そもそも、私がこの映画を観に行こうと思ったきっかけは、
今まさに起きている「移行期」とは、実際にどんな状態なのかを知りたかったからだ。

世の中では、
変わる、切り替わる、通用しなくなる、という言葉が飛び交っている。
でも、その変化は目に見えにくく、
だからこそ、漠然とした不安や恐怖として感じられる。

そんなとき、ふと頭に浮かんだのが
『ダウントン・アビー/グランド・フィナーレ』だった。

この物語は、
かつて「当たり前」だった貴族社会が、
静かに役割を変えていく移行期を描いている。
今の感覚と、どこか重なるものがある気がした。

もしかしたら、
この映画を観れば、
「移行期とは何が起きることなのか」
その輪郭が、少し見えるかもしれない。
そんな期待を持って映画館に行ってみた。


この物語は終わったけれど、
登場人物たちの人生は終わっていない。
日常も続くし、人々はそれぞれの道を歩いていく。
ただ、それまで当たり前だった前提が、もう使えなくなった。

映画の中でメアリーが
「生き残るためには変わらなきゃ」
という言葉を口にする場面がある。
この一言に、グランドフィナーレのすべてが詰まっている気がした。

変わる、というのは
自分を否定することでも、負けることでもない。
役割や配置を、時代に合わせて更新するということだ。

離婚という出来事ひとつ取っても、
前例がないから周囲はどう反応していいか分からない。
一瞬、全員がフリーズして
「……え?」
という空気になる。
あの「間」が、私はいつも少し可笑しくて、でもとてもリアルだと思う。
あれが、この物語の本質だと思った。

誰かが悪いわけでも、革命が起きたわけでもない。
ただ、時代が変わり、
これまでのルールブックに載っていないことが起きただけ。
だから処理できない。

ここで思い出したのが、
日月神示に書かれている
「今までのやり方が通じなくなる」
「ひっくり返る」という言葉だ。

それは、破壊を意味しているのではない。
その形のままでは続けられなくなるということなのだと思う。
壊れるのではなく、使えなくなる。
そして、自然に入れ替わっていく。

ダウントン・アビーで描かれているのも、まさにそれ。
貴族が消えるわけでもない。
使用人が否定されるわけでもない。
ただ、その配置が時代に合わなくなった。

だから、役割が変わる。
配置が変わる。

最近よく聞く
「これからは生きづらくなる」
「働き方が通用しなくなる」
という話も、これと同じ構造だと思う。

生きられなくなるわけじゃない。
ただ、選択肢が一つしかない生き方が、成り立たなくなる。
だから苦しくなる人と、そうでもない人に分かれる。

ダウントン・アビーは、
「役割を終えたものが、次の位置に手渡される」
その瞬間を描いている。

きっとこれからの時代も、同じだ。
何かが終わるように見えて、実は配置が変わるだけ。
前提が変わり、「……え?」となる瞬間が増えるだけ。

それを恐怖として見るか、
「あ、そういう切り替えなんだ」と受け取るか。

終わったのではなく、
使い方が変わっただけ。

ダウントン・アビー/グランド・フィナーレは、
その移行の瞬間を、
とても静かに、丁寧に描いていた。