さいきん始めた

絶望の中にいた過去の自分に愛を送る毎日投稿*100日*

 

なぜ始めたかというと、

けっこう前なのですが、ナリ君のこの記事を読んだときに、心に触れることがあったからです。


 

ナリ君の、一見分かりにくいけど、深い愛が感じられて、胸が暖かくなった。

男の愛だなぁドキドキ


でね、これは決して批判ではないですよ。

その時、同時に思ったのは、

実際自分が被害にあったとしたら、忘れたくても忘れられないんだよなぁ。。。

 

ってこと。

何度も何度も、憎悪とか憎しみとか悲しみとかが蘇って気が狂いそうになるし、

悪夢には襲われるし、

誰かを憎みたいけれど、誰を責めていいのかわからないし、

そうなるといつのまにか自分を責めてしまってたり。

 

悲しみを受け入れて、

憎しみを表現して、

希望を見よう

 

という事は、本当にその通りなのだけど、

じゃあ、具体的にどうすればその暗闇から抜け出すことができるのか。

 

暴力によって奪われた「尊厳」を

どうすれば取り戻せるのか。


明るい方を見ようとしても、

何度も何度も何度も何度も、

足を引っ張って地獄に引きずり込む憎しみを、

どうすれば終わりにできるのか。


どうすれば、最初の一歩が踏み出せるのか、

 

右足から動かすの?左足?

それとも這って出て行くの?

 

っていう具体的なプロセスは、経験しなければ分からないよね。

 

私だって、自分に起きるまでは全然知らなかったもん。

 


起きたことは仕方ないから忘れよう。

 

ポチ。

 

はい、切り替わりました。

希望を探そう。


とはいかない。



切り替えるまでには、

やっぱり辿る道っていうのがあって

それは辿った人にしか分からない。


だからね、


あ、じゃあ

その部分は私がやろう


って思ったの。


ナリ君が書いてること、その通りなの。


私が出来るかもって思ってるのは、

自由の効かなくなった体で、どうやって頭を上げるの?っていうレベルのところ。



私は明らかな性被害に合った訳ではないんだけど、女性の尊厳を奪う邪悪な力に遭遇して、どん底に落っこちた事がある。


敵は自分自身、とかね、綺麗事で語れるレベルを越えた悪って、世界にはある。


絶望


って、その時始めて経験した。



絶望って、魂を奪われることです。

虐待だろうと、性犯罪だろうと、いじめだろうと、肉体的なものも、精神的なものも、あらゆる暴力は、相手の尊厳を破壊して、魂を奪うために行使される。


支配するため。


それが意図的なものだろうと、

事故みたいに起こったものだろうと、結果は同じ。



私が絶望から脱出したプロセスでは、

いくつかの段階を経て、

癒しが起こり、

その先に、希望というものが見えた。


その段階的な癒しは、

予想もしなかった形や瞬間で起こって、


人が癒されるって

こんな道を辿るんだ


って事も、初めて知った。


癒しって、


可愛くて癒される~


っていうのじゃなくて、

本物の癒やし。


嵐が起こって、全て洗い流されて

新芽が出るみたいなこと。



毎日投稿を100日に設定してるのは、

私が歩き出せるまでの癒しが完了するのに100日必要だったから。



「絶望に光を灯そう」の投稿を通して、

100日間、毎日、当時の自分に思いを馳せて、

彼女の隣に居ようと思ってます。



元気な人にとっては面白味のない内容になってしまうかもしれないけれど、

同じ絶望に陥ってる人に触れることが出来れば嬉しい。


この「絶望に光を灯そう☆100日」が、

絶望の中にいる人と一緒に歩めるプロセスになればいいな。


ちなみにね、

「絶望から抜け出る」って書いたけど、

実際は、抜け出るんじゃなくて、

その絶望の場所に光を灯すんです。


私は今も、その絶望の場所にいたまんま。

そこに光を灯しただけ。



小さくても、その光を灯せるようになるための、100日です。