺りに負荷がかかるから。

 

こんなことを、

ずっと私は私自身にやらせてたんだなぁ。

 

と実感しました。

 

女の体って、やっぱり華奢で、か弱いよ。

 

私はそうじゃないって言う人がいるかもしれないけど、

みんなそうだと思う。

本当は、ほんのちょっとの無理もきかない。

 

 

これまでの、自分を押さえずに生きたいという思いは間違ってたと思わないし、

庇護と自由を引き換えにしようとは思わない。

 

でも、たぶん、

依存するということが、

そういうゴールに、回り回って、繋がってるんじゃないかなぁ。

 

 

なので。


今後は、

依存して生きていこうと思います!



新しい試みです。

わくわくドキドキ