きのうは私の誕生日でした。

 

わーーーおめでとうガーベラ私。

 

 

ふと気がついたんですが、

これまでの人生で、私にとって事件と呼べること、いつも誕生日付近に起きてた。。

 

私人生の事件簿

①7年前

経営破綻しかけた会社であと1年働くことを決めた。

体も丈夫ではなく、沈没船みたいになってる仕事場でその部署を支えるために残ることを決めたのは私にとっては命をかけた覚悟でした。

その年のGWに出雲神社に行って、

怖くて不安で、どうか力を貸してください。

って、人生で初めて神頼みをしにいったのでした。

 

②5年前

覚悟を決めて飛び込んだ恋愛で

一方的に突然振られた。

国の違いとか宗教の違いとか、色々障害があってとにかく大変だった。

心が一回死んで、再生した。

 

③今年

子宮内膜症&筋腫と診断された。

 

 

こうやって書いてみると、どれも世間でよく聞く出来事だけど、3つとも、私にとっては「死」を感じる出来事でした。


内膜症とか筋腫は、命に関わる病気じゃないけど、体に病床がある状態って、人生で初めてで、以前と違う世界になった。


 

死を感じるっていうのはつまり、

この私の心と体で乗り越えられるかどうか分からないものに突っ込んでいくという経験です。

 

私の心身がその出来事に耐えきれなければ

終わりなわけ。

 

 

そして、①も②も、

乗り越えた今から思い返すと、

脱出の道筋を知ってるから、


ああ、大変だったなぁ


というくらいのことなんだけど、

その時は、とても怖かった。

 

そして、それらの出来事を乗り越えたときは、

別人のようになっていたし、生き方が変わってた。

 

だから、こういう致命的な出来事っていうのは、無理やり「枠」を広げるために起こるんだと思う。

 

過去の出来事に直面したときは

とても乗り越えられるとは思えず、ほんとに怖かったけれど、

 

(失恋のときなんて、本当にどうやってもう一度心を生き返らせればいいのか全然分からなかった。)

 

でもちゃんと抜ける方法ってあったから、

今回も、今はどうすればいいのかわないし、

 一般的には治ることはない、と言われているこれらの疾患をどう治癒させていけばいいのか、実際治るのかも分からなくて、

濃い霧の中にいるみたいだけど、

 

やっぱり道はちゃんとあるんだろう。

 

そして、これを抜けたとき、

違う自分になってるんだろう。

 

 

誕生日って、なんて恐ろしいの。。。

 

 

でも、この呪いが、

ギフトのタネなんです。


いつだってそうだったんです。