先日、迂闊(うかつ)にも39さいになってしまいました。
さっき和菓子屋の前を通ったら店頭におはぎが出しっぱなしになっていましたが、盗まないであげました。
もう大人だから。
「28までには死にてえぜ」とか言っていた高校時代がますます遠い。
耄碌(もうろく)してきたらしく
誕生日を前にして、「もう俺も40だな」と思っていたところ、
だんだん「今度40になるんだ」と思うようになってきて、
歳がかわってから「あれ?40だっけ??確か39じゃ??」と、年齢が分からなくなる。
うーん……。どこかであったな。この感覚。
デジャヴ?
いや。
そういえば29になるときも同じでした。
成長?
うむ。
時系列において認められる現象は、変化だけです。
その方向や結果の是非を判断しているのは、個人の主観にすぎません。
若いのがいいとか、大人がいいとか、変化の有るほうがいいとか、無いほうがとか、
各人の方向性に是非をつけるつもりは全く無いと断ったうえで
遠くなった青春を語ろうと思います。
90年代の、時代の雰囲気みたいなのが紹介できればと思います。
青春時代というと、一般的にはティーンズ(13~19)から20代でしょうか。
Google先生に拠れば、高校と大学をイメージされることが多いようです。
体育館裏に呼び出されてコクられちゃうとか、
同窓会に行ったらあの子が綺麗になっててとかそんなやつです。
僕にも、新入生の女の子が恥ずかしそうにチラチラ見てくるなと思っていると、
もじもじしながらやってきて、「さばさん、あの……
タダシさんて、彼女とかいるんですか?キャッ」ということがありました。
中高がマンガ、大学は小説、社会人はドラマに多く取り上げられるようです。
この年代は、オジサンと書いてシモネタと読む39歳から見れば人生遍歴の中盤です。
半分にすると、19歳の時になります。
あの子もこの子も脳内でM字開脚とか四つん這いにさせて何度もヌキました。
そんな年代です。
僕は大学生でした。
当時の付き合いが地理的に近く今日と直結しているせいで、あまり感慨もないというか、
それより新しい時代のほうが、遠くにいたせいか、もう帰ってこないあの頃感は強めです。
それでも僕にとって、青春は遠いものになりました。
青春期もまた人それぞれだと思いますが、
僕個人や周辺のクライマックスはたぶん22歳頃です。
僕はちょうど初めて海外に行ってみて、つまり初めて村を出ました。
人生における天動説レベルの、2度の衝撃のうちの1回目です。
それより前の悶々としていた時期が、春の青さという感じです。
青春コンプレックスという言葉があるそうで、これはいわばギャップのことです。
・リア充のカップルや仲間が、青春ドラマみたいな生活を送るプロパガンダのイメージ
・ゲームとオナニーばかりしていた史実
この格差の谷といったらもう……。
こんな時間にこんなブログを読んでいる貴方に説明は要りませんね?
