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 前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて
(1)行動し、

 (略)

 ……ことを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 そもそも(2)国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、

 その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する

 これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。……(続く)

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(1)  議会つくっちゃうよ?

 議会制民主主義。またの名を
間接民主制など。日本国はこの手法を取るぜ!という宣言です。

 または文末に直接かかるとすると、国民が間接民主制で、民意で「この憲法を確定する」という宣言です。

 古代アテネなどは直接民主制で、有権者=議員でした。

 奴隷制を抜きにすればあなたも僕も、全員が議員です。
 

 ですが寿司でいうと、直接制は、本来の発酵食品たる寿司、鮒寿司です。

 間接制は、サッと調理できる江戸前、新鮮なマグロの握りです。

 だんだん後者が市場を席巻しました。スシといえば握り、民主主義といえば選挙みたいな感もあります。

 

 多くの民主主義者にとって、理想や論理結は直接制ですが、アテネは都市サイズだから実現できたのです。

 有権者が数千万人いる既存の国家を、直接制で運営するのは至難ですし、極小国だらけの世界になると国際問題がそれだけ複雑化するなど、ジレンマもあります。

 ローマは大国でしたので、元老院などの議会制のタマゴが産まれ、選挙法や議論・議決の方法など議会制システムは中世以降のイギリスで発展しました。

 近代になっても直接民主主義は残り、スイスは直接民主制を絶賛開催中

 極めて平和に国際社会を過ごし、また経済的にも大繁栄し、一大実績を築いています。ジュネーブ出身のルソーは小国寡民主義者で、間接制を非難していました。

 100%の純粋な直接民主制は、民主制の元祖かつ理想形であり、初期設定です。間接制は理想の条件が揃わないときの代用品にすぎず、民主主義国家は、重要案件には国民投票をするといった直接制を残してあります。間接民主制を100%採用している国は無いでしょう。

 とはいえ現実問題として、効率などの間接制のメリットは計り知れません。間接民主制を採用している諸国も実績を上げています。今まさに自由陣営として2度の大戦に勝利したところです。各国で、寿司といえば握りになっていました。

 そこで日本も初期設定を変更したのですが、あくまで間接制は自明の本体ではないのですから、「オプションで議会制を選びますね」という宣言をしています。

 

 これは権利の論理としてとても重要です。

 とくに日本の場合は、前近代的な明治憲法と、その反省を引継いでいるので、

 国民が議会・国政の親であること

 議会・国政は国民の道具であること

 を、ことさらに明言したのかもしれません。
 

 

 

(2)  議会ってオラたちのもんだべ。それに議会は全てではないだべ。

 

 

 上の議会制を宣言した文につづいて、なぜ

 

 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるもの

 

 が入っているかというと、

 

 根元から帝国憲法が間違っていた

 

 と指摘しているからです。

 

 

 帝国憲法は「皇宗ノ神霊~」で始まるカルト的な迷信と、無知がもらたらしたデタラメに依拠していたため、議会は天皇を協賛(5条、37条)する機関とされていました。臣民は慈悲を請うだけの二等市民です。明治のリーダー達は国民を徐々に啓蒙していくつもりでしたが、大日本帝国は要は、迷信主義によって腐敗して暴走、崩壊しました。


 パスカル 『パンセ』
 考えてみればおかしな話である。
この世の中には、神の法も自然の法もすべて捨てておきながら、

 自分たちでつくった掟にはきちんと従っているひとびとがいる。たとえば、盗賊などがそうだ。  


 日本国憲法は「人類普遍の原理」、つまり誰も否定できない眼前の事実や物理的法則(神の法や自然の法)に論拠するので、議会(の権威や権力)は、議会作っとる国民に由来するけん、国民の福利のためのもんやねという内容です。

 議会制は
選挙で代議員を選ぶのが一大特徴ですが、これは方法の一部にすぎません。

 代議員を常時監督し、発言やデモを行うことがセットなら直接制を代用できるというところまでいって、はじめて間接民主主義という考え方です(個別の権利宣言としては21条、包括的に12条で自由状態の維持努力を義務化)。
 

 間接制は、あくまで直接民主主義の便宜的な代用です。有権者の権利は常に行使できなければなりません。たとえば投票日と今日とは何かしら変化があり、何かしら状況が違うわけです。議会だけだと議員本人は“今日の私の意思”を常に国家に反映できますが、投票者にはそれができないことになってしまいます。またヒトは嘘をつく習性のある生物であり、委任と確認は常にセットにしなければ機能しません。 “一票の格差”やゲリマンダーのような選挙区の問題、公約の組み合わせや候補者の人数バランスからくる民意の逆転反映など、様々な選挙システムの矛盾や危険が指摘されています。

 どうみても人類の資産だし、美味いし心身にもいいけど、不完全さがあるし、それなりに対価は要るよ?というのが寿司です。