この100日シリーズを、

noteにも投稿することにしました。


まだ未完成ですが、

こちらです


 

このお金シリーズからです。


noteは、だいぶ前にアカウントを作ってたんだけど、イマイチどう使っていいか分からずに放置してたのです。

 

でも、

そうか、この投稿を

noteでも載せたらいいじゃん。

 

と思い、しかも、noteには、

投げ銭とか呼ばれるサポートシステムがあるので

 

お金を受け取れる窓口を

とにかく作ろうハムスターキラキラ

 

と思ったのです。

 

これは、私の気持ちの上では、

ちょっとしたチャレンジです。

 

だって、

サービスを提供するでもなく、ただ、

 

お金ちょーだい宇宙人

 

って言ってるようなものでしょ?

 

 

やっぱりね、


お金は労働と引き換えに受け取るべきだ!

 

という刷り込みがあるのです。

だから、

通りがかりの人に「お金を請う」ってさ、

タブーであって、

まず、選択肢になかったわけ。

 

そんなこと当てにしちゃだめ。

 

ってね。


 

だから、noteの方は、アカウント作ったまま、

書き進めることができなかったんだよね。

 

投げ銭を期待するなら、その価値のある内容を書かなければいけない気がして、そしたら何を書けばいいかよく分からなかったし、書いても、どこかつまらなかった。

 

 

でも、思ったの。

 

自分を振り返ると、

お金を支払いたくなるのって、必ずしも、労働に対してじゃない。

 

その人を好きになったり、

応援したいときに、お金を渡したくなる。

 

そういうのってね、労働に対してありがとー

というのとちょっと違って、

もう、お金あげたくてたまらなくなるんだよね。

 

神社に奉納するのも似てるかな。

 

ちなみに、私は、神社とか、

見えないものに支払うときが、

いちばんスッパリ潔くいく。


それってなんでかな?と考えると、

そういう支払いって、いちばん自分が高貴でいられるからなんだと思う。

 

対価のサービスなんていらない。

そういうお金だって存在する。


その方がずっと気楽で、身軽なの。



そう思うと、


私が作ってるランジェリーや

提供してるサービスは要らないけど、

ちょっとお金を渡してあげたいな


って人も、中にはいるかもしれないよね。



それに、

これまで私は、お金にならない部分で、

たくさんの人を助けてきた。


ひとりでチャレンジして得てきた

知識や経験を使って。

 

でも、そういうとき、その見返りを受け取ろうとはしてこなかったんだよね。

 

だって、無料で助けるときって、

相手は困っているんだもん。

その人から回収しようとは思わないのよ。

 

じゃあさ、

そうときの見返りのエネルギーって、その人じゃなく、他から返ってくるのかもしれないよね。


そしたらさ、

その受け取りの窓口はどんどん開いとこ

って思ったの。


 

 

私はお金が欲しいんです。

 

 

お金を使ってやりたいことがたくさんあるの。


 

お金が欲しい。

 

お金が欲しい。

 

お金が欲しい。

 

 

そうはっきりと願うのって、こんなブログを書いててもなお、抵抗があった。

 

卑しいとか、人が離れていく

という気がしてしまうんだ。

 

でも、

昔、英語を学び始めたとき、

 

英語ペラペラになりたい

 

って強く強く願ってた。執念みたいにね。

そこには当然、罪悪感なんて無い。

 

そして、踊りに関しては、今でも、

バレエのレッスンに出るたび、

 

うまく踊れるようになりたい

 

って必死で願ってる。

 

でも、そういう思いは、

 

美しい

 

と感じるよね。

 

何も違わないのに。

 


だから、私ははっきり、執着を持って、

断言することにした。

 

私は、お金がほしい。

たくさん、欲しい。

 

 

神社に奉納するとき、

私はいちばん気高くなる。



そんな風に私を高貴な存在にする神社は、

よく考えたら、何もせず、お賽銭箱置いて、

お金ちょうだいって言ってるの。

 


私を尊くするものが、

いちばん卑しい底辺の役をしてる。


 

天は地であり、

地が天をつくる。




私は今まで、

卑しい地になることができなかったんだ。


それが、相手を、世界を

いちばん高貴にしてあげられることだったのに。


 

これは、地になるチャレンジです。

 


ということで、

投げ銭してくださったら、

とっても嬉しいですドキドキ宇宙人ドキドキ

↓↓↓

noteはこちらー