「グランドキャニオン?案内してやってもいいけど、なんでそんなものを見に来るんだい?」
うちの中学では、体育館の裏というのは不良が目を付けた奴をボコる場所でした。
もちろん僕はゲームとオナニーをしていたばかりでなく、
ゲームの他にオナニーをしたり、オナニーの他にゲームをしたりしていました。
他にもゲームとかオナニー、オナニーやゲームなど沢山の趣味がありましたが、
青春を一言でいえば孤独感です。
が、寂しいというのとはちょっと違うんですよね。
もっとムキになっているというか、不器用という感じです。
学生という環境もあって、僕の周りは大体、文学的な青春らしい青春でした。
生理学的にいえば、
家庭に帰属(少年期) → 仲間達に帰属(思春期) →
仲間達から個人へ(成人期) → 個人から家庭づくりへ(青年期)
のように変遷していく、成人期、青年期にあたります。
ここで起こっていることは、周囲とのある程度の決別、そして
家庭パートナーの選別・被選別です。
得てしてこれらは、純粋と呼ばれることもある、不器用という形をとって行われるようです。
さて、時代は90年代。
殆どの学生は、学校教育とか大衆文化という近代社会の価値観に乗っかって育ってきており、
つまり、何らかの悩みを見つけるように育成されていました。
だからネタを見つけては悶々としたり、発散したりするわけです。
青春の文学性には、青春コンプレックス、
つまりあるべき青春像というステレオタイプや周囲の“理想”の影響が大きく、
それらは結局、対人関係に行きつきます。
で、例えば大学とか専門学校に通っているなら
サークルなんかもいろいろあるわけで、
そういうところに自分に合った居場所を作ればいいのに、そんなことはできないわけです。
僕個人は、当時まだ続いていたか最後の話がでてしまったかの寅さんに憧れていたことがあります。
柴又に居場所があって、独りで旅に出て、知らない人と簡単に親しくなれる。
でも寅さんていうのは、少年期のままの偶像なんですね。
だから一般的な青春の解決にはなりえません。
卒業後は、学生時代になんやかんやで結局身を置いた場所を見直す人が多いようですが、
まあ当時は、動けばいいのに恐れがあって動けないわけです。
この恐怖というのは、いわば
自己評価に対して赤点がついてしまうようなことへの恐怖でしょうかね。
といっても、単にダメとかいいとかそういうのではなく、もっと屈折したものです。
大学には、体育会系やバンドマン、オタクにギャル、附属生や各地方の出身者といった、
高校という異常に均質な場に比べれば、かなり多様な人々が集まる環境です。
そういうところに飛び込むと、自我の認識が複雑なスペクトルムに投影されるわけです。
あ……難しいこと言っちゃった?
つまり、高校時代のノリが合わないとか、自分の常識が揺ぐような場が色々あって、
自分の足場とか捉えどころが微妙になってくることで、
自分の中からも違った視点やフィルターや色眼鏡が次々湧いてきたりして、キラキラした感じです。
ですので、同調性と個性の葛藤なんかも青春の硬直に入ります。
女子であれば、カワイイ小物とTOKYOの進んだオシャレに包まれたカッコイイアタシと、
暖かく身近で安心できる、コタツと湯たんぽのほっこり故郷との二択を迫られ、
男子であれば、職業か女かの2択を迫られ、これらの悩みは本当の自分とは何かと飛躍したりします。
青春期の孤独性とは、本質的には他人からの隔離ではなく、いわば自我からの孤独であるのですが、
いちいち頭がでかいのが、学生的かつ文学的な青春の“それっぽさ”でしょうか。
楽なのは、忘却です。
つまり現実逃避。テレビを見ていたりゲームをしている時なんですが、
これは例えるなら孤独という針の筵(むしろ)です。
ふとした時に、理想化された青春像が浮かんでしまうわけです。
輝かしい女子大生とか。
で、この針の筵から出ればいいのに、出るのが怖い。
これは僕のようにテレビやゲームだけでなく、何かの活動に打ち込んでいるという殻だったりします。
元は自己についての悩みなので、
家の中だけでなく、学校やサークルも、どこか満たされない場所になるわけです。
