それで、部屋の中のプチリメイクの写真載せてみたり。
もちろん、そういう可愛いもの好きなのも私の一部なのですが、発信してるっていう手応えがあんまりなくって。
それがなんでかなって考えると、たぶん、
幸せになってきたからなんだろうな
って思います。
何度か触れていることですが、
「ブログ」というものを、自分の身の一部のように熱心に書き始めたのは、大失恋をしたとき。
そのときのブログは消してしまったけれど、
1日1日、自分が生きて、前を向いていることを確かめるために、自分のためだけに書いていました。
憎悪や、悲しみや絶望や、嫉妬や、、
そういう感情に自分が殺されてしまわないために、書いてたんですよね。
今は、そういう地獄のような地点を抜けて、
土台の揺るぎないハッピーを取り戻すことができたし、
あの経験を通して、あの絶望的な憎悪や悲しみも、私の私への最大の愛だった!ということを知ったので、
ああいう感情さえも味方にすればいいってわかって、ネガティブな経験を恐れなくなったので
(とは言っても、できれば起きて欲しくないけど!
)
日々、わりとニュートラルに過ごせるようになると、「自分が生きるために書く」という理由がそれほど無くなってきたのです。
防弾少年団
見てたら、ハッピー
という
なんとも単純な日々![]()
ブログと距離ができた理由がそういうことだったんだ、って気づいた今朝、
じゃあ、「誰かの為に」書いてみようかな
って初めて思えました。
私ではなく、誰かの為に。
誰かといっても、
発信したい先は、やっぱり過去の私。
絶望の暗闇の中にいた私、です。
自分の為だけに書く、という理由が薄れた今、
それでも書くのやめようと思わないのは、
絶望の中にいた当時の私が命綱にしたのは、
ハッピーちゃんや子宮委員長はるちゃん達が、無料で発信してくれてたブログだったからです。
何かをもらうとき、
ちゃんとお金を支払うべきだって分かってるけど、
お金も無くて、
エネルギーもすっかり絶えちゃってた当時、
お金を払う元気はなかったから、
それらが無料で、自動的に届いてきたことにとっても救われた。
だから、これからは、
当時の自分に命綱を投げるために書いてみようって思います。
そんな事を思って、
ふと、敬愛する吉本ばななさんのブログを読んだら、
「暴力」というものについて書かれていて
当時の私が見た絶望をリアルに思い出した。