それは3月11日の6時間目のこと。

理科の授業をしていたとき、突然

「先生、揺れてない?」

「揺れてるよ!」

と、子どもが。

私は立って話していたので、

「え?え?!」

という感じでしたが、揺れを確認。

揺れ始めてから数秒、揺れがきつくなる。

すぐ机の下に隠れることに。

校内放送も入り、揺れが収まるまで机の下にもぐった。

揺れは強くなったり、弱くなったりを繰り返す。

棚の上に載っているものがあることに気が付き、あわてて下す。

揺れのせいで、ストーブの上の金だらいから、水がこぼれる。

揺れが収まるまで、5分~10分ほどかかっただろうか。

すぐさま各学年主任が招集、

子どもの安否を確認して今後の予定を決めた。

うちのクラスには、揺れのせいで酔った子どもが3名ほどいたが、

幸い動けないほどの子はいなかった。

協議の結果、授業を中断しすぐ帰宅用意、学年で集団下校をすることに。

急いで帰りの準備をさせ、机を廊下に出させる。

(予定では、この日の放課後職員で教室のワックスがけをすることになっていたから)

「え、こんな日にワックスかけるの?」という子ども。

当然の疑問だがかまわず机を出させる。

そうこうしているうちに、最初の地震発生から25分後、校門外に出た。

その後も余震が続く。

他クラスは準備中に余震が来たため、校内で避難。

そのクラスに集合場所を知らせるために校内に戻る。

靴を履き替えようにも、揺れてうまく履きかえられない自分に気付いた。

ようやく全クラスがそろい、

最初の地震発生から約45分後、解散となった。

その後、予定通りワックスがけをして、職場を出た。



その後、いろいろ予定をこなして帰宅。

気が滅入る気がしたが、帰宅後テレビを付けっぱなしにして寝た。



早朝、テレビの音で目を覚ます。

すると、携帯からけたたましい警戒音がなる。

次の瞬間、大きく揺れた。

見ると、実家の辺りが震源地になっていた。

急いで実家の母に電話をかけた。

すぐ繋がらなくなるかもと思ったから。

携帯に母が出て、少し話をした。

いつも通りの声で安心した。





地震、津波、火災、ありとあらゆる災害があちこちにある。

何もできないことがもどかしい。

そんな中、今年定年退職する同僚が、

「ボランティアに行ってこようと思う」

と告白。

心から尊敬する。

自分はそうすることが出来ないけど(仕事があるので)、

それぞれのポジションで、

それぞれのできることを頑張りたい。



石巻の知り合いが、無事だと分かった。

茨城の知り合いが、停電・断水の中で頑張っている。

皆、無事でいて。