講義ノートを回したり、気に入ったテレビ番組の確認や誇張されたモテ自慢を言い合うだけの友達。
たまに時事問題や恋愛観を扱ったりしても、結局自分を振り返ってみれば満ち足りない。
ぼっちもいれば、ゲイでもないのに男だけで活動している集団すらあります。
自己や世界が不安定な限り、どこだって似たような針の筵。
一生懸命なのかというと、そうでもない。
いずれもただ苦しんでいるだけです。
これは古い世代ほど濃い傾向かもしれませんが、プライドが行動の邪魔をするわけです。
僕の世代の学生文化の担い手ですと、
大学進学率が2割~3割くらいの世代の、それも都内の私立大学生ですから、
お坊ちゃんやお嬢ちゃんが多いわけです。
東京の学生文化というのは、個性的な私立大学群を中心に形成されています。
構内に瀟洒な礼拝堂が建つようなミッション系とか、野球や駅伝に強い筋肉系とか、
附属校のあるエリート系、研究や資格に没頭するマジメ系など、
それぞれ擬人化できそうな校風が揃っています。
こうした特徴の背景は創立理念であり、すなわち世界各地の思想や文化です。
各校は“インカレ”という公私に行き来するつながりがあり、
学生社会は、黒人のリズムと白人のメロディーが融合するような意味で、
戦後文化の一大土壌になっています。
90年代の主役は女子大生でした。
女子の進学率は急速に上がり、女子大生ブームの80年代より希少価値が落ちていましたが、
そのぶん勢力としては絶賛上昇中でした。
バブル再来の幻想のおかげで文学系の人気があり、宗教系も多い私立大学では
数値的実績よりも人間的な深みを求める傾向があり、当時の女子大生の精神に合致していました。
とくに当時流行っていた国際学部系、バイリンガル系の人材供給元で、
女子大・短大群は、お嬢系、ギャル系、良妻賢母系と、一校一文化くらいの存在感を示していたものです。
最近は理系人気、女子大不人気だそうなので、雰囲気は随分と違うでしょうね。
などと解説すると華々しいのですが、個々の学生の日常というのは、
概してしょぼい鬱屈としょぼい発散の繰り返しです。
当時の学生は均質的な群れです。
背景に個性あれど、学生文化を形成していた当の学生たちは、みな似たような境遇です。
ほぼ全員が、安定成長とバブルでそれなりに裕福で安定した中産階級家庭から来ていました。
僕もそうでしたが、日本史上、成り行きで大学に行った人が最も多い世代でしょう。
苦学生などは絶滅しており、前の世代のように勉強が好きだから大学に行くのでもなく、
入学選別が画一的で、後の世代ほどに個性派が参入していません。
ネットも普及していませんし、外部の情報というのはバイト先くらいしかない、少ないわけです。
そんなお坊ちゃんが、お嬢ちゃんの周りをウロウロしている状態です。
つまり当時の学生は、世間知らずで、ある程度の特権階級で、女子がリードする男社会でした。
このように、僕らは中二病患者の中でも、痛いプライドが特に多めに盛られていたわけですが、
ある種の上昇志向があるわけです。
だいたいのところ
強い奴
おもしろい奴
センスのいい奴
のいずれかに引っかからないといけない感じでした。
強い奴というのは喧嘩の事ではなく、
友達が多い、モテる、合コンのツテといった今でいうリア充要素や、
運動ができるとか歌が上手いとか、サークルの幹事、バイトのエース、
1人暮らしの家や車があるといった、オスとしての優越点です。
当時、車の免許は男子なら取っておくべきもの。サークル幹事(3年)と1年女子のカップルは典型。
おもしろい奴というのは、
酒を飲めるとか、笑いが取れることや、スキーやカラオケ、ギャンブルやグルメ、
会員制のバーみたいな遊びや、音楽やマンガ、ファッションや映画といった流行を語れるとかです。
飲みすぎ・飲ませすぎで死者を出す事件がたびたびありました。
学生層の流行は、テレビなら深夜番組、マンガならスピリッツです。
音楽は洋楽です。アメリカンハードロックが衰退中、ヒップホップやブリティッシュが流行りだしていました。
センスのいい奴というのは、
芸術や学業などの才能があるとか、雰囲気があるとか、個性が認知できるタイプ、
多くは対人能力なんですが、当時としてはイレギュラーです。今でいう大人とかイケてる奴ですね。
