今朝は、3連休も最終日だし、
自分ビジネス的活動するかー
と、意気込みつつ目を覚ましたのですが、
朝ごはん食べながら、ふと上がってきた、このYouTube動画が目に入って。
https://youtu.be/Z2bsIxeJfJo
本田健さん
お名前はよく目にしたことがあったのですが、
どんな方かは知らず、その発信に触れたのは今朝が初めて。
でも、この動画に、
あっと思って、見入って、
ソッコーで、備蓄を買いに出かけました。
車持ってないし、自転車で、
めっちゃ重かった~
持って帰れないかと思った~
で、帰宅してから、
本田健さんが、このコロナ騒動について語ってる動画シリーズを一通り見ました。
まだ、この方がどんな方なのかは
よく知らない。
でも、
あ、これは信用できる人だ。
という直感と、
あ、これは大事な情報だ。
という直感。
私はこういう直感があれば、
その人について詳しく知らなくても、
全てを信用します。
この動画のおかげで、今起きてる状況と、
自分が密かに感づいてる感覚とがパズル合わせみたいに一致した。
備蓄って言っても、お金の余裕も無いし、
揃えられる量なんて知れてる。
でも、こないだみたいに
トイレットペーパー買うために
スーパーに並ぶなんて2度としたくない~![]()
ので、いざ、非常事態宣言が出て、
混乱したときに
スーパーの殺到に参加しなくていいように、
とりあえず、数週間、家に閉じこもっていられる程度。
あとは、少しずつ、
買い足していこうと思うよ。
今、日本は
いったん落ち着いたみたいに見えるよね。
でも、体の病気でも、
いったんハラハラする症状を超えて、
落ち着いたかに見えて、ほっとした後に、
バーンときたりする。
体の中では何か起きてるのに、
表面には出てないっていう
ホラーな感じ。
日本にだけ目を向けてたら、
穏やかな感じなんだけど、、
外国人との付き合いもあるから、外国の様子がダイレクトに伝わってくる。
ヨーロッパに帰国するはずが、
飛行機が軒並みキャンセルになって帰れなくなってたり、
さっき、フィリピン在住の友人とスカイプでお喋りしてたら、ロックダウンの自宅待機で暮らしてる中、今週は、息子さんに発熱があって、泣くほど心配したとか。
(今は回復してるんだって)
今後を予測する力も知識もないから
自分の直感でしか分からないけど、
もう、世界は変わってるんだ
と、肌で感じる。
きっと、
世界恐慌ってやつも来るんだろう。
生き延びれるかなぁ。
私の月収は手取りが13万円くらいで、
口座には10万円くらいしかなくて。
これから来ようとしている、厳しい大混乱の時期に、あっという間に押しつぶされる貧乏人であることは間違いない。
でも、この1年、
お金や年齢や社会的地位に関わる恐怖とひたすら向き合ってきたから、
「失くす」ことに対して、恐怖もない。
全てを失くしても、
いや、全てを失くしたときにこそ、
必ず、次の扉が開くことを知ってる。
もしかすると、
この、全てを失くしたときに次の扉が開く
というパターンを、
地球全体でやってるのが、今なのかもしれない。
なんかさ、
ちょっと裕福な人達の話や思いに触れると思うんだけど、私よりずっとお金を持ってる人でも、私が向かい合ったのと同じ恐怖を持ってるみたいなんだよね。
お金が足りなくなったらどうしよう
これ以上、どうやって稼ごう
みたいなの。
それでさ、
更にお金がある人っていうか、莫大なお金の量を回してる人が、逆にすっぱだかみたいな印象だったり。いっぱいお金あるのに、何も持ってないみたいな感じだったりするの。
そう思うと、何が違うんだろうね。
お金があるのと、無いのと。
私が、もしお金持ちだったらと想像すると、
ひどい困窮に陥ってる人が他に居たとしたら、
分けてあげなきゃ!!
って思うと思うんだ。(たぶん!1人でジャグジーしてるかもしれないけど!)
そうすると、
そういう思いが少しでもある限り、
自分の持ってるお金に対して「足りない」って感じるような気がする。
地球上で困窮してる人がいなくなるまで
そう感じることになる。
ってことは、
地球上に、困窮してる人が存在しなくなるまで、
足りない
という気持ちは続く。
だから、
足りないっていう感覚は、世界で解決することなんじゃないかなぁ。
もう寝ます。
おやすみなさい。
