代表戦もワールドカップも12年ぶりに観ました。
 

 ナショナルチームの試合は、背後の社会や文化がチームに反映されて大変面白いです。

 

 即席メンバーですから質はクラブに劣るものの、そこで見えてくる欠点が大変重要です。

 わりとまじで代表サッカーさえ見ればその国は理解できます
 

 

 2010年までの日本のサッカーは、ずっと選手の力は結果の差ほどには変わらないものの、将棋で負けていました。

 それが昨日は、ついに戦術で先進国に勝てるようになったという印象でした。
 

 将棋とサッカーの戦術は同じで、桂馬や角でクロスを出したり、金銀でコースを塞いだりするわけです。駒を貼るのがメンバー交代ですね。

 ですが将棋と違って、サッカーでは監督やそのスタッフだけが将棋を指せるわけではありません。

 選手はチームの戦術を理解して動かねばならないのはもちろん、細かいところは自分で臨機応変に調略を練らねばなりません。察しがよくて、コミュ力がないといけないわけです。調整段階では自分の立場やプレイスタイルや方針も説明せねばなりません。それでやっと駒として機能するのです。

 チームの外には、予算や監督を選定するようなチームの上の組織や、メディアや聴衆といった背景が、盤面をひっくり返したりしないようにせねばなりません。

 90分間ボールを追い掛け回すだけのことに、その国の一般的仕事力が問われているのです。決して無関係な他人のゲームではありません。


 

 試合前半は、総力差に加えて日本の中盤に穴があり、PKを与え1点を失います。その後も展開を変えられる点を見出せず、圧殺されます。
 日本は後半、手の内を見せました。
采配でドイツを粉砕したのです。テレビにはあまり映らないのでよくわかりませんが、どうもバックを3枚にするシステムに変更していたようです。攻撃ではドイツ右サイドをドリブルで抜けられる選手(三苫)を入れて優越ポイントを作ると、敵陣を崩せるようになります。キーパー(権田)が個人技で数連発のスーパーセーブを見せると流れが変わり、会場も味方につけ、有効にボールを持てるようになり優越していきます。時間的には日本のポゼッションはあまり長くないのですが、動けばタテに刺さるようになっていました。
 順当に1点を取り、同点になったときの駆け引きも優勢に片をつけて2点目。
 その後のドイツは、気づいてみれば中心選手(脅威だったギュンドアンやミュラー)の温存など、逆転敗北を考えない布陣で交代を終えており、戦術オプションも出し尽くしており、改善の余地がなく攻め手を欠きました。たまたま芝の草が数センチ長かったら入っていたとか、靴紐が2mm緩かったらの運レベルでヤバい瞬間は、ポストが一本あったくらいです。
ハメられた!と思ったが時遅しだったでしょう。
 個人的MVPは連発セーブのキーパーです。PKを与えましたが、逆にショーマンとしては最高になりました。
 日本チームは、ドイツチームを研究してドイツ
固有の穴を探し、試合展開による運びのパターンを用意して、後半の勝負を仕組んだように見えました。選手の戦術理解も浸透させていたのです。

 

 

 昔の日本チームは、選手の数値的な力は今より上だったかもしれませんが、こういうことはできませんでした

 

 「日本軍の失敗を研究して反省材料にするぞ」

 と書かれた『失敗の本質』という本があります。

 そこで指摘された

 「いかに国力に大差ある敵との戦争であっても、あるいはいかに最初から完璧に勝利は望みえない戦争であっても、そこにはそれなりの戦い方があったはずである。しかし、大東亜戦争での日本は、どうひいき目に見ても、すぐれた戦い方をしたとはいえない」

 という日本的組織の欠陥を、ついに乗り越えたかの感があります。

 とはいえ、それほど驚く試合結果ではありませんでした。僕も口では「2-1で日本くらいじゃないかな」と言っていて、たまたま当たってしまったのですが、ここにも宣言しておけばイキれたのにと後悔しています。

 この予測は希望的観測ではなく、

 

 ・グループリーグでは前評判がよくないときには勝てる

 

