失恋から立ち直るプロセスで、

一番苦しくて、一番大きな出来事になったのは、自分の中の、怒りや憎悪や嫉妬といった苦しみの感情でした。

 

それはまるで、化け物のようだった。

 

私の親は、多くの大人が願うように、

子供が暗くネガティブなものを見ないですむように育ててくれて、

呑気に愛されて育った私は、人や社会を本気で憎むなんてこと、経験したことがなかったんだよね。

 

その私に、初めて、

憎しみや嫉妬の巨大なスイッチが押された。


 

夜中に汗だくになるほどの生々しい悪夢を何度も見て、

目が覚めたら嫉妬で気が狂いそうになって、

彼を、そして彼の魂を奪った力に対する憎悪で、自分が殺されてしまいそうだった。

 


あの強力な感情は、確かに殺意だったと思う。


 

そんな、自分の内に生じた感情が恐ろしくて、

自分が鬼みたいで、

そのことが怖くて、悲しくて、

そんな自分になってしまったことが、

とてもとても辛かった。

 


鬼みたいな自分から、

どうすれば逃げられるのだろう、

どうすれば、元の幸せで呑気な自分に戻れるのだろうって、その方法を探るために、必死の思いでブログを書き始めたんだよね。


毎日、自分の姿を写して、

鬼に飲み込まれていないことを確認するみたいに。

 


とりあえず、100日毎日投稿しようって始めて、80日目とか、最後辺りだったと思う。

 

ある日、晩ごはんのあと、

洗い物してたら、突然、

 


この怒りこそが、

私への愛である


 

っていう言葉が、急に頭にポーンって入ってきたの。

 

洗い物のゴム手袋したまま、泣き崩れたよ。

 

気が狂いそうなほどの嫉妬や、憎しみや、

自分自身を殺してしまいそうな程の怒りが、

それこそが、自分への愛だったの。

 

その殺意と感じるほどの、

感情の大きさが、そのまま、

自分への愛の大きさだったの。

 


その瞬間、

私をずっと取り巻いてた憎しみや怒りといったエネルギーは、そのまま、愛に変わった。


怒りと慈しみ、2つの顔を持つ仏像の顔が、

クルッて入れ替わるみたいに。



憎しみのエネルギーに覆われて、

それから逃れたい逃れたいと思ってたんだけど、私は、ずーっと、私自身への愛のエネルギーに包まれてたんだよね。



もう、わんわん泣きました。



こんなに、こんなに、

私は私に愛されていた。


私は、その時に感じた以上に大きな愛を

他で感じたことはありません。



尊厳を破壊されたとき、

殺意を抱くほどのエネルギーで、怒り、その相手を憎んだ。



それは、決して、決して、そんな風に扱われてはいけないって、知ってるから。


何があろうと絶対に許されないことだから、

それほどに怒り、憎んだの。



だから私は、

怒りや憎しみを否定する思想には共感しない。



例えば、子供が暴力で傷つけられたとして、その親に、怒ってはいけません、とか、相手を憎んではいけません、って諭す馬鹿がいる?



それと同じこと。

あなた自身だって、決して損なわれてはいけない人間なのだから。



私が、私の子供だとしたら?



許せなくて、当たり前。



これに気付いた瞬間が、

心の回復のプロセスで、一番大きなシフトだったと思う。



今の私は、

怒りを感じることも、憎しみを抱くことも怖くない。それも自分への愛情と同じものだって知ってるから。



もし、今、そんな感情に苦しんでる人がいるとしたら、心配しなくて大丈夫。


それが、そのまま、

あなたへの愛なんだから。