このタイプは流れに乗らない例外と言ってもいいです。
今と比べると当時は、以上のような個人の範疇に収まる能力が重視され、
コミュニケーション能力の地位はまだ確立されていませんでした。
たとえば3高という言葉があって、どこかの高校の名前のようですが、
高身長、高学歴、高収入という、当時のプロパガンダによるモテ条件です。
結婚条件のようなもので、我々の世代にとっては、義務的、目標的な漠然とした将来像でした。
続く世代にコミュ力が重視されだしたのは、ケータイやネットの進化・普及以上に、
個人能力馬鹿の僕らの世代の反省からです。
続く世代はコミュ力馬鹿になっていき、今日も若者は悩める存在なわけですが、
僕らの頃になぜ個人的能力が重視されていたかというと、結局は女です。
当時の感覚では、上に挙げたような点の全てに漏れると、女の子に相手にされないとされており、
さらに異性にどう評価されているかは同性間における地位ともリンクしており、
生きている価値のように思われていました。
イケイケとか飲みサー、イベサー、ヤリサーとかが出てくる背景です。
肉食性の強い時代だったわけですね。
これら外攻系の出現は、IT革命で急増した内攻系、つまり文化部系やオタク、サブカル系とバランスされ
すなわち2極化の発現期でもありました。
オタクは1989年の幼女連続殺人事件によって市民権を失っていましたが、
90年代はジブリの興隆期であり、マンガ・アニメは海外でも注目され、再び市民権を得つつありました。
エヴァンゲリオンが現れ、大学密集地にも近いアキバは世界的な一大文化中心になり、
神田古書街の役割の一部を担うようになります。
オタクが復権したように、2003年に事件を起こして市民権を失ったコミュ系サークルも
そのうち復権するかもしれませんが、ともあれ学生文化は様々な小集団を内包していました。
こうした属性は自分は本来どちら側の人間かといった
自我の葛藤と結びついていました。
どこに身を置くか。
いや、都内百万の学生のそうした総合的葛藤の塊が、2極化の元になっていたのでしょう。
居場所に将来。
強くなければ。面白くなければ。
英語力に資格にパソコン力という強迫観念。
5年前は内定者をハワイに軟禁していたというのに、今じゃ交通費も自腹。
就職氷河期といわれる中、不安要素が増大していった時代です。
飽和成長後の初めての世代で、求人率が下回っても餓死はしないという前例がありません。
戦後の大学生を二分するとすると、
労働市場で若者に価値のあったバブル期までと、価値のなくなったバブル後です。
90年代末の卒業生は、いわゆるナナロク世代。
こういう背景のため、ITベンチャーをたくさん起業した世代です。
かたやニートも多い世代になりました。
“女子大生”の肩書は、“家事手伝い”に。
ヤリサーかヲタサーか、いずれに身を置くかといったことは、
進学率が低かったり、見合いの慣習が生き残っていたりした昭和の学生にとっての
学生運動という正義やポリシー(ノンポリであることも含め)に当たるようです。
学生運動の左か、体育会系などの右か、二極化と自我の葛藤に結びついていた構造は似ています。
たとえば、“体制側である親の金で学費が出ているが、ベトナム戦争は止めたい”といったようなことが、
自我と環境とが結合した総合的葛藤になっていた感じです。
自己の価値や評価や意義といった周辺で悩むのが、学生の青春でありつづけているようです。
僕の頃は、時代の雰囲気として、機械的競争の精神という感じでしょうか。
同世代の数が極めて多い団塊ジュニアです。
バブル世代ほど明るく貪欲ではないのですが、若者はカツカツとスマートに闘争していました。
冷戦終結から間もなく、大衆的には自由競争万歳のムードが濃かったという背景もあります。
大学のアカデミズムこの風潮に疑問を投じる立場が主流でしたが、当時の学生は競争の産物です。
とくに日本の学生の比較の習性は、海外の学生と並べると顕著になったものです。
90年代の前半は、18歳人口が今の2倍弱いて、受験戦争なんていう言葉がありました。
大学進学率は2割から3割くらいで、余った浪人が溜まっては降ってくるので年々激戦にという構図。
