菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真

の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。そこで、没後20年目、朝廷は道真の

左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。天慶5年(942年)、右京七条に住む多治比文子(たじ

ひのあやこ)という少女に託宣があり、5年後にも近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣が

あった。それに基づいて天暦元年6月9日(947年)、現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社

殿が造営された。
 wikipediaより


残念ながら、梅林院のほうは3分咲き。ただ、本殿等の前は8分咲きくらい。

きれいな中国の娘さんと振袖を着たお母さん?

みなさん、もう少ししてから訪れてもいいのでは。