東京や大都市の様子はわからないのですが、

みなさまご無事でしょうか?

 

私は関西の小さな町に住んでいるのですが、

とうとう、身近なエリアで感染者が1人2人発生して、職場でも、診断はされていないけれど、コロナかもな、という症状が出ている人を見聞きするようになったので、


これはもう、やってくるな、

と覚悟を決めることにしました。

 

3月末から少しずつ、

本田健さんなど、様々な賢者の発信のおかげで、非常事態宣言などが出される前に、滑り込みの先手でロックダウンなど、コロナ「防止」の状況に備える準備をしてきました。

 

2週間家に閉じ込められるという想定で、最低限の備蓄をして、


ウイルスにすでに接触しているという想定で、家に入ったら服をすぐに脱いで、手を洗って。。と。


(この方の記事が参考になりました)

 

 

今回は、

 

コロナにはかかる

 

という設定に変更です。

 

もう、これはかかります。

仕事場にもまだ通わなければならないし、

仕方がない。


あとは、うまく乗り越えられるように努力するだけです。


予防もするけどね。

 

 

いよいよそういう状況になってきて、

人の心の課題が、炙り出されてきてるなー

ということを感じます。

 

例えば、自宅待機が長引いたら

嫌でも自分の孤独と向き合うことになります。

 

私は、一人暮らしも、家族暮らしも、

課題は結局は同じだと思っています。


1人で見つめるか、

相手に写して見るか、の違いだけ。

 

人はたいてい、

自分の中の知らない顔を見るのが怖いのだと思う。


一人暮らしで孤独に向き合うのが怖いのは、

自分中の光の当たらない未知の部分を見るのが怖いということだし、

家族やパートナーの「見たくない部分」を見ないふりしてしまうのもまた、

自分の中でその部分に反応する経験を避けているのだと思う。

 

自由で快適になろうと思ったら、

その、見たくない部分と格闘するしかない。

 

 

これからは、「仕事」という物理的な場所や、

フェイクな「苦労」や「やりがい」に

逃げることができなくなってしまうから、

無自覚なままキツくなっていく人はたくさんいそうですね。

 

もし、今、

孤独を感じて押し潰されそうになっている方がいらっしゃいましたら、

この記事を読んでみてください。


 

私が、孤独とサシで対面したときのことです。



孤独が怖くて怖くてたまらなかったけれど、

思い切って、お化け屋敷のオバケの顔を正面から覗き込むみたいにまっすぐに見つめたら、

なんとそのおばけこそが、黄金に輝く不死鳥だったよ。

 

という話です。

 

孤独は怖いものじゃない。

そこに、大きな宝物が眠っているから、

簡単には開けられないように、恐怖によって、厳重に封印されているんです。

 

 

世界は、大変な道のりを通過することにはなるのだろうけど、それにより、最終的には、自由で快適な未来が訪れるのだと思うんです。


 

ずーっと、その相手と家で一緒に過ごさなければならないとしたら、

お金の心配をしなくても暮らせるとしたら、

相手に気を使わなくても、安全に生きていけるのだとしたら、

 

 

私は、誰と一緒にいたいだろうか?

 

 

どんな男性を好きになるだろう?

 

 

そんなことを、考え続けています。


けっこう大事になことだと思うんだ。

未来に向けて、シミュレーション中ドキドキ