 ・国力で抜かれている国はサッカーのほうでは勝つ

 

 これらは毎大会つねに起こっていることです。さらに

 

 ・ドイツとは日本人選手のブンデスにおける好相性もあり、開催地は中立地

 

 ・そもそも日本は常連国でベスト16~一次敗退水準が相場の中堅強豪で、ドイツは優勝候補の筆頭ではなく相場はベスト4~8くらい

 

・とはいえドイツは決勝トーナメントに合わせて緒戦はエンジンをかけられず、ベスト8狙いの中堅国は全力開幕

 

 そこでわりと勝てるのではないかと思っていました。統計上このパターンは中堅国が優位なんじゃないですかね? 印象ではそうなのですが、前評判をひっくり返すと印象が強くなるため僕にバイアスがかかっているかもしれません。でも雑に漁った記憶の中でも、優勝候補といわれたコロンビア、スペイン、アルゼンチン、フランス、ドイツなんかが一次リーグで敗退しています。一戦落としたケースはさらに多いでしょう。

 マスコミに騙されてはいけません。ネットのコアなサッカーファンはもっと細かいところも見ていて、わりと日本の勝利を冷徹に予測していました。

 


 実はドイツやブラジルは、人口や経済力、施設の整備状況やスポーツ文化や民族構成や慣習などによるサッカー的国力に比べれば、質的にはそれほど強い国ではありません。ドイツの人口は8,000万人ですから、5,000万人クラスの欧州大国群より1段強くて当然なのです。

 質的に強いのはイタリア、オランダ、ポルトガル、チェコ、クロアチア、アルゼンチン、ウルグアイなどです。
 ドイツにも宿命的な欠点があるのです。

 ドイツの弱点はおそらく、合理主義と、人種特徴的多様性に欠ける点です。
 合理主義は、「ドイツ人は完璧に仕事を為すため偶然が起こらない」ということです。車だと事故を起こさなくていいんですけど、サッカーでは戦術を読まれやすい欠点となります。後者は英仏のように植民地を持たなかったため、小柄なテクニシャン(たとえばメッシは168cm、マラドーナは160cm)に大柄な選手の足回りが瞬発性で追いつかないという欠陥を抱えており、日本人がブンデスでばかり大活躍できる理由はおそらくこれなのです。
 だから戦術を読んで、ドリブラーを使えば、ドイツにはわりと勝てるわけです。
 日本の相性だと、スペインの方が明らかに苦手です。スペイン代表は日本代表の完全上位互換を用意できるため、じゃんけんに持ち込めないわけです。日本人がスペインに行っても、似たようなタイプが沢山いるので、席を奪うのは比較的難しいことになります。ですがブンデスでは今後も出番は多いと思います。


 

 しかし日本サッカーの将来は、長期的にはあまり明るくはないと思います。
 テレビの解説を聞いて驚きました。窮屈で後進的な日本社会が、自由で先進的なサッカー界を侵略している現実を知ってしまったのです。びっしりと生えたカビを見つけたような気分です。

 番組をつけると、解説の本田圭佑さんが現役選手に「さん」をつけて呼んでいるので、まずは驚きました。
 適当にネットで調べてみると、これは本田さんが勝手にやっていたおもしろ解説で、メディアが普段からこういうルールを作っているわけではないようです。しかしそこから一緒に出てきた情報によれば、どうやらこの5年くらいの間で、スポーツ選手の敬称問題がおこっているのです。

 それは「あの芸能人は選手を呼び捨てにしたぞ!」と炎上し、それにメディアが征服されるといったおぞましいもののようです。


 今、グラウンド状況や余暇や歴史や産業構造など、日本のサッカー的国力からすれば、日本のサッカー界や現場は大変よくやっているわけです。極言すれば、92年から日本でずっと堅実に成長してきたワールドはサッカー界くらいです。
 日本サッカーの弱点は、一つにはドイツと同じく人種特徴的多様性に欠けることがあります。どうやっても日本国籍保持者の集団からデカいヤツ、音速を超えるヤツを揃えることは難しいです。ですがこれは致命的ではありません。より決定的な弱点に、
組織経営力の低さがあります。少し前まで、日本人FWはシュートを打てなかった(!)のです。

