ここ最近の小説家になろうとかでのトレンドジャンルとしまして
「異世界転生」ってのが流行ってるようでして、
具体的な流れとしましては
「何らかの理由で死んでしまったし主人公が異世界に転生してチート能力で無双する」
って感じのものが多いそうで。

この手のストーリーは結構前々から多かった気もしますが、それは主に異世界「転移」。
異世界「転生」と異世界「転移」では微妙にニュアンスが違いまして、それがどこかと考えてみますと
「生まれ変わり」要素があるかないか、これかと。

つまるところ「異世界に行く」という結果は同じですが、そこに行くのは
・元いた世界と同じ、そのままの主人公 か、
・元いた世界と違う、記憶だけを共有した別の身体の主人公 か、
といった違いがあり、雰囲気的には
ポケダンでいうところの赤青やマグナと超くらい違います。(※大差ないとか言っちゃダメ)

でも実際ポケダンの超とそれ以外を比べてみるとわかると思うんですけど、
赤青、時闇空、マグナでは主人公はポケモンになってしまいましたが
年齢に関しては特に人間だった時とポケモンの時で違和感を感じてないですけど、
超だとポケモンになった主人公が子供の姿になって学校に行くことに言及してましたし、
この辺結構転生要素が感じられる気がしません・・・?w

とまあそれはさておきまして、
この「異世界で転生してチート能力で無双したりハーレム作ったりする」っていう流れ、
人によってはといいますか旧世代の人間からしますと
「努力もしないで強くなるなんて面白くない」って考え方が出てくるかと思います。
冒険の中で色々な困難にぶつかり、それを乗り越えて強くなり、
その中で仲間との出会いや絆を深めたり、新たな技を編み出したりといったドラマがあったり。
そういうのがあってこそのチートスペックであり、いきなり最強とか面白くないって考えはあるでしょう。

でも、うち的には「手軽にチートキャラで俺TUEEEしたい」って考え、同意もします。
確かに「最初は弱いけど工夫して困難に打ち勝って強くなっていく」ってのは快感ですが、
それってそういった経験が実際に自分にないと感じられない快感だと思うんです。
でもってそこから最強になるにはものすごい時間がかかるんです。
うんまあどういうことかと言いますと、「勝つ快感」を「手軽に、すぐに得たい」。
どっちかというと初めからチートスペックってのはこっちの要素が大きいんじゃないでしょうか。

現代日本においてはうんまあ色々と不運やら失策やら構造上の欠陥やらが重なって
未来に希望を持てない若者も少なくないでしょう。
「努力したところで意味なんてあるのか」って考えすら浮かびかねないかもしれません。
「頑張れば報われる」なんて言葉は今の時代では通用せず
「頑張れば頑張っただけ搾取される」といった思考にすら結びつきかねない惨状です。

そんな状況で「努力して強くなる」なんて物語を見てもイマイチ実感湧きませんし、それだったら
「ある日突然強くなって世のしがらみも捨てて異世界で毎日ハッピー」って物語の方が癒しになります。

でもってそういう異世界での生活を満喫するためには今この現実に居る自分という存在はかなり邪魔です。
異世界に行っても自分じゃ自分の望む世界は得られない、だったら
自分の望んだ自分として異世界に行き自分の望む生活を遅れたらどれだけ幸せか。
・・・ってなりません?w

ちなみに余談ですが異世界転移ではなくて異世界転生が増えてきた理由の考察の一つとして
「もともと異世界転移ものを読んでいた層がそのまま歳を取って
もう冒険とかハーレムとかそういうの考えられる歳じゃないから転生に希望を見出した」って説がありますが
割と年齢関係なく流行ってきてるのを見るとたぶん理由の一つでしかないのかも。

・・・でですよ、
とりあえずうち的にこういう流れが来てるのの一番重大な問題は
やっぱり我々「自己肯定感」を得る機会が絶望的に不足してるんだと思うんですよ。
自分はこんなにすごいことしてるんだーとか自分は頑張ったなー、褒めて褒めてー、みたいな
そういう快感を得られる機会がすっごい少ない気がします。

うち的に嫌いな言葉の一つとして「できて当たり前」ってのがあるんですけど、
「できて当たり前」って何かと言いますと
自分が頑張って何かを的確にこなしても全く褒められません。
そのくせちょっとでも失敗したり他の人よりうまくできなかったりすると思いっきり怒られます。
なんですかこの理不尽仕様!?w

極端な話しますと、例えば自分が円周率を100桁記憶してるとしましょう。
そうするとだいたいの人は「えっなにそれすごい」ってなりますよね。
1000桁、10000桁ともっとすごい人はいますが大半の人にとって円周率は3.14くらい覚えてれば十分なので
円周率100桁覚えてるってのはすごいわけです。

 し か し 。

ここでもし例えば「義務教育で全員が円周率100桁覚えてる」って状況があったとしましょう。
そうなると円周率100桁覚えてても「そんなのできて当たり前じゃん」ってなるわけです。
別にすごくもなんともないです。一般常識です。
でもってこれを100桁覚えてないと「円周率3,14しか覚えてないとかwww」みたいに馬鹿にされます。
都市伝説で「ゆとり世代は円周率を3で習う」と馬鹿にされたように。

この状況だと「円周率を100桁覚えている」って実際すごいことのはずなのに
それが当たり前になってしまってるせいですごくもなんともなくなってしまっています。
故にすごいことをしてるのに誰も褒めてくれません。理不尽。

でもって今の我々もそうした「できて当たり前」のせいで
「実は結構すごいことできてる」んだけどそれを「すごいことだと認めてもらえない、認められない」、
そういった状況が起きてるので自分に自信なんて全く持てなくなっちゃうわけです。
そうなったら自分を認めてくれない世界に興味なんてなくなるのは当然です。自然の摂理です。
「現実逃避」なんてよく言いますがそもそも現実が自分を必要としないのに
なんで必死に尻尾を振らにゃいかんのだなわけです。
構ってくれないならもうここにいる必要ないわってなるわけです。猫みたいに。

ってことで異世界転生ものが流行ってる理由ですが
その背景としましては今回もやっぱりものすごい闇が絡んでるんじゃないかなーってのが
うちの雑感です。うん、陰謀論大好きです。w

しかしまあ保険かける感じになりますけど
あくまで長々と書き綴ったこの意見もあくまでうちが感じた一つの側面でしかありません。
別の人生を歩み、別の価値観を持てば「いや待てそれはおかしい」となるわけです。

うちはこう思ったよーですので
逆にこれ見て「自分は」何故異世界転生が流行ったと思うかってのを考えてみるのって大事だと思います。
でもってそれで色々な人の意見を聞いていくと色々な考え方が見えてきて
それだけ自分の世界が広がって徐々に変化していきます。

誰かはこう思った、じゃあ自分はこう思う、なんでそう思ったのか、
正解なんてありませんから「考え方」をぶつけ合ってお互いにいい落としどころを見つけるのが議論です。
・・・でもだいたいこういう時って

「俺はこう思う」→「いや自分はこう思う」→「うるせぇ黙れ」

ってなって自分の意見以外一切認めない人いるんですよね・・・orz
すっごい害悪だと思うんですけどこういうタイプ。全く建設的でない。うん。



というわけで最初の話題から論点が思いっきり脱線しまくることに定評のある雑感記事でしたー
※なお文章で思いを綴るのは得意だけど
これがリアル会話になると10秒で終わって何も伝わらないのがコミュ障ですorz