ブログの話し
知り合いが何人かamebaをやっていたのに触発され
一年ほどamebaで日記みたいなものを書いたが
匿名でもユニット名でも
自分からはなにも生まれてこないようなので
それにamebaの形式も内容も おもしろくないのでやめることにした
生活も新しくなるのだし
ちがうところで続けることもできるのでちがうところで続ける
匿名ではなくて
http://humionur.exblog.jp
●このブログでの話し
昔の作品についてのある種研究的な記事のときはまるで訪問者がいなかったが
新作について書いた記事ではけっこうみていることが履歴でわかった
常に新しい芽を摘むのが批評か
ネコの写真も割と人気だった
珍しい種類のネコではないが、ダイガクという名前がわりとはまっているようで
おもしろい
これからは二つのブログに分かれることにする
もうひとつIDをとったのだが忘れてしまった
批評についてはほとんどこれまでのようなやり方でまだやってみたい
ダイガク日記はほとんど息抜きだ。夏目漱石も『吾輩は猫である』を息抜きでおもしろおかしくかいたように
勝手なことを書きたい。それも自分にとってはちょっと必要なことだという気がする、ということがブログをやってみてわかった ような
例えば『吾輩は猫である』は
吾輩は猫である。名前はまだない。
で始まるが
『ダイガ ク日記』は
吾輩は猫である、名はダイガクという。
とはじまり、、云々とつづけば、、おもしろいのが想像できる
ダイガク
一年ほどamebaで日記みたいなものを書いたが
匿名でもユニット名でも
自分からはなにも生まれてこないようなので
それにamebaの形式も内容も おもしろくないのでやめることにした
生活も新しくなるのだし
ちがうところで続けることもできるのでちがうところで続ける
匿名ではなくて
http://humionur.exblog.jp
●このブログでの話し
昔の作品についてのある種研究的な記事のときはまるで訪問者がいなかったが
新作について書いた記事ではけっこうみていることが履歴でわかった
常に新しい芽を摘むのが批評か
ネコの写真も割と人気だった
珍しい種類のネコではないが、ダイガクという名前がわりとはまっているようで
おもしろい
これからは二つのブログに分かれることにする
もうひとつIDをとったのだが忘れてしまった
批評についてはほとんどこれまでのようなやり方でまだやってみたい
ダイガク日記はほとんど息抜きだ。夏目漱石も『吾輩は猫である』を息抜きでおもしろおかしくかいたように
勝手なことを書きたい。それも自分にとってはちょっと必要なことだという気がする、ということがブログをやってみてわかった ような
例えば『吾輩は猫である』は
吾輩は猫である。名前はまだない。
で始まるが
『ダイガ ク日記』は
吾輩は猫である、名はダイガクという。
とはじまり、、云々とつづけば、、おもしろいのが想像できる
ダイガク
ウディ・アレンの重罪と軽罪
ウデイ・アレンの異色作
キビシいウディ・アレンが演技も編集も知らないほどの子供を撮るというのはありえなかった
そして「無邪気な子供」以上に無邪気な希望を子供に投げかけるのも
現実を注視しすぎるとそうなる
錯視と、それが生む幻想を無視し隠蔽し続けると
安易な共産主義のように
とてもかなしい作品だった
ウディ・アレンの重罪と軽罪 [DVD]/ウディ・アレン

¥3,990
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アンナと過ごした4日間
アンナと過ごした4日間 [DVD]/アルトゥル・ステランコ,キンガ・プレイス,イェジ・フェドロヴィチ

¥5,040
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イエジー・スコリモフスキ監督 2008年 ポーランド/フランス
イエジー監督は日本人の記者に漢字で自分の名前を書かせているそうだ
’家路’
オリヴェイラにそんな題の映画があった
’ラストで全部もっていかれる’作品というのがたまにあるが
この作品はそうだった
べつに奇をてらったというのではなく
脚本でこうする必要があったとおもわせる
ほとんど主人公の愕然とした心境に同化して
この終わり方はちがうと叫んでまわりたい気分になる
脚本の外側から別な作品の脚本をもってきて「ちがう終わり方もあるよ」
というのではなく
脚本の内側から
まるで登場人物になりきって内在的にこの脚本からつきぬけたいような
どこかなつかしい衝動がおこる
この焦燥とした感じは『青い春』の終わり方みたいだった
家路監督は若干ヤクザな気質にあっても豊田利晃と似ているかもしれない

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イエジー・スコリモフスキ監督 2008年 ポーランド/フランス
イエジー監督は日本人の記者に漢字で自分の名前を書かせているそうだ
’家路’
オリヴェイラにそんな題の映画があった
’ラストで全部もっていかれる’作品というのがたまにあるが
この作品はそうだった
べつに奇をてらったというのではなく
脚本でこうする必要があったとおもわせる
ほとんど主人公の愕然とした心境に同化して
この終わり方はちがうと叫んでまわりたい気分になる
脚本の外側から別な作品の脚本をもってきて「ちがう終わり方もあるよ」
というのではなく
脚本の内側から
まるで登場人物になりきって内在的にこの脚本からつきぬけたいような
どこかなつかしい衝動がおこる
この焦燥とした感じは『青い春』の終わり方みたいだった
家路監督は若干ヤクザな気質にあっても豊田利晃と似ているかもしれない