大学は以前の世代よりも大衆化していましたが、今ほどではありません。
学生は選別により均質化された、多少特別視され、華があり、プライドの高い世間知らずの層です。
上に挙げた、面白いひと競争とかモテるひと競争といった小さい火花が、下手に、かつ随所に散っており、
これらは孤独感の創出から、青年期に向かいメスの奪い合いに集約していくわけです。
「大学のレジャーランド化」と言われていましたが、実際は闘争に近いですから、
好きで遊んでいた人が当時どの程度いたかは疑問です。
たとえば一見ナンパに見えるイベサーの内情が、
体育会式、ノルマ制、金銭の獲得力や政治力なんかで女を食える順番や量が決まっているシステムで、
女子側にも席順があって、それらのポジションを狙った闘争の力学が組織を成していたりするものです。
成り行きで学生になった多くの90年代の学生たちは、
低失業率や終身雇用は破綻するという先を、それなりに読んでいました。
だから、“学生の本分”を無視するという抵抗をしていたのです。
レジャーランドには「学問て何だ?なんで学問なんだ?」と考えるようなタイプが多く、
「大学は勉強するところだウガアー!」というようなタイプは滅多に居ませんでした。
だから、闘争するにしても、大学の成績で切磋琢磨などという暑苦しさはありません。
こういうのは余程魅せられたのでない限り逃避的なことで、単位取得や卒論は個人の判断でやることでした。
今の学生なら、「就職先がない」と悩む以前に、
就職先がないという悩みの空気を味わうことを、
いわば今日学生であることの本分として感じていると思うんです。
“就職難だったら、さっさと1年の時から一人で就職活動に向けて……”というのは野暮なんですね。
同調性があるから学生文化とカテゴライズできるのであって、第一、動けないから青春なわけです。
結局、青春のキーワードは、いつの時代も不器用さや孤独や悩みだったのでしょう。
若者の好戦性と戦線の方角は、その時代のプロパガンダ、つまり教育と広告によるものです。
いわば「戦争に行けばモテる」が、当時はたまたま「カネを使うとヤレる」と置き換えられていただけで、
たまたま「勉強しないと就職がない」ではなかったということです。
僕の世代の90年代の学生は、少年ジャンプ脳、受験戦争脳です。
戦闘で勝つと女がついてくるという話のマンガを読んで育っています。
女に励ましてもらって戦闘に勝つ筋も多かったと思います。
現実の主戦場は、受験とかスポーツの大会ということになっていて、親世代は前者の熱烈な信者です。
自分が何らかの合格条件に当てはまらないと、何やらいけないような気がしていたんでしょう。
友達ができないとか、就職が決まらないとか、イジメとか、そういう具体的な心配じゃないんですね。
思うに、結局の試験官は女です。
男子の場合、同世代の女子は男子よりもデビューが早いので、
同年代の女子に対する劣等感と屈折が、男子の青春の本当の核かもしれません。
僕にはこれはかなり濃かったです。
パチンコで勝ってみても虚しいだけ。
飲みまくっても歌いまくっても同じ。
大学の授業やモノの本ではもちろん何も解決せず、
サークルでは別に面白くないのに笑って話に付き合っている。
気づくと、誰か女子の妄想を、
「今頃はもしや……」
「もしかしたら俺に……」
と、
右手が股間に。
シコシコ。
いや今週は左手で斬新な感覚を。
シコシコ。
で、好きという弱みを隠したいので、気にならないことにしたり、
この感情は軽いものだ、と思おうとして、あえて男子だけで関係のない行動をしたり、
モテない奴になるわけにいかないから付き合ってみたり、
付き合うことになった瞬間がピークで、気づいてみたらコイツじゃなくてもよかったとか、
求めているのは女じゃなくて自己評価だったとか、
安定している交際の中、愛とは何か閃いた気になったり。
結局、男子学生の異性の話の8割は、話者が吼えている話でした。
学科にもサークルにもバイト先にも、飲み屋で意気投合した別グループにも、
こんな話は沢山転がっていました。
みな女子に対するコンプレックス、言い換えれば自己評価のコンプレックスから来ていたのでしょう。
