home sweet home
帰る場所がない。
いつからか、そう思っていた。
::
生まれ育った家は、なくなった。
中学卒業と同時に、私は家を出たから。
だから、愛着はないと思っていた。
「家を売る」と聞いた時も、別に何とも思わなかった。
高校の、夏の帰省の時。
壊されかけた家に、
「工事中」の看板を抜けて、一人で忍び込んだことがある。
ほとんど、興味半分だった。
驚くべきことに、
私の家は、コンクリートとか、木とかでできていた。
当たり前だけど。
当たり前だけど、そうじゃなかった。
私の中で、あの家は、
積み重なった記憶でできていたんだもの。
思い出とか、雰囲気とか、
空気に、意味っていう色がついて、
そこにあるようなものだったのに。
そんな生々しく、傷口を見せないでよ。
涙が止まらなかった。
積まれた瓦礫。むき出しになった壁の中。
私は危険なことも忘れて、
壁に手を触れながら、階段を上った。
薄い、灰色と紫の間のような色をした、カーペットの敷かれた階段。
足音が、手すりに響いてかすかな金属音が混ざる。
「これは確かに、私達の生活の中の音だったのに。」
あの時の、自分でも驚くほどの、喪失感。
本当は、思い出すと今も泣けてくる。
家の前に停まっていた、建設会社の機械達はまるで、
ウルトラマンとか、仮面ライダーとか、
そういった類のものたちに立ち向かう、醜悪な敵に見えた。
::
実家と呼べる家がない。
気がつけば、そういう、
物質的な喪失を埋めるだけの、
気持ちの拠りどころも、なかった。
お姉ちゃんとの二人暮しは、
喧嘩ばかりで、2年が限界だった。
それでも2年もったのは、私が、
面倒な気遣いから逃れるために、
そのときどきの、男の人の家に寄生し続けたからだろう。
お母さんの再婚は、祝福した。
甲斐性のないお父さんを引っ張って、よく頑張ったねと。
幸せになって欲しいと思った。
だけど、それはお母さんの新しい家庭だから。
彼女がなんと言おうと、そこに私の居場所はなかった。
::
「帰る場所がない。」なんて。
言葉だけなら、ひどく甘美だ。
だけど、私は悲劇を演じられるほど強くない。
愛してくれた人はいた。
置いてきたのは自分かもしれない。
だって眠れなかったから。
与えられるだけの愛は、居場所とは違う。
安らかに、眠りにつけること。
同じ先を、見つめること。
いつだって私は、帰ることのできる場所を望んでいた。
::
「ふたりでひとつの人生だから。」と、彼は言った。
信じられないくらいの正確さで、
私が求めていたものを、差し出してくれた。
彼との日常の中には、奇跡がたくさんありすぎる。
私は、ぞっとして息を呑む。
目を凝らして、耳を澄ます。
秒速で流れていく奇跡たちを、ひとつだって逃さないように。
ひとりだった自分を、忘れないように。
::
帰る場所がある。
そう思えてから、やっと。
もう帰れないあの場所も、あの家族たちも。
やっぱり好き、って思えるよ。
ねぇ、幸せになろうね。