褪せた短冊。幸せの定義。 | Q05 quest

褪せた短冊。幸せの定義。




「幸せとは、欲望が停止し、苦痛が消滅した負の状態である。」





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私が、ここのところ感じているのは、こういう事なのだと思う。

それでもいい、私はそれがいい、と。

何度も肯定を繰り返している。

今も。



だけど、この言葉は、ある意味では真理だと思う。

私は今、負の状態かもしれない。




昔、似たような気持ちを、感じたことがある。

満たされて、立ち尽くしていた。

向かう先を失って、ただ、立っていた。





だって、ここが目指した場所だから、と。





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中学3年の、1学期の始め。

クラスの全員に、画用紙を切って作った短冊が配られた。

「今年の目標を書きなさい。」と、先生が言った。

色とりどりの紙の中から、私は濃いピンクの紙を選んで、

それから、茶色の、先の太いペンで書いた。

目標。というよりも、それは夢に近かった。




「日本一をとる!」




その時の私はきっと、

大きな夢を、言葉にするだけで誇らしかった。

黒板の上に、並んで貼られたその紙を眺めては、

その響きの強さに憧れた。





憧れて、走り続けた。

あの夏の日に、その場所にたどり着くまでは。





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思い焦がれた、夢を叶えた。

幾度となく、思い描いた、頂点から見えるもの。





あの瞬間の、感動は忘れないだろう。

達成感も、充実感も。優勝旗の重みも。





確かにそこが、私の目指した場所だった。





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夏が終わって、秋が来て。

雪が降り始めて、制服が紺色の長袖に変わっても。

黒板の上には、相変わらず、

「日本一をとる!」と、元気のいい私の字があった。




クラスが受験ムードになっていく中、

私は、ぼーっとその短冊を眺めていた。

高校は、スポーツ推薦で決まっていた。






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そう。

あの時も、こんな風だった。




全国優勝という栄光を手にして、高校も決まって。

それから恋愛も順調だった。



「私は幸せだ。」と、

この言葉どおりに、15歳の私は思ったんだ。

覚えている。廊下にもたれて、友達と話しながら。

不安なことなどなかった。

満たされている、と思った。




それから、卒業間近の作文に、私はこう書いた。

「夢は、叶えることよりも、追うことに意味があると思います。」

ひどく浅はかで、傲慢な言葉だと、今は思う。







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でも、今も変わらない。

ただ、走らずに生きることを知っただけ。

欲望が停止し、苦痛が消滅するなんて、望むところだわ、と。





だって。

と、言い訳をしてみる。




だって、あの頃は。

十代の私は、永遠に生きられると思っていたもの。

いつまでだって走っていられると。




でも、そうじゃない。

人は老いるし、いつか死ぬ。

時の流れの速さを、

感じるようになってしまった私。



どこかで、自分を許して。

鞭を打つのを止めないと。

自分に、飴を与える前に、人生が終わってしまう。





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私の、幸せの定義。

「自分で、自分を好きでいられること。」





この定義づけには自信があったのに。

好きなのかどうか、

本気で迷う日が来るなんて、思わなかった。