昨日の、

自分国、礎の設定につづき、

建国宣言。


 

私は、

舞姫になります。



八木さやちゃんの、

瀬織津姫として、卑弥呼としての建国宣言。


 

ぞくぞくするね。

 

この「ぞくぞく」って、

 

きゃー楽しい〜 ワクワクする〜

っていうジェットコースターに乗るみたいな感覚ではなくて、

 

本物の未来に触れたときの、

大きな神山のエネルギーに触れるみたいな、

 

ドン

 

って肚に大岩の真実が落っこちる感触。

 

私は八木さやちゃんの卑弥呼の世が現れることを信じてる。


信じてるっていう言葉は少し違うかな。


 

真実として暴かれた。


 

じゃあね、この胎にどしっと落ち込んだ宣言に匹敵する重さと尊厳で

私が建国宣言するならば、、

 

 

舞姫

 

 

この言葉が浮かんだ。

 

卑弥呼の世に、

私は舞姫として私の国を築こう。

 

 

ふんどしパンツ作りも、英語ビジネスも、

私の一部だけど、私の成分としては生ぬるい。

 

私のど真ん中にあるのは、

舞姫としての魂。

 

 

踊ること

 

それは子供の頃から

何度も何度も追いかけられてきた夢だし、

このブログを始めてからも、

体が、ほとんど暴力的な力で訴えてきた。

この時とかね

 

 

ずっと踊りを生活に取り入れてきてはいるけれど、私のその舞姫としての魂を、まだ全面には出していない。

 

だいたい、

自分に「舞姫」という言葉を使うのさえ、

恥ずかしいし、恐ろしいし、逃げ出したい。


 

でもそれは、

私の御神体だから。

 

 

胸の奥深くにしまわれて、

恐怖という扉で何重にも閉ざされてるの。


 

だから、怖いのは、当たり前。

そして、その魂を露にするのに時間がかかるのも当然。

 

一番奥に大切にしまわれていて、

いい加減な気持ちで触ることは許されない

神聖なものなんだから。



その御神体に触れるまで、

何度も否定や恐怖が出てくるのは、

そうやって、私を何度も鍛え、試し、覚悟を決めさせるため。


覚悟を決めた神聖な手で、初めて、

その御神体を掴むことが許される。

 

 

今まで、踊りがやりたい

ということは発信していても、

踊り子とか、ダンスとかという言葉を使ってて、それってごまかしてたんだと気づいた。


どこか、

それらの言葉にしっくりこないような、

雑な波動のような、ざらつきを感じてた。



 

舞姫

 

という言葉は、今日初めて浮かんだ言葉で、

私なんかがそんな煌びやかな言葉を使ってはいけないと、怖かったし、恥ずかしいと思ったけれど、言葉と魂の神聖さが一致した。


そして、

 

体には、確かに幸せが広がった。



Facebookに

このブログの存在を明かしたときみたいにみたいに。

 



私は、本当は、

 


私の姿を目にするだけで、

お金を払ってほしい。


私に触れるだけで、

お金を払ってほしい。



それが本音。




少し前、この本音がふと浮かんできて、

自分でも、


へえ!自信あるね!


と驚いたけど、

私のコアの部分では、自然な欲求で、

おかしなことだとは感じなかった。


なんでそんな本音が出てきたんだろうと、

その本音の具体像は

まだ見えてなかったんだけど、


今、舞姫という言葉が降ってきて



舞姫なら、そうだよね!



って納得した。笑。



魂のままに生きること。

沢山の覆いがあって、まだまだ外側と一致してなくて、何をどうすれば分からないけれど、体は必ずベストなタイミングで、暴いていくだろう。



舞姫の煌々しい国、

作っていきます。


ネザーランド・ドワーフ


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