こうしたことは、年齢的に生理学的に出現する自身や異性への関心に対して、
思考停止を拒否する職業(殆どの学科で)である学生が、時間タップリに当たるのですから、
いつの時代にも共通したことでしょう。
90年代は個人能力主義の時代ですから、
時代の風潮として、他人に勝つことで自己を認知しようとする精神構造が当然化されていたのです。
これが居場所の問題になり、ぐるぐる回ります。
といっても勝ちたいのではなく、「自分は稀に居る失敗者ではないか」という恐れがあって、
そうではないと安心しようとしていた感じでしたから、
自分はそれなりの存在だとアピールしあうことが、結果的に戦闘的になっていったという感じです。
これが高校生や社会人なら、球技や業績でスポーティーに、
それこそ少年マンガのように、汗をかいてぶつかって、話し合って、お互いを認め合って……
となるのですが、
学生だと、複雑化の傾向が強く、深化しがちで内向的、分析的です。
だってそれが仕事ですから。
この闘争がオープンに人と付き合うことに障害を起こし、コミュニケーション障害をもたらし
孤独感と、独りで悩む青春らしさにつながるわけですが、
その理由は、“面白い奴”とか“モテる奴”というアイデンティティは、
いずれもどこか身近な誰か、例えばサークルの内部とかで、
“面白くない奴”、“モテない奴”という比較対象を探しだすことに依存するためです。
同時に、自己評価はその比較対象に認められ、褒められることで成り立つのですが、
それをやりあうということは矛盾しており、居場所を確保しあうことを難しくしているのです。
たとえば、笑いへの若者のセンスというのは凄いわけです。
自己の存在意義を賭してギラギラとネタを探しているので、面白いですよ。
東京の笑いは、与太郎を嘲い落とすことで自分達を上げる落語的な類型が多いのですが、
学生は全国から集まっているので、ツッコミとか、解放的ナンセンスも広まっており、
少なくとも僕の周囲の笑いは洗練されていました。
ところが、俺は面白いだろう?という面がチラつくと、暑苦しくなりがちです。
ネタの通じない相手には「俺のネタがわからないダメな奴」というレッテルを貼ろうとすることで、
笑いにくい緊張を提供してしまったり。
概してプライドの高い人の笑いというのは、質はともかく対応が面倒くさいものです。
とにかく当時の学生社会というのは、小さな闘争と緊張がほぼ常にある社会でした。
裏を返せば、僕らは随分と許しあってきました。
お互いに不器用であることがつなぎです。
かといって、スッキリ生きていける環境を手に入れることにはなりません。
第一に、“優れた人ばかりが集まる村”は存在できません。
学生文化という日本社会唯一の大規模開放的社会では、
この村は孤立村となり、すなわちしょぼい村となります。
第二に、あまり対立していても疲れるので、棲み分けなどを考えたりします。
“あいつは面白い”、“あいつは爽やかさでは上”とか。
でも、思考回路が変わらないので、これもうまくいきません。
よくあった話ですが、女の取り合い、つまり最大の真剣勝負ですが、
この思考回路のもとで誰かが勝った・負けたということは、
“面白いのと、爽やかなのと、どっちがいいのか”に陥りがちです。
自分の長所には意味がないのか、もっと磨こうかとか、結局自己に悩んだり飲んだりします。
組織の自由度が高く、参加義務が非常にゆるかった当時の学生にとって、
居場所とは、いつ喪失しかねない危ういものでした。
たとえば恋愛の失敗や、周囲から下される低評価が、即居場所の喪失になることがありました。
そこで器用な人は、類型にはまって居場所の基盤を確保します。
90年代は○○系、○○ラーといった、カテゴライズの黎明期でした。
こうして、自己についてと居場所と恋愛感情、将来についてなどが青春のテーマとなり、
若者たちは社会背景を受けて、その世代の文化を形成していくわけです。
少女マンガだと、恋愛の行く末と、将来への決意、自己の発見が、全部一緒に解決しますよね。
主人公の青春の悩みが総合的であって、ゆえに解決されるときは一斉になされることは
