私を助けたのは私だった

 

っていうごくごく当たり前、、でもトリックみたいに見えていなかった

「自分」という救い主の姿

 

それに気づいてから、

色んな気持ちが軽くなった。

 

確かにね、自分でも少しおかしいなって思ってたんだ。

 

Happyちゃんとか、子宮委員長はるちゃん、壇珠さん、

 

どん底にいた時、その発信が支えとなった人たち、

感謝しても感謝しても足りないみたいに、

崇め讃えてたの。

 

以前までの記事でもわかるよね。

そうなってるの。

 

それでさ、この感謝してもしても「足りない」感じが、

今から考えると、違和感だったなって思う。

 

だってさ、当人たちは、感謝されることを求めている訳でもなく、

何かしてもらった時に、そのとき「ありがとう!!!」

って心からの感謝を伝えたら、普通はそこで完了だよね。

 

でも、これに関しては、

何度ブログにその感謝を書いても、ご本人のブログをリブログまでして

その思いを伝えたりして、それでも「足りない」感触が消えなくて。

 

ブログにその感謝を書き続けながらも、

頭の片隅で、これ、いつまで続くんだろう。。?


って思い始めてる自分もいた。


だって、書く内容もパターン化してくるもんね。頭のどこかで、またかって感じてた。



それが、

 

「私」が私を助けてくれていたんだ。ずっとずっとずっと!!!

私を救ったのは「私」だった!!!


 

ってことに気がついたら、その瞬間、

その「足りない」感が、サアッと消えた。

 

千と千尋の神隠しで、ヘドロまみれだった神様が、

お風呂で洗ってもらったら、パアッーーー!って昇っていったみたいに。

 

「私」は、私に、

ずーっと感謝して欲しかったんだなぁ。

気づいて欲しかったんだなぁ。


だって、あんなに一生懸命、

ずーっと付き添って、支え続けたんだもんね。

それで、その時必要としてた、ぴったりの発信内容を、どこからか探してきて、これ読んで!これ読んで!


って、助けてくれたんだよね。


あ、なんか泣けてきちゃうしょぼん

 

あの感謝が「足りない」感は、そこから来ていたのだと思う。

 

感情する相手が、足りてなかったんだ。



やりきる


って大事だなぁ。


八木さやちゃん達への感謝も、

出して出して出しきったから、

その一番底に隠れてた、


救世主「私」


が見えたんだと思う。



だから、何かを越えようとするとき、

色んなメソッドがあると思うのだけど、


自分がその反応をしてしまうのなら、

そのままやらせてあげる


っていう、

壇珠さんの秘行が、私は好きだなぁ。



※その反応って、自分の「感情」のことね。

相手を傷つける行為ではなくね。



自分ビジネスに参加し始めてから、

フォローしてるブログも増えてたんだけど、

また減らした。


しばらく自分の声だけに耳を澄ませてみたい。


何かを始めるタイミングも、

必要な手段も、

自分が全部知ってると思うから。


間違えるかもしれないけど、

自分だけの道を見つけてみようって思います。