 

 『失敗の本質』にある日本的組織の欠陥はこうです。
 

人間関係を合理性よりも優先させ、インパールで白骨街道を建設
 

・大本営(協会やスポンサー)と現地軍の認識のズレ

 

・「敗戦(失点)の場合を想定してプランを練ることは臆病者!」と言い排撃

 

・「敵は技術はあるが臆病だから、大和魂で勝利できる」として戦力を投下せず全滅

 

『菊と刀』はこうです。
 

・問題解決力を強さの表れと考えるのではなく、個人的な幸福を捨ててみずからの義務を全うする順応こそ強さと考えて、苦痛量基準のトレーニング
 

・「回復することは卑怯だ」と言いだし補給や病院などの二次戦力を軽視
 

 さすがにこれらをすべて兼ね備えるような組織は、今では限りなく0に近いと思います。しかし、一つでもあってはいけない欠陥であるにもかかわらず、8割方の日本人の組織には一つ以上を残すんじゃないでしょうか。
 

 分野がなんであれ日本チームは、昔の日本兵や現地指揮官と同じく、学校教育の負の遺産や、部活動慣習や、○○協会などの “大本営” といった障壁を背負わされるのです。先進国の学生と話すと、たがいの唯一の共通利益の話題である “社会の話” ができない日本の若者との、社会性の差に驚かされたものでした。なかでもゲゼルシャフト、いわば目的を持ったタスクチームを作る政治・経営が日本人は極度に苦手です。チームのために死ぬこととマウントと人間関係が、生活の全てになってしまうのです。チームの目的は、各個の自己の処遇の雑然とした塊となってしまい、合理性が失われ、同調圧力と相互監視がおこるのです。成績を上げようとする前に、制服を作ろうとするのです。
 

 サッカー界は協会を筆頭に、クラブチームなども慣習を打破するようにして日本的経営を避けてきました。トップをキャプテンと名乗ったりして慣習を打ち壊して、僕が三ッ沢スタジアムに通っていた頃の横浜FCでは、J2の若い選手が代表エースだった城に君づけで親しそうに話していました。これは2006年以前です。2010年頃にはサッカー界は確実にそうなってきていました。ある草サッカーを嗜む友人は「サッカーはこうなんだよw」と誇らしげでした。勤務外ならともかく、試合中に0.1秒遠慮をしたら負けなのだから、インパールの真似を避けるのは当然です。
 イギリス人解説者がサッカー選手に「ミスター・マグワイアにボールを集めたいですね」、「ミスター・ベリンガムやミスター・スターリングはスピードもありますからね」などと言っていればちょっと笑えますよね。フランス人なら「ムシュー・エムバペは今日は調子いいですね」。ブラジル代表であれイタリア代表であれ、ピッチで部活カーストをやっていたらもうすこし弱いと思います。

 

 言うまでもなくスポーツ選手の社会的立場は若者のリーダーで、サポーターはこれを育てる者です。視聴者は年輩で、スポンサーや情報料金や自治体を通して力を合わせている客だという前提があります。「のろまは去るべき」というのがスポーツの場のルールで、皇軍の儀式のような蛇足は忌避されるのです。なによりピッチに立ったらチームメイトは対等な仲間で、サポーターも、精神的にも名目的にも共にピッチに立つのです。そこで親称の呼び捨てが使われてきました。
 日本語では

 距離の近い親称「カズ」 → 距離を置いた敬称「安倍さん」 → 断絶した呼び捨て「信長」「トランプ」

 という3段階が普通です。監督やトランプなどは報道などの公式な場では敬称や氏がつきますが、コメディアンが話す場合には庶民の日常会話を写しているので「新庄」「バイデン」です。試合中の選手は親称で「カズ行け!」、ゲストの場合は「三浦知良選手にお越しいただきました」などとなっていました。これらは関係性に依存します。テレビ局は試合主催者側と視聴者側の間に立つ関係で、出演者はサポーターの代理人でもあります。そのテレビ局に敬称を使えというならば、その人物は普段から誰にでも「さん」を付けて読んでいないと論が通りません。「さんをつけてない! 呼び捨てだ!」ネットで炎上しておきながら、さん付けの書き込みを目にしたことなど僕は一度もありませんが、これは大変奇妙なことです。