いわばジグソーパズルのようであって写実的です。
少女マンガと現実との違いは、現実では恋愛的結末のかわりに青年期の自己が残り継続することと、
現実の青春の出口は徐々にやってくることでしょう。
青春の悩みからは、「まあいいや」という不真面目なタイプほど、こだわりがないので早く離脱できます。
真面目な学生ほど、青春の闘争にも真剣で余地がなく、
しかも「学生時代には生涯の財産となる深い友達をたくさん作ろう」
などと言われて真に受けたりするので、
よけいに孤独への耐性も弱くなり、孤独や危機感を感じやすくなり、悩みは深まります。
当時の学生からすれば、大切なのは面白さや人気や各種能力からなる(とされた)周囲の評価で、
将来大事になる(といわれている)評価は3高なのに、
いざ鉄砲を担いで戦線に立ってみれば
女子ゲットの最終選考科目は、コミュニケーションです!という逆説が起こっていました。
学生というのは、変にプライドから来る知識量コンプレックスがあるので、
「来たるデートの時に使おう」とか思って無駄にウンチクを蓄えたりするのに
よだれを垂らして女漁りに這いずり回ったりすることはできないんですが、
ご存知の通り、必要なのは後者なんですね。
就職活動も、どちらかといえばそうです。
こちらも最終選考は面接試験ですから。
僕の周囲の青春のピークは22歳頃だったと冒頭でいいましたが、
“一浪ひとなみ”と言われ、浪人が多かった当時の22歳というのは大学卒業の意味ではありません。
サークル活動は3年生が主役であることと、もう一つ大きな区切りになっていたのが就職活動です。
面接試験を経て内定を得ると、
他人にプレゼンできる程度にポジティブな自己分析と、
それを汲んだうえでの採用という実績からくる自信を手に入れることになります。
逆に、学生にとって就職が決まらないことは、経済上の問題以上に、
「何が悪いんだ」と自己についての問題として悩むことになりがちでした。
僕の頃は戦後初の余剰労働力世代で、営利団体である企業の評価を重く感じすぎる世代でした。
僕や周囲の青春の残像、つまりイタい巨大な自意識は、
学生でなくなってから数年かかって2000年代にようやく消えていきましたが、
22歳頃は、青春の拡大から縮小への転回点にはなっていました。
「青春は出口が難しい」
と言えるかもしれません。
家でゲームのタイプや、男だけで汗をかくタイプは、
あまり楽しくないので出口探しに入るのは早いです。
これが“建設的”な方向に、例えば資格試験や就職活動や留学、
イベントやサークル、大恋愛などに消化すると、その時は“実のある青春”と、なんとなく輝きます。
ところが、本質から出たまま成功体験を味わうと、
青春のループから出るのが遅くなる、または延々と続くこともあるでしょう。
学生の頃のままの気質で、つまり評価願望や受け入れ願望が巨大なままになってしまい、
闘争のノリで出世の絡む部署の人間関係に挑んでしまい、職場の居場所確保がストレスとか、
弱さを隠すノリでムリをして精神を病んだり、モテ力評価のノリで不倫に結びつくかもしれません。
このタイプは青春が長い、ドラマチックで人間臭いアラサーを送る傾向がありました。
考え込むタイプになると、これは文学的で、古来の学生の青春像に近いタイプですが、
自分て何だろうとか、人生の目的や自分の価値を持たなければいけないとか、
個性や独自性など、カテゴライズしては是非や優劣を分析し、
独りで考え込んでドロドロになってしまうので、精神的に危ない方向にいきがちです。
この危うさが外に向かった場合、反社会的になりがちです。
産業社会は、ある程度考えが浅くて軽いタイプを望みがちですから、歓迎されません。
疑問を抱え、自我が落ち着かず、何よりも居場所に飢えることになったでしょう。
そこに手が差し伸べられます。
90年代にはオウムとか原理研究会が流行っていて、
真面目な人が入信する傾向がありました。
僕の世代の人には、これらの背景が感覚としてよくわかるのではないでしょうか。
信仰宗教のピークは僕らよりも少し上の世代でしたが、
世相に極めて敏感な人々が入信していたと思われます。
90年代末期にはサブカル、インターネットによるコミュニケーションが隆盛期を迎え、
