褪せた短冊。幸せの定義。
「幸せとは、欲望が停止し、苦痛が消滅した負の状態である。」
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私が、ここのところ感じているのは、こういう事なのだと思う。
それでもいい、私はそれがいい、と。
何度も肯定を繰り返している。
今も。
だけど、この言葉は、ある意味では真理だと思う。
私は今、負の状態かもしれない。
昔、似たような気持ちを、感じたことがある。
満たされて、立ち尽くしていた。
向かう先を失って、ただ、立っていた。
だって、ここが目指した場所だから、と。
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中学3年の、1学期の始め。
クラスの全員に、画用紙を切って作った短冊が配られた。
「今年の目標を書きなさい。」と、先生が言った。
色とりどりの紙の中から、私は濃いピンクの紙を選んで、
それから、茶色の、先の太いペンで書いた。
目標。というよりも、それは夢に近かった。
「日本一をとる!」
その時の私はきっと、
大きな夢を、言葉にするだけで誇らしかった。
黒板の上に、並んで貼られたその紙を眺めては、
その響きの強さに憧れた。
憧れて、走り続けた。
あの夏の日に、その場所にたどり着くまでは。
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思い焦がれた、夢を叶えた。
幾度となく、思い描いた、頂点から見えるもの。
あの瞬間の、感動は忘れないだろう。
達成感も、充実感も。優勝旗の重みも。
確かにそこが、私の目指した場所だった。
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夏が終わって、秋が来て。
雪が降り始めて、制服が紺色の長袖に変わっても。
黒板の上には、相変わらず、
「日本一をとる!」と、元気のいい私の字があった。
クラスが受験ムードになっていく中、
私は、ぼーっとその短冊を眺めていた。
高校は、スポーツ推薦で決まっていた。
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そう。
あの時も、こんな風だった。
全国優勝という栄光を手にして、高校も決まって。
それから恋愛も順調だった。
「私は幸せだ。」と、
この言葉どおりに、15歳の私は思ったんだ。
覚えている。廊下にもたれて、友達と話しながら。
不安なことなどなかった。
満たされている、と思った。
それから、卒業間近の作文に、私はこう書いた。
「夢は、叶えることよりも、追うことに意味があると思います。」
ひどく浅はかで、傲慢な言葉だと、今は思う。
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でも、今も変わらない。
ただ、走らずに生きることを知っただけ。
欲望が停止し、苦痛が消滅するなんて、望むところだわ、と。
だって。
と、言い訳をしてみる。
だって、あの頃は。
十代の私は、永遠に生きられると思っていたもの。
いつまでだって走っていられると。
でも、そうじゃない。
人は老いるし、いつか死ぬ。
時の流れの速さを、
感じるようになってしまった私。
どこかで、自分を許して。
鞭を打つのを止めないと。
自分に、飴を与える前に、人生が終わってしまう。
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私の、幸せの定義。
「自分で、自分を好きでいられること。」
この定義づけには自信があったのに。
好きなのかどうか、
本気で迷う日が来るなんて、思わなかった。