 日本人大衆が、「正義の味方になりたい」という悪辣で迷惑千万な欲望虚栄心を他人にぶつけて、
互いの自由を奪い合って無駄な義務を積み重ねているに、先進国の人々は互いの自由を守るために社会を維持し、効率や勝利を自由に考えています。

 

 サッカーでも日本人は停滞し、経済のように差がつくはずですよ

 

 先日、人口8000万人のドイツに、1億2000万人の日本がGDPで抜かれました。

 労働時間は日本の2/3くらいです。子供が学校に行く時間もそんなものです。

 駅前とか道路とか田舎とか、景観の落差なんかはすさまじいものがあります。

 ドイツ代表は負けはしたものの、カタールの社会や倫理の問題に大きな関心を持っていました。

 そういう社会性の欠如が日本人の弱点となり、長い間には差がついていくのです。



 日本人はこうやってマナー講師みたいな不要な集金装置をふやし、「いまは『さん』づけ!」などと考えることや、それを他人が正しくやっているかの監視に大量の資源を使っているのです。

 聞いている方も、それだけ時間の無駄を強いられ、内容の無い情報を流されています。
 なんというか日本人はずっと、チンパンジーに操縦桿を握らせたまま、高度を下げていく飛行機の座席を奪い合っているのです。機内で「言葉遣いが悪い」といえば、敵から座席を取れるのでしょう。他の日本人によって生きるのに不安になるほどの無能にされた者にでも、これはできるのです。


 サッカー界も結局、ものすごい数の大衆勢力に敗れ、足を引っ張られて落ちていくでしょう。密室で頑張ってきたのですが、外堀は落とされました。

 サッカーは日本を先進国レベルに向上させる社会的使命を持っていましたが、皇軍支持者に敗れたのです。日本が日本サッカーにおいつくのではなく、日本サッカーが日本の大衆レベル、皇軍レベルに落ちる流れなのです。
 

 勝ちゲームでここまで残念な気持ちになるとは思わなかったですよ。

 プレミアの解説とか「インクレディボー!」と叫ぶだけで馬鹿でよかったですよ。大勝利してんだから真似すればいいのに……。

 炎上させてたのってサッカーファンじゃなくて日本ファンでしょ。間違いないです。ナショナルチームのゲームはこれが嫌ですね。

 

 

 ゲーム自体はよかったですよ。いやサッカーは良かった、常にいい。僕が嫌悪している成分はすべてテレビの周囲の大衆からです。

 観戦が12年ぶりになったのは、引っ越したこととテレビがないからで、いつのまにか趣味ごと断捨離されてしまいました。

 それ以前はサッカーファンでした。小学生のときちょっとだけやってましたし。

 

 以下は完全なる余談ですが、このチームが実に弱くて、シーズン0勝1分け、他全敗でした。

 おかげで試合に出してもらえたので僕はよかったですが、小学生だからワー!とボールに向かって常に全員が走るレベルです。

 観戦眼力にも何も役立っていません。23-0とか18-0とかで負けていましたからね。

 画像のボールはその件があって、震災の時に孤児院に寄付できたものです。

 ときどきボールをけって遊ぼうと思っていたら、震災があって、それで帰宅できなくなった時間に思い出して買ったのです。するとその時に無くしたボール(当時流行ったアルゼンチン杯のモルテン・タンゴ)がたまたま出てきて、新しいほうは不要になったのです。この最弱サッカー経験と偶然がなければガキどもへの寄付なんかしませんでしたが、おかげで今はサッカーを見るたびに、なんとなくいい心象になります。

 この頃にはもうサッカーは滅多に観ていませんでしたから、震災からも早いものですね。南アフリカで若手のエースだったミュラーがベテランになっていたのも感慨深いものです。