エスカレータの記憶 | 御行奉為

エスカレータの記憶

なにやら名古屋でエスカレータが逆走して、怪我人が多数でたようだ。

エスカレータと云えば、私が中学生の時、今で云うファーストガンダムが大ブレイクした。本放送ではなく、再放送でのブレイク。宇宙戦艦ヤマトもそうだった。

それに歩調を合わせ、バンダイから所謂ガンプラが発売された。30代後半以上の人なら覚えているだろうが、尋常ならざる大ヒットをした。

酷く品薄のため、欲しい物を選んで購入する事など出来ず、模型店やデパートの開店前から長蛇の列を形成。開店と同時にダッシュでプラモを奪い合う景色が、日本中で見られた。

それはそれとして、何故あんな物を欲しがったのか理解に苦しむ。今でこそガンプラと云えば、ギミックやディテールに於いて、他の追随を許さないレベルの量産モデルである。だが当時のモノは、中学生の私にとってすら低いレベルで、わざわざ買うに値しない物であった。

当時の私はミリタリ・ミニチュアに夢中であり、戦車は高価で正月にしか入手出来ず、ケッテンクラートとか、キューベル・ワーゲン、ドイツ小火器セットを作って満足している暗い少年だった。今でも明るいとは云えんが。

ガンプラは、プラモを作れない友人が、制作を依頼して来た時に、報酬として貰っていた。行列とか子供の頃から嫌いだった。

それもある事件をきっかけに、しばらくは好きな物を買えなくなってしまったのだ。

ある日曜日の朝、新松戸のダイエーが開店し、2階にある玩具店に人が殺到したわけだが、エスカレータね途中でコケた馬鹿がいて、エスカレータに乗っていた人々がドミノ倒しになった。

結果、当時中学生の子供が一人死亡。その後ガンプラ購入禁止令が出たり、ガンプラを買うにはじゃんけんに勝利した子に配給するシステムに変遷していった。

でもザクやガンダムが欲しいのに、ガンキャノンやガンタンクならともかく、ホワイトベースを渡され、金だけは立派に取られるって気分はどうだろう?

当時の大人は、戦後の貧しい時代を味わってたから、こんなシステムを思い付いたし、その子供レベルだから我慢したんだろうが、今は無理だろうなw

エスカレータ事故って聞くと、今でも新松戸ダイエー事件を思い出す。