3連休で明日もお休みなので、

気楽な夜です。

 

最近、あまり人に会わずに1人で過ごすのが好きなうえに、コロナ騒動で、あまり出歩いたり、友人と会ったりもしないので、たぶん明日も家で過ごすと思うし、3日間、引きこもり。

 

今夜は、フィリピンのマニラ在住の友人とスカイプすることになってたんだけど、あちらはネットの状況が不安定なこともあって、今日はキャンセルになったので、ほんと、人と喋っていません。

 

以前は、この孤独というものに追い詰められそうになったこともあるのだけど、

この孤独こそが、全ての源だっていうことに気付いてからは、(そのときの気づきについてはこちら宇宙人。)


この状態を悪いものだとはとらえていません。

 

淋しい、と言う気持ちも感じなくなった。


というか、


孤独=淋しい 


という状態が常になって、

それがポジティブでもネガティブでもなく、単なる状態という認識で、


1人でいるときも、他人といるときも、家族といるときも、「孤独」というバリアに包まれて、周囲との距離が確立されて一定になった感じなので、1人でいても、他人といても、あまり変わりません。笑。

 

なんかもう、

二人で一つになる溶け合いを求めるような、友情も恋愛もしないんだろうなぁ。。。

 

などと言いつつも、

「1人の時間」を過ごすことが飽和点に近づいてきた感じもしています。

 

「孤独の時間」というものを、

若い時はその孤独に苦しめられながらも、

やっぱり、それを渇望して、1人でいることを本能が選んできてたんだと思うんですが、


(淋しいとか言いつつ、人といると昔から疲れちゃうんだよね)

 

私は、土曜日は用事がない限り、ほぼ毎週、

一日中海外ドラマを見続けるっていう過ごし方をするんだけど、

 

hulu とかNetflixなんかの動画配信サービスがメジャーになって、ここ7年くらいかな、


お休みで家にいられる日は、

ずーーーーーーーっと

海外ドラマを見続ける

という過ごし方をしてるんですよね。

 

そういう時間を、ものすごく欲してたの。

 

中毒でもあったと思うし、

飢えてもいたと思う。

 

それがね、ふと、昨晩、

 

あ、なんかそろそろ満ちてきたかもしれない。

 

という感覚があったのです。

 

今までは、

ドラマを見終わっても、見終わっても、

「もういいかも」

という感じが無かったんですよね。

 

ドラマを観ていない時間は、ずっと我慢して他のことをしてるみたいな状態。


 

それが、初めて、


もう、他のことしてもいいかも。

 

と感じた。


 

それで、思ったんだけど。。。

 

私、もしかして、

子供の頃からずーーーーーーーっと、

 

観たいものを存分に観る

 

ということに飢えてたんじゃないだろうか。

 

私は三姉妹の真ん中育ちなので、日々の生活の中で、そもそも家族の中で希望が通る立場ではなかったし、家族に囲まれてると、まぁ、ちょこちょこ邪魔が入る。

 

私、今まで1人でいたのって、

 

ドラマ見たかっただけなんじゃ。。。。

 

という疑惑が浮上してしまいました。


 

家族を持つより、子供を持つより、

キャリアを磨くより、


 

ドラマが見たかっただけなんじゃ。。。。

 

 

ウケる。


まぁ、、それはそれで私の魂に関わる重要な要求だったのだと思うのですが、


子供の頃から、好きな事を少しずつ無視してると、大変なことになるってことですね。

 


「好きな事」って

それほどのパワーがあるのだと、

改めて実感したのでした。