新しい居場所が提供され、ネチズンという新しい人種が現れます。
若者は青春の昂揚と問題意識を、匿名でぶつけるようになりました。
青春の悩みとは、センチメンタリズムという名の脳内麻薬です。
悩みの苦しみと、その解放とを交互に味わう行為は、
恋や孤独という胸キュン媒体を使えば、何度でもループできます。
これはジンジン感動してから安堵を味わうという、麻薬的な心理効果をもたらします。
青春というのはかなり病的な物だったと思います。
これは自我の外に出ると、政治や宗教といった社会運動になります。
70年代までは学生運動という形でしたが、80年代に新興宗教に取って代わられ下火になり、
僕らの頃は谷間になっていました。
2000年代になってからは、学生層とは逆の層と思想的方向ですが、
社会的青春を送る若者が主にネットを通して再び急増します。
いずれも悪のはびこる中での正義感のような、自我の英雄的昂揚というセンチメンタリズムです。
90年代末に、精神病や自死が大きな社会問題になりつつありましたが、
これも感傷のしくみと大きな関係があるそうです(たとえば恋は病理というような)。
カイシャにいた同年代に、恍惚の表情でサビ残や年休未消化をアピールしている連中がいましたが、
今思えば彼らの英雄的センチメンタリズムも青春の産物だったのでしょう。
90年代も感傷派のマジョリティーはこのタイプで、戦後の日本はこれを宗教化しています。
僕は片思いをしてはこれをやっていました。
手の届かないところに妄想の相手を見つけては、感傷の麻薬に浸って耽(ふけ)る感じです。
僕は青春末期には自己や恋愛といった青春らしい悩みは薄れており、
妄想の相手が身近になると興味を無くしていることにも気づいていました。
当時はなぜそうなのか謎でしたが、後からみれば
妄想の際に出てくる感傷的麻薬を目的としたセンチメンタリズムです。
広い意味では恋愛教の信者だったと言えなくもありません。
僕個人の出口といえば、僕の青春の感覚は、大学の外でアルバイトをしたことや
釣りが習慣になって自然に触れていくことで、少しずつズレていきました。
97年、中国に行ったとき、はじめて外界の価値観を知りました。
これはかなりの衝撃で、トイレにドアがないんですよ。
ドアがあっても閉めない。
価値観がひっくり返るというか、簡単に表すなら、それまで読んだ本に
「中国は儒教の国で、礼節を大事にします」
と書いてあるとすると、
「礼節の思想が出てくるのは、それが広まってないから」
というのが現地の実態でした。
つまり礼節を信仰するのは日本人であって中国人ではありません。
このように、色々と「最初に言った奴でてこい!」とツッコミを入れていました。
僕にとって、これはパラダイムでした。
僕に文学的青春をもたらしていた価値観はこの時から徐々に崩壊し、
悩んだり、考えすぎて眠れないことがある時期も数年続きましたが、
次第に、青春らしい疑問や自我を意識する思考癖も薄れ、
妄想癖も、これはイメトレ癖と同じものですが、すっかり忘れてしまいました。
こいつらは悩みや欲求の産物ではあるのですが、
同時に想像力とか成功力といったもので、いずれも否定するつもりはありません。
こうして、女子の尻を触ることが出来たり、ボムっと屁をこいたり、
オヤジギャグをかまして一人で笑い、恒常的に愚痴や弱音を吐き、大いびきで安眠。
すなわち世にいうオッサンへ。まあ39ですし。
昔のことも思い返さないため、脳裏にはシーンだけが残り、
その時の意味づけを忘れていってしまいました。
ということで、当時の回想が当時の考察になってしまいました。
今に付き合いの残る当時の連中がわりと斜め目線ということもあるかもしれませんが、
見事に何の感慨もありません。
いわば青春物の歌謡曲ではなく、水墨画の遠景です。
まあ同窓会などに行くと、20年や30年程度だとみんなあまり変わってないですし、
懐かしの思い出で感傷的に盛り上がるというのはフィクションで、現実にはあまりないことと思います。
話題は今日のゴシップや今日ホットなネタなんですよね。
自身と変わらない感傷力を持った未来の自分を想像するのが青春なのでしょう。